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2002年07月04日

田村潔司に見る「自己プロデュース」の難しさ

 一般への知名度はまだ少ないが、格闘技界には田村潔司という才能溢れる選手がいる。 ヒクソン・グレイシーに敗れた船木誠勝の後輩、そしてホイス・グレイシーに勝った桜庭和志の先輩にあたり、彼自身はヘンゾ・グレイシーに勝っている。

 こんなグレイシーの名を並べてもピンと来ない読者もいるかもしれないが、ブラジル出身の彼ら一族は、90年代以降、日本伝来の柔術を武器に頭角を現わし、こと日本の格闘技界にとっては黒船のような存在として脅威を与え続けてきた。
 ヒクソンは船木らの先輩・高田延彦を2度にわたり連破し、ホイスはアメリカの金網マッチで無敗を誇った。ヘンゾも、誰もが知っている戦積こそ少ないが、グレイシー一のテクニシャンとして、確固たる地位を築いてきたファイターである。

 高田が敗れて以来、こと彼らが所属していた格闘技系プロレス団体「UWF」出身のレスラーたちは、打倒グレイシーを意識し、メディアもファンもそれを支持した。そして、全体の気運が盛り上がることで、断続的にグレイシー×UWFのカードが組まれはじめた。その中のキーマンとして田村もラインアップされていたのである。
 グレイシー×UWFの一連の戦いは、1999年から2000年夏にかけて、大まかに次の6戦が語り継がれている。
 
 ○桜庭和志(レフェリーストップ)ホイラー・グレイシー×
 ○ホイス・グレイシー(判定)高田延彦×
 ○田村潔司(判定)ヘンゾ・グレイシー×
 ○桜庭和志(TKO)ホイス・グレイシー×
 ○ヒクソン・グレイシー(レフェリーストップ)船木誠勝×
 ○桜庭和志(レフェリーストップ)ヘンゾ・グレイシー×

 この時点ではそれぞれ所属する団体なども異なり、カードが決定した経緯もバラバラ。にもかかわらず、それがひとつの数珠つなぎのドラマのようと化したあたり、何やら因縁めいており、時代に後押された妙なリアリティを感じさせる。 
 しかもさらに因縁めいているのは、船木、田村、桜庭の生年がみな1969年にあるということ。そのくせ三者は中卒、高卒、大学中退とキャリアが少しずつスライドしており、それぞれ似て非なる人生を歩んでいる。こと自ら団体を立ち上げた船木、先輩高田の設立した道場に所属している桜庭と比べ、田村の位置は最も微妙だ。

 ヘンゾと戦った当時の田村は、やはり先輩にあたる前田日明が主宰する「リングス」のトップ選手として活躍していた。ある意味、最も輝いていた時期であったと言えるかもしれないが、彼はリングスと契約を交していながら、自らジム(U-FILE-CAMP)を設立し、あくまでその所属選手としての立場を貫いていた。

 プロデュースする側の前田としては、非常に扱いにくい存在だったに違いない。
 しかし今にして思うと、リングスで戦っていた時期の田村は、デビュー時から一歩一歩階段を上がり、ヘンゾとの一戦も彼自身の勢いがピークになったところで図らずもマッチメークが実現し、判定ながら劇的な勝利を飾ることができた。また90キロ弱の軽量ながら同団体の無差別級王者に輝くなど、名実ともエースの座に君臨している。

 こうした彼の成功の背景には、明らかにプロデューサー前田の才腕が見え隠れする。前田には選手の才能を見抜き、引き出す、先天的な感性があるからだ。
 しかし、ピークのあとには当然、下降期もあるだろう。ヘンゾ戦以後、徐々に歴戦の疲れが見えはじめていた田村は、結果としてリングスを離脱。いろいろ考えはあったにせよ、恩ある団体を活動休止に追い込む大きな要因を作ってしまった。

 このあたりの是非については、この稿のテーマではない。
 前フリが長すぎたかもしれないが、ここで筆者は先般行われた「プライド21」(2002年6月23日・さいたまスーパーアリーナ)での田村の敗戦について感想を書こうとしている。70キロもの体重差のある元NFLプレイヤー、ボブ・サップにわずか11秒でTKO負け。たえずファンからの期待に応え、カリスマとすら言われてきた男にしては、あまりにみじめな結果である。

 そもそもこんな無謀なマッチメークを確たる勝算もなしに引き受けたことも、いや、さかのぼるなら、「プライド」初登場となった前大会でいきなりミドル級王者ヴァンダレイ・シウバとタイトルマッチで対戦、十分らしさを発揮できぬままにKO負けしたこと、それ以前に1年近くものブランクがありながらそんなオファーを受けてしまったことも、ハッキリ言って彼が選択したことのすべてが裏目に出てしまっている。

 べつに前田のもとを離れたこと自体を、あれこれ非難しているわけではない。 
 筆者が言いたいのは、自己プロデュースの難しさである。田村は確かに才能ある選手だし、若手育成などを念頭に置いたジム経営にも十分力を尽くしているだろう。しかし現在の彼にプロデュース感覚を持ったアドバイサーがいるとは思えない。

 すべてを自分の意思で切り開いてきた男も、「プライド」のように巨大な商業主義を内包したイベントの前には、いとも簡単に飲み込まれてしまう。
 シウバとのタイトルマッチにしても、田村をこれから育て上げ、スターにしていこうという発想は感じられない。その時点で最も話題になるという判断で彼に白羽の矢が立ち、さして先々のビジョンも描かれぬまま、見切り発車で決定された感がある。「プライド」には「プライド」の思惑がある以上、要はこんなオファーに乗ってしまった田村に問題がある。サップとの一戦にしても、話題作り以外の何物でもないではないか。
 
 報道などを見る限り、おそらく田村は、自分自身で交渉の場についたのだろう。
 選手にはヘンな意地があるから、結果として弱みを見せられず、時に貧乏クジを引いたりもする。そうしたケースを避けるためにも、そこそこ名のある選手なら最低限マネージャーの存在は必要。すでにいるというのなら、選手以上に彼のクオリティーを上げる努力が問われてくる。「プライド」のようなマッチメーク本位のイベントが大きな力を持っている以上、選手たちの側に賢さが求められている。

 前田というプロデューサーと距離を置いてしまった田村は、この当り前とも言えるカラクリに気づけない限り、なかなか再起は難しいだろう。
 そもそも人はうまくいかない時、往々にして自分の才能のせいにしてしまう傾向にあるが、そうではないところに多くの原因が隠されている。ごく当り前に言えば、自分以外の存在によって自分は作られている。自己プロデュースに最も長けた存在として小川直也の名を挙げたら、このあたりが理解できるだろうか? 彼が師であるアントニオ猪木を頼っていないのは、そうした感覚ゆえのことなのである。

投稿者 長沼敬憲 : 2002年07月04日 07:57

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