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2002年11月27日
野獣ボブ・サップはなぜ「出現」したか?
今年の格闘技・プロレス界の最大の事件と言えば、おそらくB・サップの出現だろう。
巨体(200センチ・160キロ)でありながら、パワーのみならず、スピード、跳躍力と抜群の運動神経。格闘技とプロレス、はたまたバラエティー番組をもボーダレスにこなしてしまう対応力。ビースト(野獣)を自称しながら、じつはワシントン大学の学生だったという、見た目(肉体)と知性(精神)のギャップ……。
総合格闘技では、現PRIDEヘビー級王者A・R・ノゲイラをあと一歩まで追い詰め、K-1では3度の王者経験を持つ“ミスター・パーフェクト”E・ホーストを撃破、わずか3戦目にして、12月のGPトーナメント進出を決めてしまった。また、プロレスのリングで、中西学(新日本プロレス)やG・ムタ(=武藤敬司/全日本プロレス)といったトップレスラーを破ったことも記憶に新しいだろう。
K-1の創始者で、サップを紹介した張本人である石井和義館長は、ホーストの敗戦のあと、「K-1の歴史が覆えされた」と心境を告白。氏に限らず、彼がもっと技術を磨いていけば、総合でもプロレスでも勝てる選手はいなくなる、つまり「やはり力が技術に勝るのか」と危惧(?)する専門家、ファンは多いようだ。
力が技術に勝る……、これは筆者が作品の中で繰り返し語ってきた「柔よく剛を制す」の発想とは、ちょうど対極に位置している。
やはり、体を大きくし、筋肉を発達させたほうが強さが発揮できるということなのか?
筆者は必ずしもそうは思っていない。もちろん、リングという四方が囲われた特殊な空間の中で、しかもルールによって数々の禁じ手が設けられている以上、能力が接近している場合、「体の大きな方が有利」であることは確かだろう。
特にK-1は、興行の成功を重視していることもあり、その源流である空手やキックボクシングなどよりもKO決着のつきやすい、打ち合うことを前提にした、非常にシンプルなルールが採用されている。つまり、細かい技術よりも、ここ一番のパワーがモノを言うケースが、競技そのものに内在している。それがサップの活躍を後押し、技術の象徴とも言えたホーストの敗戦につながったと言えるわけである。
その意味では、よりルール制限の少ない総合格闘技のほうが、ノゲイラが腕ひしぎ逆十字を決めたように、サップ攻略の糸口はある。さらにルールの曖昧なプロレスともなれば、サップと言えど対戦相手の呼吸を読み取り、試合を作らねばならないので、キャリアの長い選手の術中にはまり、敗れる可能性も出てくるだろう(いまはサップの商品価値が高いので、まだ“お客さん状態”であると考えてもいい)。
と、一般論(?)をずいぶん展開してしまったが、「柔よく剛を制す」の話に戻ろう。
サップの出現は、従来のヘビー級選手ですら「剛」では対抗できない状況を生み出している。「剛」に頼って戦ってきた選手も、「柔」の感覚に目覚めなければ、ホーストですらそうだったように、あの圧力に押しつぶされるだけに終わってしまう。
しかし、考えてみてほしい。これは逆に言えば、格闘技が進化するひとつのチャンスと言えないだろうか? その進化の必然として、サップのような怪物が現われた。そう捉えることで、単純な勝ち負けだけでない、戦いそのものの本質が見えてくる。
なぜなら、サップのような逸材が出現したのは、武道の発祥国である日本において、格闘技やプロレスの人気が定着し、「銭の稼げるジャンル」として注目される状況にあるからだ。ジャンル的にボーダレスな要素を内包しているので、何らかの競技経験のある逸材なら、他の競技以上に容易く取り込むことも可能である。
そうなると、競技レベルそのものも高まってくる。たとえばサップのような選手が現われれば、多くの格闘家は心穏やかでなくなる。攻略法を真剣に考えざるをえなくなる。人は追い詰められることで、知恵を身につけ、成長を遂げてきた。これまでのやり方が通用しなくなれば、大半が淘汰され、没落したとしても、諦めなかった一部の層の中から過去にない「本物」が生まれえる。いまをときめくサップにしても、巨視的に見れば進化を続ける格闘技界の「徒花」になりかねない可能性を有している。
日本人がかつて武道などを通じて「柔」の感覚を身につけてきたのは、小柄であるがゆえ、ただ力任せに強引に押し切るだけでは何事も「うまくいかない」という現実を、歴史の中で繰り返し味わってきたからと言えるだろう。
身体が小さくとも、五体を有効に活用すれば巨大な力を制し、逆に利用することもできる。それは、大相撲で小兵力士が繰り出す奇襲戦法のような単純なものばかりではなく(なぜならそれは2度目には通用しにくくなる)、数学の公式のように様々な場面に応用できる力学的な原理やコツのようなものと考えたらいい。
合気道などでは、歴史とともに形骸化してしまった部分も少なくないと言われるが、この原理やコツが習得できれば、人生の中で自由自在にふるまえると説いている。リングという限定された空間の中で勝ち負けを競うことでは、その力は100パーセントは発揮できない。だから、試合という形式を採用していない。
もちろん、その原理を試合で用いたいなら、自らの創意工夫によって用いたらいい。
それも人間の発揮する可能性のひとつであり、限定された空間であろうとサップを破る「小兵」の選手はいくらでも出てくる可能性がある。「これまでにない体験」に思考停止するのではなく、逆に従来の固定観念を捨てる努力をすること。山根一眞氏の「メタルパワーの時代」などを読むと、格闘技にかぎらず、日本という国を押し上げてきた技術革新は「そんなこととても無理だ」という状況から始まっている。無理だろうがやらねばならないから、過去の限界を打ち破る知恵が生まれるのである。
さて、間近に迫ってきた今年のK-1GPでは、1回戦でサップとホーストの再戦が急遽、組まれたようだ(サップの対戦相手だったS・シュルトの負傷による)。
サップが返り討ちにすれば、P・アーツやJ・L・バンナらとの対戦の可能性も出てくる。彼のスタミナがどこで切れるか、逆にどこまで野獣のパワー=勢いが持続するか……、いずれにせよK-1ファイターたちに彼のデータは蓄積される。創設から10周年を迎 えるこの時期に彼のような異分子が現われるあたり、優勝占いなどより、もしかしたら石井館長の「強運」に注目したほうがいいのかもしれない。