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2005年02月28日

どっちの世界を?〜前田日明、船木誠勝、ふたつの「戦い」(2)

 まずはじめに、武道の発想をもとにひもといてみよう。
 筆者は別の稿で、武道を通して求めるべきもの、それはなにより「わかる」という感覚である、と書いたことがある。
 この感覚は、まさに「現実」と「原理」との往復のなかでこそ得られるもの。
 人はふたつの状態を往復することで、「わかる」という体験を日々積んでいるのである。たとえば、江戸時代初期の代表的な剣術家として知られる柳生但馬守宗矩は、次のようなことばを残している。

 ……様々の習(ならい)をつくして、習稽古の修行、功つもりぬれば、手足身に所作はありて心になくなり、習をはなれて習をたがわず、何事もするわざ自由也。此時は、わが心いずくにありともしれず、天魔外道もわが心をうかゞひ得ざる也。此位にいたらん為の習也。ならひ得たれば、又習はなく成る也。
(渡辺一郎・校注「兵法家伝書」より)

 つまり、さまざまな習練を積んで、技術が身につけば、自動的に身体が動き、こころでコントロールする必要はなくなる。型を離れても型と違わない状態となり、どのような場面でも技が自由に繰り出せる。
 そうなると、天魔外道のたぐいでも、自分のこころがどこにあるか読めなくなる。そのくらいの境地に至らんとするために、習練を積むのである。型を得ることで、同時に型はなくなるのである、というほどの意味である。

 これは武道に限らず、古今東西、なんらかの習練に励む者なら、少なからず「理想」としている状態ではないだろうか?
 人は意思があるかぎり、日々、この「理想」に向かって進んでいる。
 そして、この「理想」は、必ずしも「遠く」にあるのではない、すぐここに、ごく当たり前の日常のなかにあるからこそ、だれもが「出会う」とができる。
 問題は、ただそのことを「わかる」ことができるかどうか、……武道における習練の意味は、まさにそこに集約されている。と、書いたわけである。

 これを、「現実」と「原理」に当てはめると、どうなるか?
 要は、ことばの問題。すなわち、ここで言う「理想」とは、先に用いた「ロマン」ということばと重なり合う。
 あるいは、その当人の感覚に即するなら、「自由自在」「融通無碍」などとも表現できる。そうした状態を体現している人ということで言えば、「達人」「名人」……、ことばはどう言い換えてもいい。いずれも、武道家たちの追い求めてきた境地と、何らかの形で表わしているのである。

 つまり、「現実」と「原理」は、こうした境地に向かうためのふたつの道、ふたつの方向性。どちらのほうが優れているというものではなく、どちらからでも「理想」と出会うことはできる。ただ、そのどちらに比重を置いているか、それによってそれぞれの生き方に「違い」が出てくるのである
 前田と船木も、つまりはこうした境地を求めてきたのではないのか?
 前田は「現実主義」、そして船木は「原理主義」。
 持って生まれたそれぞれの気質のままに、それぞれが「ロマン」を追及しつづけてきた。そしていまもなお、その追及の過程にある。
 現役を引退しようがしまいが、格闘家という肩書きがあろうがなかろうが、それをつづけることが彼らの存在証明なのである。その意味では、ベクトルが違うというじたい、さほど意味は持っていない。

 ここで、彼らを取り巻く時間を、少し過去へと遡らせてみよう。
 もともとふたりは、10代の前半に両親が離婚するなど、よく似た環境のなかで思春期を過ごしている。
 前田は、高校入学後、劇画「空手バカ一代」の影響を受け、町道場で空手を習いはじめる。将来はアメリカで道場を開くことを夢見ていたというが、何のイタズラか、18のとき新日本プロレスにスカウトされ、以後レスラーとしての道を歩みはじめる。
 一方、映画が好きで松田優作やブルース・リーに憧れていた船木は、10代のはじめから体を鍛えはじめ、やがてレスラーを目指すようになる。そして若干15歳で、前田とおなじ新日本プロレスの入門テストを受け、2度目に合格する。

 ともに、アントニオ猪木の後継者として、将来を嘱望された逸材。しかし、ふたりのその後の道のりを追っていくと、その波瀾に富んだ「格闘人生」のなかに、ある微妙な「ちがい」が浮かび上がってくることがわかる。
 前田は、人気絶頂だった新日本プロレスの内部でいわゆる「クーデター騒動」が勃発したとき、その騒動のなかから生まれた新団体「ユニバーサル・プロレス」のエースに祭り上げられ、入団7年目で、図らずも新日本から脱退している。

