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2001年06月07日

W杯のポイントは、「日本×ロシア」にあり!

 W杯(ワールドカップ)が開幕し、先日、開催国・日本がベルギーと対戦。2対2のタイスコアで、歴史的な「勝ち点1」を獲得した。
 筆者もテレビで観戦していたが、確かに日本は強くなっている。
 開催国ゆえサポーターの応援がプラスに働いたという声もあるが、数年前なら逆にそれをプレッシャーに感じ、試合を落としていたかもしれない。その点から見ても、選手たちはずいぶん図太くなってきている。そう、ハラができてきた。

 中でも特筆すべきは、チームの顔とも言うべき、中田英寿の「成長」だろう。
 パルマであれだけ試合に出れない状況が続いたにもかかわらず、つねに同じテンションを保っていられる。これはメジャーリーグで活躍するイチローにも言えるが、じつはこの「同じ」でいられることが、「成長」の本質なのである。
 つまり、同じでいられる度合が深まれば深まるほど、自己肯定の意識が高まる。その意識が、新たな技術を身につける余裕を生み出す。技術を身につけることばかり考えても、それを可能にする状態が生まれねば、意味がない。そうした「極意」を自然と身につけているところに、中田が頭ひとつ存在感を見せている要因がある。

 もう少し中田の強さのメカニズムを、筆者の視点でひもといてみよう。
 先に書いた「自己肯定の意識」は、身体感覚でいう「ハラを養う」ことと表裏一体の関係にある。ハラの強さはサッカーという競技では「当たりの強さ」という形で現われるが、中田の場合(本人が自覚しているかは別に)、そうした能力としてだけでなく、もっとメンタルな、精神面での落ち着き、ひいては自分に対する肯定感にも結びついている、だから逆境に強い、たくましい……となるわけである。

 また、ハラの強さは、健康面、体調面にも如実に現われるだろう。
 ハラは一般に身体の重心の位置に宿る意識のかたまりとしてイメージされているが、このかたまりは多くの場合、球の形をしていて、それ自体が生き物のように活動している。例えるなら、高速回転するコマ。このコマを下半身に宿すことで、「当たりの強さ=まわりの弱いコマをはじく力」を得るだけでなく、ケガや病気をはねのけるバイタリティーの源としても効力を発揮する(詳しくは拙著「サムライ」の3章を参照)。

 中田に次ぐ期待の星として小野伸二の名前が挙げられるが、Wカップ直前に虫垂炎に罹ったように、このコマの回転度においては、まだまだ弱い面がある。
 逆に言えば、激戦地ヨーロッパで4年にもわたって戦い続けながら、ケガらしいケガをしたこともない中田は、この面においては世界トップクラスと言えるだろう。そして、彼のような頑丈さは、昔の日本人ならばごく当り前に持っていたものなのである。野菜嫌いの中田と、動物性たんぱく質をあまり摂らなかった昔の日本人。一見すると対照的だが、こと身体感覚を磨くという点で共通した要素を持っていた。そこに先祖返り現象の進む昨今の日本の状況がかいま見えてくるのである。

 さて、こうした先祖返りの現象は、選手たちの成長からだけでなく、日本サッカーを取り巻く状況の中からもいくつか見い出すことができる。
 その象徴は、今回のW杯の日本の対戦国にロシアが含まれていることだろう。ロシアはFIFAのランキングで24位(日本は33位)。しかし、この数字以上の実力とも見なされており、ヨーロッパの強豪国との差もさほどないと語る識者は多い。

 じつはこの状況、お気づきの方もいるかもしれないが、今から百年前、日露戦争で激突した当時の両国の国際的ポジションと非常によく似ている。
 「サッカーの本質は戦争である」と言われているように、そこには帝国主義時代の国家紛争や国際競争をバーチャルに再現した側面があり、東洋の一弱小国(ヨーロッパの国々から見れば)に過ぎなかった日本が徐々に成長し、世界の大国に肩を並べていく過程と相当に重なり合っている(つまり、同じような状況が形成されている)。

 しかし、筆者が関心を抱くのは、そうした類似より、日本とロシアの因縁である。
 この両国は、遠い過去、同じ祖先(北方系モンゴロイド)から分かれ出た、DNA的にはきわめて近しい関係にあると考えられている。また、そうしたデータだけではなく、ロシアに関わりのあった人たちの発言などを耳にしても、人としての気質に関しては、じつはアメリカ人などよりもずっと日本人に近いものが感じられる。

 その意味では、国交がアメリカ並みに開けていけば、両国の関係は急速に進んでいく可能性がある。懸案である北方領土問題にしても、互いの納得する形で案外スンナリと解決されるかもしれない。筆者などは、21世紀は日米関係より、日ロ関係のほうがずっと深めていける可能性があるとさえ感じているのである。

 ……こうした条件を互いが宿しているにもかかわらず、日露戦争の時も、終戦間際のソ連参戦やシベリア抑留、あるいはその後の冷戦に際しても、政治的にはなぜか対立する形でしかめぐり合わせがやって来ない。しかも、そうした因縁が、どういういたずらか、この時期、W杯の組み合わせにまで及んでしまっている。

 スポーツには、社会の状況を先取りする形で、象徴的なヒーローやシチュエーションを生み出す場合が、往々にしてあるだろう。
 その面で見るならば、バーチャルな日露戦争とも言える日本×ロシアは、今大会の隠れたポイントマッチと言ってもいい。日本はロシアに勝つことができれば、やがてヨーロッパや南米などのランキング上位国に肉薄していく大きなステップを得るだろう。その点では、ベルギー戦以上に、きわめて重要な一戦である。

 また、サッカーの勝敗を抜きにしても、多くの人が両国にまつわるこの妙な因縁を自覚したならば、我々の認識する「東洋」は、一気にユーラシア大陸の3分の2までに及んでいく。ロシア人の身体感覚のベースは、広大なシベリアの大地で培われた融通無碍なハラ感覚にある。島国の中で自らのハラを研ぎ澄ませてきた日本人からすれば、共感と同時に憧れをも抱けるという点で、興味深い可能性を有している。

 ……少々サッカーの話題から離れてしまったが、この競技が競技の枠を超えて世界と結びついている以上、偶然的な組み合わせの中にも無数の必然が絡んでいる。それを感知し、読み解くことで、自らの身体感覚は養われていくのである。
 さて、日本はロシアに勝つことができるだろうか? サッカーファンにすればそれが重大事だが、その先に広がる景色についても思いを馳せてみるべきだろう。

投稿者 長沼敬憲 : 2001年06月07日 08:05

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