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2005年02月28日

どっちの世界を?〜前田日明、船木誠勝、ふたつの「戦い」(1)

 人にはウマが合うとか合わないとか、そうした関係が存在する。
 ただ単に性格のちがいであるなら構わないが、それが国どうしの関係となれば、戦争に発展する場合もある。あるいは、宗教対立、民族紛争。
 ……人はなぜ、争い合うのか? それが本性なのか? さまざまな人が問うてきた問題だろう。どうしたら、他者を理解し、受け入れられるようになるのか?
 ここでは、あるふたりの格闘家の「確執」に焦点を当てることで、ひとつの方向性を示そうと考えている。
 前田日明と、船木誠勝のことである。
 ともに一時代を築いたカリスマ。……しかし、性格的に水と油と言われ、ある時期を境に、ずっと絶縁状態がつづいている。いわば、リングの内でも外でも目の離せない、そんな存在だと思えばいい。
 とりあえず、彼らの「引退試合」について見ていくことにしよう。

 前田の相手をつとめたのは、アレキサンダー・カレリン。
 グレコローマン・レスリング130キロ級において、ソウル、バルセロナ、アトランタ五輪3連覇。世界選手権8連覇。87年に国内大会で敗れて以来、13年間無敗。前人未到の4連覇を狙った先のシドニー五輪では、決勝でまさかの判定負けを喫してしまったが、これだけ記録が並べられれば、並みの選手でないことはわかる。いわば、後世にも確実に語り継がれる、ロシアの国民的英雄。ニックネームは、ズバリ、人類最強の男。
 言うなれば、日本の「格闘王」が、いちばん最後に、誰もが認める「最強の相手」を選択した。しかも、2度の手術を経た左膝はボロボロ、年齢も31と脂の乗ったカレリンに対して、もう40に手が届こうという状態で。1999年2月21日、1万7000の観衆が見守る、横浜アリーナのことである。

 個人的なことを言えばね、最後ぐらい何も考えずに、単純に自分の力が果たしてどこまで通用するか試してみたいんだよね。つまり、最後の最後に俺の肉体の強さを、「人類最強の男」であるカレリンをとおして計ってみたいんだよ。これまで、団体の運営だとか選手の育成ばかりに心を奪われた部分があっただろ。でも最後は自分のために闘いたいじゃないか。
(佐々木徹「無冠 前田日明」より)

 しかし、カレリンは怪物だった。彼は、はじめて体験するという、キックや関節技ありの「総合格闘技」ルールのなかで、試合の大半を支配。前田は、ローキックで彼の顔をしかめさせ、足首固めでファースト・エスケープを決めたものの、5分2ラウンドを戦いきり、2-1の判定で敗北。そして、大物選手らしい派手なセレモニーもないままに、21年にわたる「現役」生活の幕を閉じたのである。

 一方、船木の相手も、負けず劣らずの大物格闘家として知られていた。
 ヒクソン・グレイシーである。こちらのキャッチフレーズは、カレリンの「人類最強」に対して、「400戦以上無敗」。ブラジル柔術界のトップとして、船木の先輩である(同時に、前田の後輩でもある)高田延彦を2度にわたって破ったことで、日本でも一躍その名を知られた。その彼の、1年7か月ぶりの対戦相手に、「パンクラス」という格闘技団体のエースだった船木が指名されたのである。

 あくまで21世紀というのは、格闘技がスポーツに変わる年だと思うんです。そうでなくてはいけないんですよ。それがパンクラスを作ってから7年の間に学んだことなんですからね。俺はヒクソン戦でそのキッカケを作ればいいと思っています。それこそ「みんな目を覚ましてください」です。
(「格闘技通信2000年6/11増刊号」試合直前のインタビューより)

 試合が行われたのは、2000年5月26日。東京ドーム、観衆は4万。
 試合前の時点で「引退試合」とは銘打っていなかったが、もともと「やめる」という意思は持っていたようだ。若干15歳でプロ入りして以来、30にしてすでにキャリア15年。しかも、彼自身のいう「パンクラスを作ってからの7年」は、団体のエースとして、過密な試合スケジュールを強いられてきた。ふだんは道場経営にのみ専念できるヒクソンと比べ、心身の疲労は限界に達していたと言っていい。

 試合形式は、1ラウンド15分、無制限ラウンド、判定決着なし。しかし、この過酷な勝負の分かれ目は、一瞬にして決まってしまった。
 開始から9分すぎ、間合いを詰めたヒクソンが、首を押さえて瞬時に膝蹴りを放つと、船木はバランスを前へと崩し、ころりとマットに転がった。ヒクソンは、そのまま得意の馬乗りへと移行。あとは顔面パンチを連打。そして、隙のできたところを、背後から裸締め。船木はカッと目を見開いて、最後は失神した。
 1ラウンド11分46秒、レフェリーストップ負け。
 意識を取り戻した彼は、退場のまぎわ、ファンに向かってマイクをつかみ、「15年間、ありがとうございました!」と、絶叫した。敗戦に茫然としていたファンは、ここではじめて、船木の「引退」を知ったのである。

 「引退試合」を見るかぎり、ふたりはこれ以上ない「最強」の格闘家を相手に、非常によく似た花道を飾っていることがわかるだろう。
 しかし、なかには感じた人もいるかもしれないが、よく似たような花道でも、その中味は決しておなじものではない。そこには、水と油というふたりの性格が(あるいは価値観が)、色濃く反映されている。
 いったい、どういうことか? 早急に答えを出してしまう前に、もう少し彼らの生き方を覗いてみよう。おそらくたどるほどに、両者の間の「違い」が浮き彫りになってくるはずである。

