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2005年08月30日

8.28「PRIDE GP」から見えてくるもの

 久しぶりにPPVでPRIDE GPの決勝を見た。今回はミドル級のGPの準決勝・決勝に加え、ヒョードル×ミルコのヘビー級タイトルマッチという豪華版のカード。
 市場としての格闘技イベントが確立し、有能な人材が世界中から日本に集まるようになった現在、ファイターの質も日増しにレベルアップしている。
 試合の感想を含め、いくつか気づいた点について、まとめてみることにしよう。

●エメリヤーエンコ・ヒョードル(ロシア)×ミルコ・クロコップ(クロアチア)

 王者ヒョードルを追い続けてきたミルコにとって、宿願とも言えたタイトルマッチ。しかし、その牙城を打ち破ることはついにできなかった。
 立ち技ではほぼ互角の攻防ながら、ヒョードルは圧力がすごい。戦前の報道などとは異なり、気迫の点でもミルコを凌駕している印象。
 
 しかし、それ以上にヒョードルの強さを印象づけたのは、彼が型を持っているという点。さしあいでバランスを崩しても、自分は下にならない。上になってもサイドポジジョンを無理に狙わず、打撃でプレッシャーをかける。ヒョードルの上からの攻撃をかわし続けたミルコだったが、2Rになるとかなり疲労困憊していた。

 ミルコの攻撃で驚いた点もある。ハイキッックなどでバランスを崩しても、本能的にすぐに立ち上がるバネの強さがあったことだ。これだけの対応力があるから、外した際のリスクの大きいハイキックも十分に武器になるんだなと納得。

 ただ、ヒョードルを倒すには、打撃が互角以上であることに加え、さしあいになったとき下にならないことも不可欠。ミルコは前者に関しては対抗できたが、さしあいに負けて下になったのが致命傷だった。一度この態勢になったら、ラウンドが変わらないかぎりヒョードルはひっくり返せない。つまりはヒョードルの強さは、腰(ハラ)の強さ。ミルコも強いものを持っていたと思うが、崩すほどの強さではなかった。現状で彼のハラを上回るファイターはなかなか見当たらない。

 ともあれ今回は、ミルコのこの一戦に賭けるすさまじい執念が、皮肉なことに、ヒョードルの潜在能力のすごさを際立たせた一戦だったと評価できると思う。


●マウリシオ・ショーグン(ブラジル)×ヒカルド・アローナ(ブラジル)

 ミドル級GPの決勝戦。シウバを完封したアローナが、決勝で“弟分”のショーグンに今度は逆に完封負け。準決勝のアリスター戦もふくめ、結果的にショーグンの無類の強さがクローズアップされるような展開になった。

 しかし、そのショーグンも、準決勝のアリスター戦は序盤にことごとくさしあいに負けて、有効打を浴び、アリスター必殺のフロントチョークまで食らってしまうピンチ。しかし、それをしのいでしまうと、そこからは一気にラッシュ。
 相手の得意な攻撃をすべて受け切った上で勝つあたり、まるでプロレスラーに手本にしてもらいたいような強さ。かえって攻略の難しさを印象づけた感がある。
 ミドル級では頭一つ抜けたショーグン。となると、ミドル級のタイトル戦線はどうなるのだろう? 本人のモチベーションはイマイチのようだが、今回実現しなかった王者シウバとの同門対決も、このままいくと現実味を帯びてきそうだ。


●PRIDE、いよいよ全米進出

 今回のイベントに合わせて、アメリカの大手テレビ局「FNS(フォックス・スポーツ・ネットワーク)」の関係者が来日。なんとPRIDEが同局でレギュラー放送されることになるそうだ。
 FNS社は「NFLスーパーボウル、大リーグなどの放映権を持ち、全米8000万世帯で視聴されている。その中で、PRIDE番組は日曜午後9時から放送される。米国では最も視聴される時間帯で、看板番組と位置づけられた」とのこと(スポーツナビより)。
 エンターテインメント大国アメリカを本気にさせた、PRIDE。同様の戦略を持っているK-1と併せて、日本の格闘技ソフトのアメリカ進出が本格化。軌道に乗れば、日本のアニメーションが全米に上陸した時以上の話題、影響力を与える可能性もある。

