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2005年10月25日
武田幸三はK-1MAXでなぜ「勝てない」のか?
遅ればせながら、10月12日のK-1MAX世界王者対抗戦の話題を。
すでにメディアで様々に報じられているが、筆者が注目していたのは、メインの新K-1王者アンディ・サワー×武田幸三戦、ボクシング日本王者クラスの参戦、佐藤嘉洋の復活戦あたり。
(大会直後の「日記」も参照)
佐藤の話は最後にするとして、筆者が面白いと思ったのは、サワーに壮絶なKO負けを喫した武田と、ボクサー相手に余裕の勝利を飾ったアルバート・クラウス、マイク・ザンビディスの戦いぶりがあまりに対照的であったという点。
筆者の見るかぎり、武田とクラウス、ザンビディスの間に大きな力量差はない。
言い換えるなら、武田は世界に通用する実力を持っている。
だからこそ、“難攻不落”と言われたムエタイのチャンピオン(ラジャダムナンウエルター級王者)になるという快挙を成し遂げたわけであり、60戦40勝(15敗5分)という戦績も堂々たるものだ。
だが、にもかかわらず、K-1ではなかなか勝てない。
ここまでの通算成績は、3勝5敗。
キックボクシングとK-1は、素人目にはほとんど同じ競技に見えるが、じつは似て非なる競技だと捉えるべきだという声をよく聞く。
その意味で、輝かしいキックの戦績を誇る武田も、いまだにK-1への対応に苦慮している面があるのかもしれない。
しかし、それが確かだとしても、筆者にはまた違ったものが見えている。
それは武田が「日本人」であるという点だ。これだけではわかりにくいと思うので、当日のクラウス、ザンビディスの試合と比較してみよう。
この両者は、K-1MAXに参戦する外国人ファイターの中でもトップクラスの実力者。
クラウスは初代MAX王者に、ザンビディスはあの山本“KID”徳郁にKO勝ちするなど、ここまで相応の実績を残している。
しかし、今回の“日本人ボクサー”相手の試合では、ファンの期待したパンチの打ち合いはほとんど避け、ローキックで手堅い勝利をモノにしている。
当日の試合を観戦したターザン山本氏は、二人の試合を次のように酷評する。
まったくバカなことをしてくれたものである。なぜボクサーに対してパンチで勝負しようとしなかったのか?
自信がなかったのか? それもある。選手というものはリングに上がればどんなに強くても不安になるもの。だからクラウスたちは〝勝ち〟を取るためにローキック攻めにいったのだ。
バカバカしいというか、アホらしいというか。
ボクサーのパンチにはパンチで応戦してそれで勝ってみせる。そうすることで初めて「K-1」の価値とポリシーを彼らに見せつけることができたのだ。
なぜ、それをやらなかったのか? それは彼らがアーティストではなくボクからするとどこにでもいるアスリートだったからだ。
(ターザンカフェ/プロ格コラム2005年10月14日より)
彼らはアーティストではなく、アスリートだった。……なかなかするどい指摘だが、「欧米人」である彼らにこの言葉がどこまで響くだろうか?
