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2006年08月08日

桜庭和志、HERO'Sデビュー戦の「ミスジャッジ」の背景にあるもの

 亀田興毅の世界タイトル奪取の3日後、「微妙な判定」が物議を醸すなか、同じTBSで放送された総合格闘技イベント「HERO'S」
 この大会の最大の目玉は、ライバル団体「PRIDE」から電撃移籍した桜庭和志のメインイベントであったわけだが……。

 桜庭は、総合格闘技を日本でメジャーなものにすることに貢献した、パイオニア的なヒーロー。
 亀田一家ほどの影響力はないものの、一時代を築いた彼が新天地でどのような活躍をするか、大会前から期待が集まっていた。
 ところが試合は、開始早々からほぼ一方的な展開。リトアニアからやってきた決して弱くはない(でも、最終的には桜庭の快勝が期待されていた)ファイターの打撃がヒットし、失神寸前まで追い込まれる。

 そう。この試合、実質的に彼の「負け」だった。これは間違いない。たとえば同じシーンで彼が攻撃する側だったら、堂々の秒殺デビューとなったはずだろう。

 ただ、現実はそうはならなかった。レフェリーは、桜庭戦が失神寸前にもかかわらず、ストップを躊躇する。
 戸惑う対戦相手。立ち上がってのちも、足元ふらふらの桜庭。少しずつ意識を取り戻し、反撃。
 そして、最後は関節技で「劇的な逆転勝利」。
 繰り返すが、そこに桜庭を負けさせたくないという意図があったと言われても、否定できない展開だ。

 桜庭を負けさせたくない意図。筆者は勝敗が始めから決まっていたとまでは思わない。
 ただ、彼を負けさせたくない空気が戦前から濃厚にあった。でもそれは、会場の空気だっただろうか? 実際に観衆がそれを望んでいたのか?
 必ずしもそうではないと筆者は思う。
 桜庭は確かに一時代を築いたスターだが、観衆の多くは山本KIDや須藤元気の活躍に魅了された、比較的新しいファン。この二大スターが出場しない大会で、主催者側は新たなヒーローを作り出す必要があった。そのために新しいファン層に、“伝説の男”桜庭の強さをわかりやすく伝えなければならない。
 しかしそうした「期待」を、桜庭は「裏切って」しまう。。。

 ここで筆者が感じること。
 「期待を裏切った」桜庭に対し、おろおろと「狼狽」し、ストップがかけられないレフェリー。
 これはもしかしたら、心理学の領域に属する話ではないかということ。
 レフェリーが感じていたかもしれないプレッシャーは、わかりやすく言えば、テレビ局側のプレッシャーだ。テレビ局はいわば大口のスポンサーであり、大会を成功させ、視聴率の取れる優良コンテンツに育て上げるため、世間に「総合格闘技の魅力」をわかりやすい手法で伝えることを仕事にしている。

 テレビの向こうには、顔の見えない大衆がいる。
 テレビ中継をイベントの中心に据えているかぎり、多かれ少なかれ、「理想的な展開」(ここではニューヒーロー桜庭の劇的勝利)というプレッシャーに関係者は縛られる。難しい話だ。部外者は馬鹿らしいと感じるかもしれないが、筆者はそうは思いたくない。

 いいものがあり、人がそれに感動すれば、多くの人に広めたいと思う。そうした意識の結果として、テレビメディアのような媒体は発達してきた。
 いいものを多くの人に伝える手段として、映像が最も強力であることは誰もが知っている。メディアを否定し、揶揄するのは簡単だ。しかしそれは多くの場合、ただの力ない皮肉で終わってしまう。

 さて、話を試合に戻そう。人のやることには、予想外のケースはいくらでもある。ある程度の「過剰な演出」はあっても構わないが、しかし、たとえばすべての選手がベストのコンディションで、死力を尽くして戦ったとしても、その「過剰な演出」を裏切る「期待外れの凡戦」はある。
 「そういうこともある」(つまり、桜庭の秒殺負けもある)というリアリティを、不特定多数の人が見ているテレビ媒体(地上波)で、必要以上に加工を施さずに伝えることは可能だろうか?
 メジャーになりつつある格闘技界は、そろそろそうしたことを考える段階に来ている。 
 ちなみにこの意味で言えば、亀田の世界戦も「判定負け」で良かった(それがリアリティだ)という意見もあるかもしれない。
 ただ、筆者の目から言えば、あれは全然誤差の範囲内であり、「地の利」や「世間の期待値」が加味されて亀田勝利になることは、また別の意味でリアリティだと思っている。桜庭の場合と似ている要素はあっても、一緒にはできない。
 
 たとえて言うなら、あの亀田だってあと1回ダウンしていたら、どんな期待値があろうと負けていたはずだ。
 今回の桜庭の勝利は、その例えで言えば、「2回もダウンしたのに王者になった」くらい、はっきりとミスジャッジが指摘できるものだと思う。

 このミスジャッジの背後にある、心理学的と言ってもいい、期待に対する見えないプレッシャー。
 これを安易に笑ってしまう人は、おそらくイベントの当事者の気持ちはいつまで経ってもわからないだろう。作り上げたものを維持して、続けていく。このうえに「歴史」があるということも、多分、感じ取れない。

 テレビ主導のK-1やHERO'S(ともに運営母体は同じ)は、あくまでもこうした現実をふまえて、「より良いもの」を築き上げていく立場にある。
 テレビ局(フジテレビ)から突如、契約解除が通告されたライバル団体・PRIDEとは、もともとカラーがくっきり異なってはいたが、この先さらに対象的な道を歩んでいくことになりそうだ。

 二つの道(可能性)を同時体験できる日本の格闘技界は、やはりいろいろな意味で「進んでいる」と思う。


投稿者 長沼敬憲 : 12:39 | コメント (0)