 かつて世界第2位の経済大国にのしあがり、その経済力からアメリカに脅威を与えた日本。しかし、面白いことにいまアメリカに進出しているのはスポーツを含めて、その多くは文化というカテゴリー。たとえば、イチロー。“不調”がささやかれてはいるが、彼が全米に与えたカルチャーショックは、従来のスポーツジャーナリズムの視点からでは解読しにくい面がある。

 また、彼のような有名人ではないが、毎年7月4日(アメリカ独立記念日)に行われる、ニューヨークのホットドック早食いコンテストで、ぶっちぎりの5連覇を果たしたフードファイター、小林尊のような若者を、既成のジャーナリズムは「色物」としてしか扱えない。ぼくにはイチローも、プリンス小林も、同じ“日本現象”の一コマとして捉えられるけどなあ。

 さて、PRIDEのアメリカ進出で興味深いのは、肝心のアメリカ人ファイターの「復活」はありえるのかということ。アメリカでは現在も老舗のUFCがイベントを定期開催しているが、ここ数年の選手のクオリティーを比較すればPRIDEのほうが数段上。アメリカ出身のファイターで、現在PRIDEで常時活躍しているのは、ダン・ヘンダーソンくらいだろう。

 ヘンダーソンのファイティング・スタイルは、アメリカ人ファイターのそれを象徴している。すなわち、バックボーンに世界レベルのレスリングがあり、それに強烈な打撃(パンチ)を加えたコンビネーション。ボクシングもまた、アメリカで発展した世界スポーツだ。アメリカのファイターの多くは、この戦いの2つのDNAを総合格闘技における最大の武器として戦ってきた。

 具体的に言えば、スタンドではパンチの打ち合い、そのスキを見てタックル。そして、上のポジションからのパウンド(パンチ攻撃)。……しかし、この戦略には関節技がインプットされていない。ヘビー級もミドル級もかなりのレベルに達してしまったPRIDEのリングで、従来のアメリカンスタイルはこの先通用するのか? 変質を余儀なくされるのか? アメリカン・ファイターが当たり前に関節技を取り入れる(習得する)状況になるということは、大げさに言えば、新しい文化が入り込むことを意味する。

 PRIDEの全米放送。そこで求められる、ニュー・アメリカンヒーロー。それはマーク・コールマンやダン・ヘンダーソン、あるいはUFCのランディ・クートウアやチェック・リデルではない。彼らの「次」に現れるファイターということになる。
 現状ではひとつの夢想ではあるが、アメリカでNFLやNBAレベルで(あるいはボクシングに代わるものとして)総合格闘技がメジャーになった時、アメリカン・ファイターのファイティング・スタイルは大きく変容しているはずだ。

 そう言えばこの数年、MLBでイチローの活躍と対照的に、大物選手のステロイド(筋肉増強剤)疑惑がさかんに報道されている。アメリカ人の目の前には、「従来とは違う何か」がいま提示されはじめている。その潮流の中に総合格闘技の台頭もある。アメリカと日本は、昨今の小泉首相とブッシュ大統領ではないが、歴史的にコインの裏表のような関係。水面下で進行中のアメリカの変化に、日本は文化の面から関与しようとしている。


●ブラジリアン・ファイターはなぜ強いのか?

