2001年02月01日
船木は、なぜヒクソンに敗れたのか?
ご存じのように、ブラジルには、W杯クラスのサッカープレーヤーたちをはじめ、極真空手の世界王者となったフランシスコ・フィリオ、あるいはF-1の故アイルトン・セナなど、数々のスポーツアスリート、格闘家を生み出す土壌がある。
本編で取り上げる格闘家ヒクソン・グレイシーも、そうしたトップのひとりであり、柔術やフリーファイト(ブラジルではバーリ・トゥードと呼ばれる)の試合において、「400戦以上無敗」という信じられない戦積を残してきたと言われている。
このブラジルに柔術を伝えたのは、「柔道」を創設した嘉納治五郎の弟子で、前田光世(通称、コンデ・コマ)という人物である。つまり、もともと高い身体能力を持っていたブラジル人のもとに、日本の武道の技術がもたらされた。その両国の伝統の「合作」というべき存在が、伝来から70年余の時を経て現われた、ヒクソンという格闘家と考えてもいい。これだけでも、彼の強さの本質が、幾分か想像できるだろう。
一方、ヒクソンと対戦した船木は、その武道の国・日本で一時代を築いてきた格闘家である。しかも、人気がある。そのため、1億とも言われる高額なファイトマネーを要求するヒクソンの対戦相手として、白羽の矢が立ったわけである。
ただ、ここで気づかねばならないのは、日本には、明治時代以来、欧米の文化を取り入れることで自分たちの武道的な伝統を喪失させてきたという過程がある、ということである。筆者に言わせれば、そうした文化の「喪失=取り込み」の構造こそ日本の歴史の特質であり、それをマイナスとして受け取る必要は必ずしもないと言えるわけだが、いずれにせよ、いまの日本人は昔より相対的に「弱く」なっている。もちろん船木も、そうした歴史の先端に位置している以上、少なからずその影響は受けている。
言ってみれば、彼とヒクソンの試合を見ることで、間接的ながら、いまと昔の日本人の「強さ」の差というものが、否応なく浮き彫りとなってくる。……両者の対戦が決まって以降、筆者はそのようなイメージを抱いていたわけである。
さて、当日の試合(2000年5月26日・東京ドーム)だが、メインの船木×ヒクソン戦のほかにも、なかなか興味深いカードが組まれていた。少々マニアックになってしまうが、筆者が注目していたのは、第1試合の近藤有己×サウロ・ヒベイロ、第5試合の金原弘光×マリオ・スペーヒーの2試合である。ともに日本人対ブラジル人という組み合わせであり、おなじ対決図式にあるメインの試合の展開を読む上でも、格好の目安になると考えられたからだ。
まず、第1試合の近藤×ヒベイロ戦について、簡単に触れさせてもらおう。
じつはこの両者、ともに船木とヒクソンの一番弟子同士である。その意味ではなかなかニクイ組み合わせとも言えるが、結果はというと、試合開始早々、近藤の打撃がヒットし、柔術の猛者として知られるヒベイロに何もさせぬまま、秒殺のTKO勝ち。メインで戦う師匠・船木に対して格好のエールとなったと多くの人は感じたかもしれないが……、じつはこのとき、筆者の脳裏にはまったく逆の思いが浮かんだ。
すなわち、近藤の勝ち方のパターンは、筆者のイメージしていた船木の勝機(それも数少ない)とそっくり重なっていた。もちろん、近藤の責任?というわけではないが、こうした試合を見れば、ヒクソンの意識もふだん以上に警戒する。
そもそも、ひとつの興行でおなじパターンが2度繰り返されるとは考えにくい。
つまり、まったく皮肉な結果ではあるが、結果的に近藤は、船木の勝ちの目を摘んでしまった。逆にヒクソンは、愛弟子の予想外の敗戦によって、じつはより優位な位置を確保した。なにやら不思議とも言える勝負のあやに、筆者は、やはり「強者」には運も味方するのか……? と、漠然とながら思いを抱いたわけである。
では、金原×スペーヒー戦はどうだったのか?
ふたりとも一般の知名度こそないものの、金原は実力では船木にも劣らない若手のトップ選手であり、かたやスペーヒーも、ブラジルではヒクソンと同格の実力者とも見なされる強豪中の強豪である。メインの対戦の目安ということだけでなく、日本とブラジルの格闘家の力関係が、ここでも十分に見て取れるはずだ。
……と、そのような期待のもとにこの一戦を観戦したわけだが、結果を言うならば、スペーヒーの強さが非常に目立った一戦だった(3ー0でスペーヒーの判定勝ち)。金原も彼の動きに懸命に対応していたが、はた目にも実力差が感じられた。なるほど、これが現時点での日本人の「現実」なのかと、妙に納得したほどである。
要するに、この一戦を見終えた時点で、筆者はかなり「暗い」気持ちになっていた。
会場にやってくるまで抱いていた船木の「可能性」が、当日の試合が進行していくにつれ、ことごとく封じられてしまったからだ。……そして、結果はというと、試合開始後約11分、ヒクソンの裸締め(チョーク・スリーパー)によって、船木は失神、レフェリーストップ負け。この一戦を最後に、彼は三十一という若さで現役引退を表明したわけである。グラウンドの攻防の際に放ったパンチによって、ヒクソンの左目を負傷(骨折)させたことは、その意地の現われとも見て取れるわけだが……。
やはりヒクソンは強かったというのが、試合後の筆者の感想である。
こうして見ると、日本人とブラジル人の間には、まだまだ一定の実力差が潜んでいることがわかる。おそらく、いまのブラジル人は、世界有数のスポーツアスリートの資質を有していると同時に、明治のころの、わずか30数年で近代化を成し遂げ、日露戦争に勝利した日本人とも、同じくらいの身体感覚を持っていると言うことができる。100年ほど前の日本人なら、それくらいの実力があったと想像できるわけである。
いわばわれわれは、そのころを境に、少しずつレベルを落としていった。
しかし、ここ数年、とくにミレニアムへと近づいていく過程で、船木の次の世代にあたる選手たちのなかから、徐々に新しい強さを持った(言い換えるなら、過去の強さに「先祖返り」した)逸材が現われはじめている。
ホイラー、ホイス、ヘンゾ、ハイアン……と、ヒクソン以外のグレイシー一族を次々と撃破した桜庭和志の存在などは、まさにその象徴だろう。
おそらく、いまから10年後、2010年を迎えるころには、両者の差は相当に縮まり、ジャンルによっては逆転しているものも出てくるはずだ。とくに、人材が集まりやすい環境にあるサッカーなどは、相応の成果を出していると思われる。それらの「理由」については、「スポーツは『武道』である!」(「サムライ」)のなかでも多少述べているが、要するに、いまの日本にはかなり期待が持てる要素が揃っている。そしてブラジルは、先ほども触れたように、そうした「進化」のひとつの目安となりうる国なのである。
……世紀の境目の東京で繰り広げられたふたりの格闘家の戦いは、こうした位置付けのもと、後世に語り継がれることになるだろう。
投稿者 長沼敬憲 : 2001年02月01日 08:54