 もともとは、猪木自身が参加するはずだったという、いわくつきの団体。
 しかしさまざまな事情によりこの「密約」は反故にされ、孤立した前田は、その後もユニバーサルのリングに留まり、戦いつづける。自分と同様、新日本から離れた選手やタッフを見捨てることができなかったというのが、理由のようだ。
 ユニバーサルは、のちに「第1次UWF」とも呼ばれ、「格闘技プロレス」の原点を築いたと評価されているが、資金繰りが悪化し、1年半あまりで崩壊。前田をはじめとする「UWF軍団」は、これを機に新日本に復帰し、古巣のレスラーたちと「対抗戦」を繰り広げる。しかし、その約2年後、ある試合における「無法ファイト」がきっかけで、こんどは新日本プロレスを解雇されてしまう。

 新日本を解雇された前田は、ユニバーサル時代からの盟友だった高田伸彦(=現・延彦)、山崎一夫らとともに、「第2次UWF」(新生UWF)を設立。独自の「格闘技路線」をさらに押し進め、社会的にも大きな話題を集めた。
 しかし、このUWFも、前述したとおり、約2年で突如崩壊。所属選手たちがそれぞれに新団体を旗揚げするなか、前田はたったひとりで「リングス」を旗揚げするに至るわけである。
 要するに前田は、つねに組織のリーダーとして矢面に立たされ、場合によっては貧乏クジを引かされながら、おのれの道を切り開いてきた。人生の節目に「損」を引き受けることで、逆にファンの支持を集めてきたと言ってもいい。

 一方、前田より8年遅れで入団した船木の場合、すこし状況がちがう。
 若手時代からホープとして期待されていた船木は、ヨーロッパ遠征から帰国後、新生UWFからの誘いを受け、藤原喜明、鈴木実とともに電撃移籍。トップの前田、高田の牙城をおびやかす「次世代のエース」として注目を集めた。そして、崩壊後は、師である藤原の興した新団体(「藤原組」)に参加。さらにそこから独立して、2年後、理想の団体「パンクラス」を旗揚げした。
 こうして見ると、船木の場合、団体経営などの実務面を、ある程度人に任せられる環境にあったことがわかる。自らの興した「パンクラス」においても、彼は直接経営にタッチしてきたわけではない。
 つまり、団体所属のエースとして、なによりも「いかに強くなるか」という「原理」を追求できる立場にあった。もちろん、団体の存続(=「現実」)が、第一の前提であったことは言うまでもないが……。

 こうして見ればわかるとおり、ふたりはどういう因果か、「現実」と「原理」とを、まさに地でいく生き方をつづけている。時におなじリングで戦いながらも、それぞれが異なる世界観をベースとし、それを体現していたわけである。

 たとえば読者は、「自由」が得たいと思ったとき、どんな行動を取るだろうか?
 「現実主義」の前田ならば、なによりも自らの「場」を広げていくことで、自由を得ようとするはずだ。しかも彼の場合、詳しくは後述するが、そこいらの表面的な「現実主義」(?)とは異なり、あくまで「現実」のなかで「原理」を表現しようという発想を持っている。それゆえ、先に触れたように、自らの世界を外へ外へと広げていこうとする、非常にオープンな活動を展開している。
 彼が、オランダ、ロシア、アメリカ、ブラジルノノと「リングス・ネットワーク」の輪を拡大していったのも、そうした気質あってのことであり、「リングスは団体やない、戦う場や」といった彼の発言の意味も、そこにある。とくにプロモーターになって以降の彼は、現役時代以上に、その才を発揮してると言っていい。

 一方、「原理主義」の船木の場合、まず自らの「存在」を掘り下げることで、自由を得ようとするだろう。つまり、「現実」への関わりは最低限度に抑え、あくまでも「原理」を追い求めようとする気質を持つ。「戦いとは何か?」ということを、どこまでも突き詰めていく方向に進んでいくのである。
 若き日に「骨法」と呼ばれる日本の伝統武術を学んだのも、ブラジルに柔術修行を敢行したのもすべてそのあらわれであり、彼にはつねに、格闘技の最先端を追求する、求道者のイメージがついてまわった。「肉体改造」に関する本を出版し評価を得たのも、こうした気質の一端。彼がプロモーターでなく、コーチとして評価されるに至ったのは、まさにここに起因しているわけである。

 また、やや専門的な話になってしまうが、両団体の試合で施行されているルールの面からも、同様の指摘をすることができるだろう。
 たとえば、現行の「リングス・ルール」では、「グランド状態での顔面パンチ」が禁止されているが、これはアメリカで流行している「フリーファイト」(いわゆる「何でもあり」と言われ、限りなくノールールに近い試合)の多くが、最終的に、こうした展開にのみ頼る方向にパターン化されてしまっているからだ。
 前田の場合、これらの弊害を打破するため、あえてこのパターンを禁止することで、他の技術(関節技など)を学ばざるを得ない状況に選手たちを導こうとする。そうすることで、戦いそのものを進化させようと意図するわけである。彼自身のことばを借りるなら、「ルールはデザインするものや」という発想になるだろう。