 試合に直接関係ない話を長々と書いてしまったが、格闘技は試合だけでなく、全体をひとつの現象として捉えることで、歴史につながる面白さが見えてくる。
 最後に、今回のミドル級のGPでも目立ったように、ブラジリアン・ファイターの相変わらずの強さについても簡単に言及しておこう。

 確かにブラジル人の身体感覚はすばらしい。ことにスポーツ(格闘技)に関しては、世界レベルで見ても人類の財産と言っていいクオリティーを発揮していると、ぼくも思う。ただ、一見するとブラジル勢の独走に見える格闘技界だが、(メディアを含め)見ている側にいくつか根本的な錯覚があるように思える。

 総合格闘技というのは、「ルールをより排することで、あらゆる格闘技の出身者が平等に強さを競うもの」、つまり、「総合格闘技の勝者こそが最強の格闘家である」……、こんな概念に支えられている。
 しかし、これは総合格闘技を中心に見た場合に成り立つひとつの考え方であり、総合格闘技と比べてレスリングや柔道、相撲などが劣っているという話には、じつはならない。本当に強いと言うなら、レスリングでも柔道でも相撲でも勝つ必要がある。にもかかわらず、総合格闘技=最強という印象(幻想)をファンは当たり前に持ってしまっている。

 この幻想を作り出したのが、グレイシー柔術を中心にしたブラジリアン・ファイターであり、ホイス・グレイシーがUFCで快進撃し、兄のヒクソンが日本の「最強」プロレスラー・高田延彦を連破することで、ひとつの絶対的な価値を生み出した。「あらゆる格闘技のなかで最高」という概念は、はじめプロレス(新日本プロレス)が打ち出したものだが、創設者であるアントニオ猪木の弟子にあたる高田がヒクソンに破れることで、その権利がグレイシーの側に奪われてしまった。

 以上の点は、前田日明の「復活」についてふれた稿の中でも書いたが、ここでさらに一歩踏み込むなら、ブラジル人の強さというのは「自分たちの土俵に立っている者の強さ」ということ。リングス時代のロシア人ファイターが、総合格闘技=バーリ・トウードに対して「あれはブラジル人のルール」と評していたことなども、それを物語っている。

 ブラジル人は確かにすごい。しかし、彼らの土俵の上に立って、その上で彼らの強さに対抗しようとしているヒョードルを初めとするロシア勢、あるいは日本やオランダのファイターたちも、じつは相当に「すごい」のである。

 たとえば、吉田道場のファイターたち。彼らは全日本ではトップレベルの柔道家だが、まだ吉田と中村以外は、十分な活躍ができていない。しかし、ノゲイラやシウバがもし数ヶ月の準備期間で全日本柔道選手権に出たとして、どこまで勝てるだろうか? そのような想像ができれば、彼らの挑んでいることの意味も捉えやすくなる。

 もう少し俯瞰して言うなら、日本という国は「外の文化を作り替えた」という言い方があるように、歴史において徹底して「他人の土俵の上」で戦うことを続けてきた面がある。武士道と呼ばれるものも、じつはそうした自己犠牲的な精神と呼ぶこともできる。K-1も母体である正道会館という空手団体が、キックボクシングという土俵に上がったことで成立したものだ。
 
 総合格闘技でも、そこで戦う日本人ファイターは、身体感覚のポテンシャルで世界有数のレベルにあるブラジル人の土俵に乗っている。その上で、本気で勝とうともしている。
 しかも、その「他人の土俵」を自分たちでわざわざ作り、結果として優秀なブラジリアン・ファイターが育つ土壌を作り、最高の環境を整えた上で……。
 こうした“場づくり”を半ば無意識で行っているすごみ。ヒョードル×ミルコ、ショーグン×アローナのようなレベルの高い戦いを、実現させてしまっていることのすごみ。プロデューサーがいて、観客がいて、選手がいるという“場”のあるすごみ。「総合」と呼ぶのなら、そうした点についても目を向ける必要がある。

 以上、PRIDEという格闘技イベントから見えてくる日本。そして、世界。そんなものについても、ついつい書いてしまいました。

投稿者 長沼敬憲 : 2005年08月30日 22:12

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