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2004年10月10日

“オレ流”落合博満の「凄み」を分析する

 中日ドラゴンズが、就任1年目の落合博満監督のもと、リーグ優勝を決めた。
 よく語られているが、落合は監督就任時の会見の時点で「補強をしなくても、今いる選手が底上げすれば優勝できる」と宣言していた。
 野球というものを基本的にすべてわかって行動している人だ。球界のなかでも有言実行を明確な形で実践できる数少ない一人だろう。
 といっても、筆者は熱狂的な落合ファンでも、野球ファンでもない。そんなニュートラルな?視点から、落合博満という人間の「凄み」について探ってみよう。

 落合のことを知ったのは、中学生の頃だったと思う。学研だかが出していたムック本に、落合のインタビューが載っていた。
 潜在能力の開発をテーマにした本だったと思うが(そういうのが結構好きだった)、何気なく読んでいくと……「箸持つ感覚でバットが触れたら10割打てるよ」というコメントがあった。
 他の内容は忘れてしまったが、この箇所だけは折に触れ何度も思い出した記憶がある。一種の禅問答みたいなものだが、何か物事の奥義の一端を語っているような印象を受けたものだ。

 この印象は、後年になって筆者のなかではイチローの活躍とつながっていった。あの時落合が語った感覚というのを、いま体現しているのがイチローなんだろうな……という理解である。
 しかし当の落合は、実際にどうだったんだろう? という疑問も湧いた。
 特に巨人に移籍して以降は、マスコミへの露出は増していたし、筆者もテレビで彼の打撃を何度となく目にしたが、全盛時をリアルタイムで見ていないこともあって、何となく物足りなさを感じていたのである。
 確か長嶋監督がメイクミラクルを果たした年、日本シリーズの大事な一戦で足の負傷をおして懸命に一塁に走る彼の姿が焼きついている……。

 結局、体力が衰えたのだと感じた人は多かったかもしれないが、筆者の場合「箸持つ感覚」のコメントがあまりに印象に残っていたため、それだけの理由ではなかなか納得はできなかった。
 それで確か「サムライ」を執筆していた時、いい機会なので落合の本も読んでみようという気になったわけである。手にしたのは、「野球人」という彼が引退直後に出した書き下ろしだ。
 案の定というわけではないが、そこにはものすごく興味深い記述が載っていた。

 86年の日米野球第3戦(西武球場)、第1打席のことだったようだ。

 ……マウンドには、エース格のモリス。出足がよかったこともあって、私は自信を持って打席に立っていた。そして、モリスの投じてきた渾身のストレートを真芯で捕らえた。快音を残した打球は、バックスクリーンに向かって一直線。手ごたえも十分だった。
 しかし、一塁ベースの手前で打球の行方を追うと、フェンスの手前で急激に失速し、何でもないセンターフライのようにマーフィーのグラブに収まっていたのだ。
 私は大きなショックを受けた。芯を確実に叩いて力負けしたのは初めての経験だった。……

 私はメジャーの投手が放ってくるボールを5くらいの力で弾き返していた。つまり、メジャー流の投球に日本流の打撃で対抗していたのだ。そして、(*日米野球の第2戦までで)7打数4安打という結果を残していた。しかし、この打席でのショックが尾を引いたのか、次の打席からは10の力をもってボールを打ちにいったのだ。
 結果は、ヒットを1本放ったものの、自分本来のバッティングとはかけ離れたスイングをしてしまった。……私の中には、モリスの投球を確実に捕らえた時の感触と、その打球が急激に失速したシーンだけが強く残っていた。*は筆者。

 自分のバッティングがメジャーに通じなかったという話をしているわけではない。
 そうではなく、ほんの微妙なところで自分の感覚が決定的に狂ってしまったことを告白している。
 しかも話はさらに続く。日米野球が生彩を欠いたままに終わり、その後ロッテから中日へのトレードが決まった落合は、春季キャンプに先立って自主トレを開始する。

 しかし、いざスイングすると、たとえようのない違和感が体に染みついていることに気づかされた。おかしい。疲れなどでスイングを修正する際のポイントを何度確認しても、スイングは別人のように変わってしまった。