 もともと、格闘技色の強いスタイルで80年代後半を風靡した、「UWF」というプロレス団体の所属レスラーだったふたりは、先にも触れたように、ある感情的な行き違いから袂を分かち、「リングス」と「パンクラス」という、それぞれの団体を興している。人気絶頂だったはずの「UWF」が、なぜ急に分裂してしまったのか? いまでも関係者の多くが口を閉ざしているため、核心の部分はいまひとつわからない。
 ここではとりあえず、次のふたつのエピソードを紹介しておこう。

 (91年1月)7日深夜のことだった。
 前田が選手を自宅に集めた。本当に新しくUWFを作っていく意思があるかどうか。それをあらためて確認するためだった。前田は一人ずつ聞いていった。船木も鈴木(みのる=当時、実)もやる気満々で「やります」と答えた。ところが、みんなで一緒にやっていくことに曖昧な返事をした人間がいたと思っていただきたい。これに前田が怒った。勢いで「一人でも欠けたら解散だ!」と言ってしまったのである。前田にしてみたら、選手の頭を冷やして結束を固めようという程度だったのだろうが、それを聞いた選手たちの動揺は激しかった。船木、鈴木、富宅(祐輔)、田村潔司、垣原(賢人)はUWFの合宿所で号泣した。
(安田拡了「船木誠勝 海人」より 文中のカッコは筆者)

 なんだか、本当にすべてが終わってしまったような寂寥感があった。辛かったのは、選手たちを家族みたいに思ってきたからね。練習するのも一緒、女の子をナンパするのも飲むのも騒ぐもの一緒だったんだ。24時間、常にツルんでいてすべてがわかりあえる家族だと思っていたのに結局、わかりあえなかったことが悲しかった。
 ……もしかしたら、俺の行動や言動が独裁的すぎたのかもしれない。もしかしたら家族のように思っていた選手のためにと思ってきたことが、彼らにすれば迷惑だったのではないかと思いだしてしまってね。結局、『ひとりぼっち』になったのも自業自得だと思うようになった。……でも、今でも船木らは俺がなぜ解散だと怒鳴ったのか、その背景を理解してくれていないのかも知れない。
(前出、「無冠 前田日明」より)

 どうだろうか? ここに書かれた内容を踏まえるなら、団体の再結束を図るための席で、どうやら前田ひとりが、一方的に「キレた」ことがわかる。
 その理由のほうは曖昧模糊としていて、やはりうまくは掴めない。
 ただ単純に言えば、リーダー格であった前田の気持ちだけが妙に熱く、それゆえに一人相撲していた感がある。つまり、ここでは触れられていないが、どちらかというと船木たちは、それを「うざったく」感じていた。「家族みたいに思ってきた」などと言われても、思わず気持ちが引いてしまうような(?)、そんな心境を抱いていた。少なくとも、彼らの間には、相当の温度差が存在していたのではないだろうか? けっきょくこの分裂によって、前田は「ひとりぼっち」になってしまうのである。

 つまり、おなじ格闘家でも、前田は豪放磊落で直情タイプ、かたや船木はストイックで寡黙タイプと、そもそも住んでいる世界が違う。そしてその「違い」が、彼らの生き方のはしばしにまで現われ、周囲に影響を及ぼしている。
 たとえば、それぞれの興した団体のカラーを見れば、一目瞭然である。
 すなわち前田の「リングス」は、世界にネットワークの輪を広げていくことで、将来的には柔道のような、五輪種目にもなりうる格闘競技の確立を目指している。現在、オランダ、ロシア、アメリカ、ブラジルなど、5大陸に7つの支部があり、すでに独自の興行が打てる支部も、いくつか現われはじめている。

 一方、船木の「パンクラス」は、リングスのようなネットワークこそ持たないが、国内にふたつの道場を持ち、選手の育成に最大の力を注いできた。船木自身、名選手である以上に名コーチとして知られ、数多くの弟子を輩出させているのである。この点の実績においては、前田を大きく上回っているとも言えるだろう。

 言ってみれば、リングスは「遠心力」、パンクラスは「求心力」。
 それぞれの根もとから伸びる意識のベクトルは、明かに正反対に向かって進んでいる。そして、たがいの性格や世界観などにも、刻々と反映されている。
 というより、これは、彼らだけに当てはまる話ではない。われわれ自身の意識のなかに、みずからの行動を規定する、ある強い感性が存在している。
 つまり、その感性があるからこそ、自分の世界を広げたり、突き詰めたりすることができる。一時代を築いた彼らは、いわばその典型を、わかりやすい形で演じていたと言えるのではないか?

 「現実主義」と「原理主義」。
 とりあえず、このふたつの世界観を、そのように呼んでみることにしよう。
 そう呼ぶことで、もっと意識的に、この世界を感じてみる。……前田や船木は、なぜ反目をつづけねばならないのか? そこに何か意味は見い出せるのか? 解決策はありうるのか?
 ……あるいは、当の自分自身はどうだろうか? いったい自分は何を求め、どこに向かおうとしているのか? その向かう先に何があるのか?

 われわれは、「現実」と「原理」の間を行き交うことで、たえず「ロマン」を感じている。それ自体が「生きる」ということの、原動力となっている。
 果たして、ふたりの生き方には、どんな「ロマン」が隠されているのか? しばしの間、それをたどるための旅に出てみることにしたい。

投稿者 長沼敬憲 : 2005年02月28日 03:21

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