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2001年02月01日
最近注目のシビル・アビディについて
おなじ格闘技でも立ち技(キックやパンチ)のみに限定することで面白さを生みだし、大きな人気を集めているのが、日本で生まれたK-1である。
これも90年代に生まれたという意味で、この「融合」の時代のひとつの象徴とも言えるわけだが、K-1の成功は、創設者の石井和義・正道会館館長がそうした時代性を肌で理解していたからこそ得られたのだと言うことができる。
具体的に言うなら、K-1の場合、その母体は日本の空手である。
それに対し、融合の対象となったのは、主にキックボクシング。どちらもおなじ立ち技系格闘技で、はた目には共通点が多いように見えるが、実際にはルールの面でいくつもの相違点が横たわっている。
……そこで石井館長は、K-1をスタートさせるにあたって何を考えたか?
というと、自分たちの空手に不利なルール設定を行った。フルコンタクトの空手にはない、グローブによる顔面攻撃を受け入れたわけである。他にも、空手家ないし日本人選手にはいくつか「不利」な点が設けられているが(ここでは省略)、そうした自己犠牲的な、まさに日本人らしい発想によって、K-1は「融合」という時代の波にダイレクトに乗ることができた。そして、その逆境を乗り越えてK-1王者となったのが、「青い目の空手家」として愛された、故アンディ・フグだったわけである。
K-1では、アンディのほかにも、キックボクシング系のピーター・アーツ、アーネスト・ホースト、ボクシング系のマイク・ベルナルドと、幾人ものスター選手を輩出させてきた。最近では、極真世界王者となったフランシスコ・フィリオや、ボクシング出身のジェロム・レ・バンナといった猛者も台頭してきているが、なかでも最もホットな話題を集めているのが、シビル・アビディというフランス人ボクサーである。2000年のK-1グランプリでの活躍は、彼の人気に火をつけたと言ってもいい。
アビディの魅力や強さの秘密について、筆者なりの感想をつづっていこう。
彼は決して大柄ではなく、むしろK-1選手のなかではスリムな部類に入る選手である。また体型もそれほどビルドアップされてはいないが、動きが豹や狼のように敏捷で、しかもやわらかい。要するにナチュラルなのである。素質だけでも十分に強さを発揮できる、その意味で天才肌のファイターと言ってもいい。少々ほめすぎと思われるかもしれないが、彼の戦いぶりを見た人なら、おそらく同意できるはずだろう。
まあ、ここまでは、マスコミなどでも比較的よく語られていることではある。
では筆者は、彼に対して他にどんな印象を持っているのか? ……じつは、筆者が彼の凄さを感知することができたのは、リングの上ではなく、リングを離れた、ふだん着のすがたを見たときなのである。
一言でいうなら、物凄くリラックスしている。武道のことばでいうと、「脱力」が十分にできている。武道の達人などでも、腕のある人ほどふだんは殺気の感じられない、ゆるやかな表情をしているが、その印象に近いものがある。しかも、20代前半でこうした「極意」を身につけているのだから、末恐るべし、というところか。
どうやら雑誌のインタビューなどによると、彼はもともとかなりの不良少年で、荒くれ者の多い郷里のマルセイユでは、相当に暴れた過去があるようだ。
将来の進路を選ぶときも、「ファイターかマフィアか」で迷ったというほどだから、おそらくそうした危険な環境のなかで生き延び、勝ち上がっていくことで、持って生まれたファイターとしての資質を、無意識に養っていった。……単純にそう言いたいところだが、誰もが彼のような「脱力」の感覚まで体得できるわけではない。
よほどの修羅場をかいくぐっても、人には自分を守ろうという意識が働くため、なかなか「力を抜く」ことはできない。むしろ、ガチガチに力んでしまうほうが普通である。しかしそうしたファイターは、往々にして、もろさや弱さを持っている。それを筋肉やテクニックで補おうという発想に向かってしまうのである。
その意味で、彼がどうやってあの「ゆるやかな表情」を手に入れたのか? 天性のものなのか、何か転機があったのか? ……詳しい経緯はわからないが、仮に筆者が取材する機会があるとしたら、興味の焦点はそこにある。この「脱力」の感覚は、筋力やテクニックなどと異なり、彼が生涯にわたって活用していけるものだからである。
すでにお気づきの人もいるかもしれないが、アビディの「脱力」ぶりは、日本格闘技界の「救世主」といわれる、桜庭和志のそれと重なり合う面がある。
桜庭は、アビディのような不良少年ではなかったようだが、やはりおなじ感覚を手にしている。つまり、多くの人はまず力を入れることで何かを身につけようとするが、彼らのようなタイプは、まず抜くことからはじめる。だから、強さを発揮できるのである。
じつは、「脱力」をキーワードとした場合、筆者の脳裏には、もうひとりのある大物格闘家のすがたが思い浮かんでくる。……意外と思われるかもしれないが、グレコローマン・レスリング130キロ級で五輪3連覇、前田日明の「引退試合」の相手ともなった、ロシアの国民的英雄アレキサンダー・カレリンである。
カレリンは、ハラの大国ロシアの生んだ芸術品とも言える存在だが、190センチ、130キロというその巨体は、一見すると筋肉の塊のように思われながら、じつはモチのようなやわらさが感じられる。といって、もちろんプヨンとしているわけでもない。やはり、非常にナチュラルなのである。……前田との一戦や五輪での試合を見るかぎり、筆者には、そんなイメージが湧いてくるのである。
しかもカレリンは、試合の前などにユラユラ身体を揺らすことで、ごく自然にこわばりをほどき、「脱力」させている。
そもそも、上体の力が最も必要とされるグレコローマンのスタイルでは、力の使い方が勝敗の鍵となってくると言われている。つまり、必要なときに瞬時に力を入れ、それ以外のときはスッと抜いておく。……口でいうのは簡単だが、試合中に「抜いている状態」でいられるのは、なかなか難しいはずである。カレリンの強さは、恵まれた体格だけでなく、そうした能力にあると思われるのである。
つまり、ひるがえって考えるなら、我々がアビディのファイトに驚嘆し、拍手を贈るのは、彼がただ単に勇敢だからではない。その動きがナチュラルで、美しいからである。そしてその美しさは、「脱力」ができてはじめて得られるものである。天才と言ってしまえばそれまでだが、彼もまた、そうした天才のひとりと言えるはずだろう。まあ、まだまだ荒削りであり、それが魅力ともなっている段階にいるわけだが……。
けっきょく去年のK-1は、彗星のごとく現われたアビディが、旧世代の天才タイプであったピーター・アーツを連破することで、何か新しい才能の台頭を予感させた一年だったと言える。そして、おそらく今年は、その傾向に拍車がかかってくるだろう。とくに、彼がまったくタイプの異なる、長嶋茂雄に対する王貞治的なファイターであるホーストと戦うことで、どんな化学反応が見られるか……、そこが面白さの鍵となってくるはずだ。ホーストが彼の壁となりえることも、十分考えられるだろう。
……なかなか勝てない日本人のなかに、「アビディ」が現われることはあるだろうか?らつ腕プロデューサーとしてK-1を築き上げてきた石井氏も、こと選手の育成に関しては、新しい発想が求められているのかもしれない。
投稿者 長沼敬憲 : 2001年02月01日 10:40