 では、「パンクラス・ルール」は、これとどうちがうのか?
 「原理主義」のパンクラスの場合、「興行の成立」を前提に据えながら、むしろノールールの理念を突き詰めようとする方向に進んできた。たとえばロープエスケープの廃止や、グローブの着用などはリングスよりも早く、また、過渡的に採用した他流試合用の特別ルールでは、通常禁止されるヒジ打ちや頭突きなども取り入れている。船木の「早すぎる引退」も、こうした過激さと無縁ではなかったはずだろう。とにかくパンクラスという団体は、どうしても突き詰めたがる方向に進むのである。

 何度も言うように、俺が言ってるのは、理想と現実を交差する点をいかに高くするかっていうことだから。ウチのルールってさ、どのくらいの変遷があった? いつも理想と現実をクロスさせるところから始めるわけでしょ? いまだったら(ノールール形式の試合が)膠着するっていうことをファンが理解できるところまで、まだまだ行ってないし、そういう部分で選手を闘わせるよりも、こっちのルールのほうが面白いからやらせているだけの話ですよ。それがプロモーターだよ。
(「紙のプロレスRADICAL・NO25」前田日明インタビューより 文中のカッコは筆者)

 これが格闘技です。今日のは格闘技です。スポーツじゃないですよ。やっぱり、レフェリーストップもドクターストップも、そういったものが何もない世界なんで。だから最後に首を締められた時に、……ああ俺はもう死ぬんだなって思いましたね、正直。……で、気がついたらなんかわかんないけれども周りに人がいっぱい集まっていて、立ってるんですけども、もう、やっぱり生きててよかったなあっていう、思いましたね、改めて。
(「週刊プロレス・6/11号 臨時増刊」より、ヒクソン戦終了直後の船木のコメントを抜粋)

 船木は、上記のコメントを含め、記者団に「引退」の心境を語り終えたのち、最後に、「ようやく、長い戦いが終わりました。格闘技に答えはありませんでしたね。永遠に戦いつづけるのみだと思います」と言って、席を立った。
 ……どうだろうか? まさに、「水と油」ではないだろうか?
 つまり、前田は「世界」と格闘しているが、船木は「自分」と格闘している。どちらが正しいとか、好きとかいう以前に、それは明らかに違う。違う者どうしが、かつてはおなじ団体で、おなじ釜の飯を食っていたわけである。

 この「溝」が理解できないかぎり、両者の間で交わされてきた中傷や、訴訟や、暴力沙汰も、ただのスキャンダルにしか映らない。けっきょく眉をしかめるだけで、ただお互い喧嘩は止めましょうとしか言えなくなってしまう。
 筆者は、前田と船木の「格闘技人生」に思いを重ねるたびに、何か言いようのない不思議さ、人生のあやというものを感じてしまう。
 つまりそのあやが、どんよりとした黒い霧のように凝り固まり、「あの事件」を引き起こしたのではなかったのか?

 崩壊した「新生UWF」は、「藤原組」(のち「パンクラス」)と「リングス」だけでなく、「UWFインターナショナル」と呼ばれる団体も生み出している。
 要するに、もともとひとつの団体が、藤原組(藤原、船木、鈴木ら)、リングス(前田のみ)、UWFインター(高田、山崎、安生、田村、桜庭ら)の3派に分裂した。
 そのUWFインターの所属レスラーであった安生洋二が、いくつかの伏線(因縁)を経たのち、ある格闘技会場で、前田を突如「襲撃」したのである。

 俗にいう、「前田日明襲撃事件」、である。
 背後から「闇討ち」された前田は、ドサッという鈍い音とともに、何の反撃もできぬまま、床に昏倒。しばらくして意識を取り戻すが、そのまま病院に直行し、のちに左目尻の下に数針を縫う怪我を負ったことが判明する。
 この事件が報道されたとき、多くの人は、……これは単に前田と安生の「因縁」だけでないだろう、と想像した。そして、会場に居合わせたパンクラスの選手たちが事件に関与していたのではないかという「噂」が、実しやかに立ったのである。
 この種の「不祥事」は、ほんらいあまり触れるべきではないのかもしれないが、ここまでたどってきた前田と船木の気質(すなわち、「現実」と「原理」の違い)をより明確するためにも、あえてことの経過に迫ってみることにしよう。

投稿者 長沼敬憲 : 2005年02月28日 03:22

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