彼らにとっては、試合はまず勝たないことに始まらない。
「いい試合を見せる」ことなどは、生き残るためには二の次というのが本音。
そうした意識が、日本人一般とくらべ非常に強いと思われるからだ。
クラウスなどは、半ば相手を見くびって、普段は決して出すことのないタテ回転の回し蹴りまで繰り出している。
これが「見せる=魅せる」という行為につながらないことは、試合を見た多くの人が感じとっただろう。しかし、この日本のファンの多くが感じとっている意味合いを、クラウスの胸に届くように伝えることは非常に難しい。
魅せるなどというと、ショーマンシップのように受け取ってしまう可能性もある。
一方、メインを務めた武田の場合はどうか? まず戦前の彼のコメントに耳を傾けてみよう。
彼は、前回の対戦にあたる、8月22日の「TITANS 2nd」で強豪ジョン・ウエイン・パーに壮絶なKO負けを喫した点をふまえ、
ジョン・ウェイン相手にローキックが効いたのは確かに自信になりましたね。
その点で言えば、サワーの方がジョン・ウェインより崩しやすいと思うし、自分の距離で戦えれば勝てると思います。
命を削る覚悟で、ファンの皆さんに楽しんでもらえるように、死ぬ気で戦います。
(スポーツナビ/格闘技より)
結果的に2試合連続のKO負けとなってしまったわけだが、武田の発言で気になるのは、最後の「ファンの皆さんに楽しんでもらえるように」という点。
彼のインタビューなどを読むと、必ずと言っていいほどこのフレーズが出てくる。
試合後、「会場が盛り上がればそれで合格というわけではない。考え方というか、変えていかないと」といった発言もしていたが(スポーツナビ/格闘技より)、彼の意識の中には勝敗以上のものを求める気持ちが明らかに見受けられる。
おそらくこの感覚は、身体に染み着いている以上のものであると筆者は思う。
というわけで、“アスリートのDNA”が染み着いた外国人ファイターと、なんだかんだと“サムライのDNA”を受け継いでいる「日本人」武田。
「勝たなければ始まらない」という思いは日本人ファイターだって同じだと言うかもしれないが、日本人が往々にして「紙一重で勝てない」のは、染み着いている意識のレベルに関係している。
このへんの話は、これまでもずいぶんと話してきた。
しかし、その一方で、こうも言える。
日本でなぜ、こうまで格闘技が隆盛を迎えているのか?
そこには勝ち負けの競い合い以上のものを求めたがる国民性が、明らかに介在している。そう言えるのではないか?
そして、このブームを根底で支えるのは、「才能あふれるアスリート」ではなく、たえず勝ち負けを越えたリスクの高い戦いに挑もうとする「日本人ファイター」(山本氏のいうアーティスト)であるということ。
だから、「日本人ファイター」はよく負ける。しかし同時に、その戦いの歴史の中で、突然変異的にアスリートの強さを凌駕するファイターも現れる。
K-1MAXでいえば、魔裂斗がそれにあたることは異論のないところだろう。
MAXの人気は彼の出現によって不動のものになったと言われているが、いくら彼のルックスが良くても、もし「アスリート」であったらここまでの人気は生まれなかったはずだ。
武田や小比類巻、同じくK-1MAXでなかなか勝てない安廣などの日本人ファイターは、筆者には同じ質のDNAを宿しているように映るが、やはり同じDNAの持ち主・魔裂斗との間には、見えない壁が存在している。
この壁を打ち破るのは、“DNA”がからんでいるだけあって容易ではない(唯一の“対抗馬”であった山本“KID”徳郁は、総合格闘技=HERO'Sに転身してしまった)。
また、強豪ぞろいの外国人ファイターたちも、今回のような試合で「勝った」と思っているかぎり、一つ上のステージにはなかなか上がれないだろう。
(そのステージを認識できているかという問題もある)
わかりやすい話をすれば、過去のK-1の歴史の中で魔裂斗と同じポジションを築いたのは、筆者の見るかぎり、やはり、故アンディ・フグ。
彼が“青い目をした日本人”と呼ばれてゆえんは、そこにある。
ちなみに、今回“涙の復活勝利”を飾った佐藤は、生粋のアスリートタイプだがアーネスト・ホーストのように“負けない横綱”になれる逸材と言われている。
確かにその可能性はあるだろう。
アンディにホースト、そしてアーツタイプのファイターも揃っているK-1MAXは、なんだかんだとこの先も「進化」していくものと思われる。
しかし、日本人が強くなる道というのは、ただ険しいだけでなく、多くの人が思っている以上に「奥が深い」。
また、「外国人ファイター」が「道」に目覚めることも、同様。それらはコインの裏表、車輪の両輪として「進化」を牽引している。
そのような視点で格闘技をながめると、なかなか興味深いものが見えてくる。
“DNA”の話は面白いので、また機会を改めて書きたいと思う。