 中日に移籍してからの私は、三冠王を目指して戦うというよりは、本来の自分のバッティングを取り戻すという戦いに明け暮れた。結論から言えば、これは引退するまで取り戻すことはできず、何とかごまかしのバッティングで12年もプレーしてきたのである。自分の中で長い時間をかけて築き上げてきたものが、たった1週間余りで崩れてしまう。私は自分の体験を通して、技術の奥深さと人間の脆さを痛感している。

 ……なんとも凄い話だ。中日時代以降の自分のバッティングを「ごまかし」と言い切ってしまうあたり、ある種壮絶な自己否定に近いが、おそらくこの「ごまかし」に気づいた人はほとんどいなかっただろう。
 「結論から言えば、これは引退するまで取り戻すことはできず……」、この一節だけで、彼の現役時代の壮絶な「戦い」に対して、十分すぎるくらい想像力が湧いてくる。
 落合は選手としても間違いなく球史に残る存在である。
 それだけの実績を残しながら、淡々とした口調で「じつはもっと凄い結果が残せたんだよ」と言外に語っているわけである。それが負け惜しみに聞こえないところが、じつは彼の残した「結果」なのではないだろうか。

 じつはイチローにも、こうした「決定的な転機」があったと言われている。

 本人のことばを借りるなら、「こんなにも明確な解答を手に入れたのは、僕の野球人生の中ではじめて」、「二度と迷わなくていいわけですから、闇雲に不安に陥ることもない」というほど、「衝撃的」なものであったらしい。
 ……野球人生の中ではじめて? ……二度と迷わなくていい?
 いささか大げさに感じられるかもしれないが、それは彼自身、ほとんど予期せぬ、ほんの瞬間に訪れたものだったという。
 フリーライターの小松成美氏が取材した、「インパクト!」という雑誌のロングインタビューのなかから、そのときの「状況」を再現してみよう。

 「昨シーズン序盤のあるゲームの最終打席で、ボテボテのセカンドゴロに打ち取られたんです。特にバッターから見て、セカンドから右側のセカンドゴロは最悪なんですね。セカンドよりセンター寄りのセカンドゴロは少しは捉えられている証拠なので、まだマシなんですけど。
 それで、僕は最悪のセカンドゴロだったのですが、次の瞬間、嘘のように目の前の霧が晴れていったんですよ。「ああッ、これなんだ!」と思いました。これまで捜し求めていたタイミングと体の動きを、一瞬で見つけることが出来た。それをあやふやにではなく、頭と体で完全に理解することができたんです」

 ……具体的にいうと、その「瞬間」は、1999年4月12日、名古屋ドームにおける、対西武戦、第5打席のことだったようだ。
 すでに4打席中3打席を凡退していた彼は(しかもこの年は、開幕から打率が低迷し、この時点で2割3分3厘という、はたから見ても好調とはいえない状態だった)、その問題の打席においても、とてもそんな「体験」をしたとは思えない、じつに平凡な当たりを放っている。弓でいえば、完全に的を外した状態である。
 しかし、「わかる」という瞬間は、往々にして、突然にやってくる。……

 「サムライ」でも紹介したエピソードだが、落合の体験と不思議なくらい重なり合ってこないだろうか。
 どちらにしても、非常に微妙な、感覚の世界の話である。しかし、微妙であっても曖昧なものではない(感覚が曖昧なものであると思っている人は、もしかしたらその「突然にやってくる」ものに気づいていないのかもしれない)。
 落合の告白はショッキングだが、その微妙で決定的な「喪失」を感知し、認識できたのは、そもそも彼に「わかる」能力が備わっていたからに他ならない。しかもそれを一冊の本に著したように、言葉にできる感性を併せもっていたからこそ、監督としても新たな結果を出すことができた。

 想像力をたくましくすれば、やがてイチローが引退し、監督に就任……などという事態が訪れた時、落合はすでに「常勝監督」として一時代を築いているかもしれない。
 イチローはその時、かつての落合がそうだったように、自分の感知してきた世界を言葉に変えることが求められてくる。
 伝説のバッターでもそれがうまくいく保証はない。そこでまた比較や挑戦が生まれる。すべてがある瞬間に判定されてしまうわけでなく、「いい結果」も「悪い結果」も何らかの理解に結びつき、そのまま次の展開へと続いていく。
 結局、何ができたかよりも、何をどう理解したかのほうが重要であることを、落合の体験は教えてくれる。

投稿者 長沼敬憲 : 2004年10月10日 17:19

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