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2004年10月05日
イチローの「最多安打記録達成」から見えてくるもの
イチローの年間最多安打の記録(262本)が日米で大きな話題になっている。
メジャー挑戦1年目で最多安打、首位打者、MVPと活躍して以来、おそらくそれにも勝るセンセーションだろう。
2年目、3年目も年間200安打の記録をキープするなど高いレベルの活躍を続けてきたが、特に昨季は後半戦でプレッシャーのため調子を崩し「吐き気や過呼吸なども体験した」というから、本人にとってはメジャーに適応するための大きな試練を経ての成果だったのかもしれない。
テレビで特集などを見ながら思い出したが、筆者は最初の著書「サムライ」のなかで、同じく海外で活躍するサッカーの中田英寿選手と比較して、次のような指摘をしていた。
イチローの場合、先の高岡氏(*高岡英夫氏=運動科学総合研究所代表)が指摘しているとおり、天に突き抜けるような軸の発達に、あの華麗なバッティングの秘密が隠されていると言えるが、それがあまりに突出しているため、ハラ感覚のほうが追いつけていない。
怪我など体調面での不安がつきまとうのはそれゆえであり、メジャーに定着した今の課題はハラ的なタフさ、軸的な才能を支える身体的な土台を確立することにあるだろう(彼のレベルでこれが実現されたら、今以上に手のつけられない怪物バッターになってしまうはずだが)。
そう言えば最近読んだ読売新聞に、似たような記事が載っていた。
(イチローは打撃練習で)涼しい顔をして、ポンポンと、外野スタンド上段にボールを放り込む。その様子を、同僚のブーンが、マルティネスがあっけにとられた様子で見つめている。
(略)なぜ、そんなに飛ばせるのか。一言で言うならば、答えは「体の使い方」にある。イチローも指導を受けたことのある中西太さん(元オリックスコーチ)が「下からの連動や」と口にするように、一般に、打撃の基本は下半身と上半身の動きにあるとされている。上体で力任せに打つ打者がいるが、それでは無駄な力を生み、バットコントロールの安定性を欠く。
その点、イチローは、体をバランスよく使うことで力を集中することができる。ただこうしたバッティング技術を支える体力的な土台が十分ではなかったため、メジャーのスケジュールに対応しきれなかった。このあたりの課題が4年にわたるアメリカ生活を経て、徐々に克服できてきたのではないかと筆者は感じている。
(10/4連載「安打王(中)」 下村征太郎)
まあ、細かい検証については取材記者や専門家に任せるとして……、現在の筆者は、イチローの「成功」の根底に「野球一本に集中できる環境をいかに作るか」という発想であったのではと、その点に大きな関心を持っている。
といっても、アメリカ生活の大変さ、家族の援助の必要性などについてではない。
筆者の言いたいのは、意識の面の話だ。
たとえばイチローの場合、報道を見る限り、英語をマスターしようという積極的な意識はないように見える。自然に覚えられる程度には意識しているかもしれないが、記者会見もほとんど日本語で通しているし、選手とのコミニュケーションもそれほど取れていなかったと、本人が語っている。
要するに「アメリカに生活しにきたわけではない、野球をしにきた」というある意味割り切った感覚。野球のために生活を組み立て、体を作り、必要な情報・知識を取り入れている。ピンと来ないかもしれないが、じつはこれは次に記す中田の感覚とは対極にある。そこが面白い。
一方中田は、イチローのような卓越した軸感覚を持ってないかもしれないが(つまり、その分スケール感で彼に劣るが)、ハラと軸のバランスがうまく取れているため、世界のどこで暮らしても、あるいはサッカー以外の仕事に携わったとしても、十分に活躍していけるだけの対応力を有している。
職人タイプ、野球一途の感のあるイチローに対し、彼の持っている才能は、サッカーという競技に留まらないセンスを秘めている。対応力という意味では、中田のほうがより武道家的と言ってもいいだろう。
(先の拙著の続き)
中田の場合、まず自分の人生設計があり、生活があり、そのうえでサッカーという競技がある。
だからイタリアに行ったら当然のことながら、まずイタリア語を覚えようとする。当然会見などもすべてイタリア語でこなすし、彼のネットなどを見ると、新しいチームに入ったらまずチームメイトの名前と顔を覚えようとするそうだ。
それからどんな家に住み、どの店で食事し、休暇はどこを旅し……と、そのへんの衣食住を一人で当たり前のようにこなしている。
人間としての「総合力」では、彼のほうが優れていることが見て取れる。
一見イチローのほうが武道家っぽく、中田は対極のスポーツマンのようにイメージするかもしれないが、武道=総合力(何でもありという感覚)の追求という意味では、中田のほうが「武道家のDNA」を多く受け継いでいる。
ヤンキースの松井秀喜も似たような環境で頑張っているが、このへんの意識は中田より見劣りがする。ちょっとどっちつかずのように映ってしまう。
ともあれイチローは、野球選手としてはほぼ完璧に近いような身体感覚を手に入れている。だからこれからさらに「伝説」を築いていくだろう。
しかしその分だけ、どんどんと「遠い存在」になっていく。これは彼の選んだ道であり、技術がある限り、彼の輝かしい道は保証され続ける。
これに対して中田は、伝説の男、遠い存在というより、自由に人生を生きる上での一つの手本(あるいは考える材料)として、サッカーが好き嫌いに関わらず、多くの人に影響を与え続けていく。
どちらがいいかではなく、当然のことながら、どちらにも価値や意味がある。
問題は「日本を代表するスポーツ選手」でありながら、タイプがまったく違っているということ。
いま日本という国は、二つの「成功」をわかりやすい形で世界に示せる状況にあるということだ。この点が認識できると、ただ記録達成したから凄いですねとか、みんなから注目されるから凄いですねというだけではない物の見方がつかめるようになる。
長期の負傷欠場から癒えつつある中田の場合、ゲームでの評価もさることながら、おそらくもっと人として総合的に理解する視点がなければ、その魅力や価値は見えてこないだろう。
筆者はコアなサッカーファンではないので、まだそのへんの実態はつかみきれていないが、何かヒントになる情報がキャッチできたらこのページで取り上げてみたいと思う。
一方“野球職人”イチローの場合、周囲のサポート態勢が充実すればするほど、この先真価を発揮していくはずだ。先の記事にも、
(イチローは)状況によっては一発を狙い、本当に打てる力を持っている。実際、頭近くに2球続けて投げられた5月20日の試合では「ムキになった」と狙って本塁打を打っている。
「何かを考えてもらうきっかけになると思う、僕がホームランを打つとね。選手も教える側もちょっと勘違いしている人が多いですから」。
飛距離は、筋肉の大きさで決まるわけではない。イチローの打撃技術はメジャーリーガーにも衝撃を与え、考え方にも影響を与え始めている。
とある。こうした目を持った記者が現れてきた以上、この先筆者があれこれ指摘しなくてもよさそうな気もする。
ここに書かれたようにアメリカ人にイチローの感覚が浸透することは、日本人の身体感覚がクローズアップされ、甦りつつある昨今の状況ともリンクしている。筆者の言う「これから10年後のスタンダード」も、次第に現実味を帯びた発想になっていきそうだ。
投稿者 長沼敬憲 : 2004年10月05日 17:25