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2004年08月17日
アテネ五輪に思う……。
現時点で柔道の野村、谷、水泳の北島が金メダル、柔道の横澤が銀メダル。サッカーは予選敗退してしまった。ソフトボールもオーストラリア、アメリカに敗れ、ちょっと苦戦している。でも、大舞台で物おじしない、勝負のできる選手が全体に増えてきている印象を受ける。そう感じた人も多いだろう。
日本はスポーツ育成にあまり熱心ではない。でも一般家庭は平均的にお金は思っているから、みなある程度の環境でスポーツができる。これは恵まれた状況だろう。「サムライ」にも書いたけれど、ハングリーさをあまり前提にしなくても、楽しむ・追求するという感覚で技術を磨いていける。
でも反面、やはりハングリーさの求められる状況の中では、特に相手との実力が拮抗している場合、どうしても「勝負弱さ」が出るようだ。
イチローくらいに技術がずば抜けてしまうと関係無くなるのかもしれないが、ことサッカーなどはDNAの部分で負けた面もあるように思う。
山本監督はもう少しロジカルに分析すると思うし、それは必要なことと思うけれど、最後の詰めの部分の克服は容易でないかもしれない。日本が民族的にこの島国の中で培ってきたものが、善かれ悪しかれ影響しているわけだから。
ぼくなどはこの部分でスポーツと自分の現実との「距離」を感じてしまう。なぜかというと、スポーツのなかで表れる「勝負弱さ」は、人生のすべての局面において悪であるとは言えないものだから。
それは他者に対する寛容さや優しさ、よく言われている和の精神にもつながってくる。こんなものはいらないとか、生き馬の目を抜く国際社会では役に立たないなんて言う人もいるかもしれないが、そうだろうか? この部分を自覚して伸ばすことで「らしさ」が出てくる場合もある。らしさを発見し、物にできた人は強い。強いとはそういうことなのだが、スポーツという枠では必ずしもそれが養えない。
そんな状況の中で、それでもある程度の結果を出せている日本の現実は、ぼくから見れば凄いと思う。
この凄いというのは北島が金メダルを取ったから凄いとか、度胸が座っていたから凄いとか、そういう即物的な(と言っていいのかな?)感想とは違う。
相変わらず日本は他人の土俵で相撲ばかりして、しかもその状況がほとんど見えていないお目出度さのなかで、初めから土俵の中にいる世界の人たちを時に凌駕する。これを凄いと思えるかどうかが、多分に問われているわけだけれど。
いずれにせよ、あれだけのプレッシャーと慣れない環境の中で、運すら味方に引き入れメダルを取る人というのは、やはり並みではない。柔道の高松みたいによりによって大会の直前に高熱が出て、力が入らなくて一回戦負けという人もいる。この違いは実力の差などと簡単に言えないことは明らか。
しかしぼくは思う。世の中というのは(決して負け惜しみとか同情なんかではなく)、勝ち負けがすべてではないし、要はそこでの理解が重要なのだということ。
勝負師は勝つことばかりに囚われているし、囚われないとなかなか勝ち上がれない現実もあるが、仏教なんかではそれは「修羅」と呼ぶのだそうだ。
宮沢賢治は自分の中にこの修羅を見い出し、これが苦しみの原因なのだと自覚していた。苦しみをどう捉えるかという問題もあるわけだ。
ぼくなんかが思うのは、やはり努力があるから勝利があるなんていう発想では頭打ちではないか? ということ。
日々常々思うことだけれど、要はいかに努力の量を減らしながら、自分自身の「らしさ」を出していけるか。わかるかな?
「らしさ」というのはスポーツで言えばパフォーマンスになって表れる。いい結果を出すことよりも「らしさ」を出せたほうが、人は満足ができる。個々のパフォーマンスを通じて「らしさ」が発見できることに、喜びがある。
この仕組みが理解できると、多分スポーツの意味も変わってくるだろう。人の欲とはエネルギーのことだから、もともとエネルギーの強い人はオリンピックのような大舞台で「らしさ」が出せる。
それは繰り返すまでもなく凄いことだけれど、草野球のなかでその「らしさ」を発見し、発揮し、それが日常で生かせる人なんて言うのも、無名の極みというか、ぼくなんかから見ると相当にカッコイイ。
思えば、オリンピックという場を通じて、こうしてあれやこれやと考えたりできることが、一番意味のあることなのだろう。
自分なりの理解をたくさん吸収して、それが現実の中に反映していけたらいい。それは競技のように形には具体的に表れないから、直接評価されたりするものではない。
因果関係のわからない人にはピンと来ない話のようにも思う。でも、この見えないものをたくさん持てることがじつは凄いことだとわかれば、日本にいながらにして、テレビを見る程度でもいろいろ貴重な体験ができるわけです。オリンピックに出れたから貴重な体験をしているなんて思わないことです。
投稿者 長沼敬憲 : 2004年08月17日 17:45