2006年08月08日

桜庭和志、HERO'Sデビュー戦の「ミスジャッジ」の背景にあるもの

 亀田興毅の世界タイトル奪取の3日後、「微妙な判定」が物議を醸すなか、同じTBSで放送された総合格闘技イベント「HERO'S」
 この大会の最大の目玉は、ライバル団体「PRIDE」から電撃移籍した桜庭和志のメインイベントであったわけだが……。

 桜庭は、総合格闘技を日本でメジャーなものにすることに貢献した、パイオニア的なヒーロー。
 亀田一家ほどの影響力はないものの、一時代を築いた彼が新天地でどのような活躍をするか、大会前から期待が集まっていた。
 ところが試合は、開始早々からほぼ一方的な展開。リトアニアからやってきた決して弱くはない(でも、最終的には桜庭の快勝が期待されていた)ファイターの打撃がヒットし、失神寸前まで追い込まれる。

 そう。この試合、実質的に彼の「負け」だった。これは間違いない。たとえば同じシーンで彼が攻撃する側だったら、堂々の秒殺デビューとなったはずだろう。

 ただ、現実はそうはならなかった。レフェリーは、桜庭戦が失神寸前にもかかわらず、ストップを躊躇する。
 戸惑う対戦相手。立ち上がってのちも、足元ふらふらの桜庭。少しずつ意識を取り戻し、反撃。
 そして、最後は関節技で「劇的な逆転勝利」。
 繰り返すが、そこに桜庭を負けさせたくないという意図があったと言われても、否定できない展開だ。

 桜庭を負けさせたくない意図。筆者は勝敗が始めから決まっていたとまでは思わない。
 ただ、彼を負けさせたくない空気が戦前から濃厚にあった。でもそれは、会場の空気だっただろうか? 実際に観衆がそれを望んでいたのか?
 必ずしもそうではないと筆者は思う。
 桜庭は確かに一時代を築いたスターだが、観衆の多くは山本KIDや須藤元気の活躍に魅了された、比較的新しいファン。この二大スターが出場しない大会で、主催者側は新たなヒーローを作り出す必要があった。そのために新しいファン層に、“伝説の男”桜庭の強さをわかりやすく伝えなければならない。
 しかしそうした「期待」を、桜庭は「裏切って」しまう。。。

 ここで筆者が感じること。
 「期待を裏切った」桜庭に対し、おろおろと「狼狽」し、ストップがかけられないレフェリー。
 これはもしかしたら、心理学の領域に属する話ではないかということ。
 レフェリーが感じていたかもしれないプレッシャーは、わかりやすく言えば、テレビ局側のプレッシャーだ。テレビ局はいわば大口のスポンサーであり、大会を成功させ、視聴率の取れる優良コンテンツに育て上げるため、世間に「総合格闘技の魅力」をわかりやすい手法で伝えることを仕事にしている。

 テレビの向こうには、顔の見えない大衆がいる。
 テレビ中継をイベントの中心に据えているかぎり、多かれ少なかれ、「理想的な展開」(ここではニューヒーロー桜庭の劇的勝利)というプレッシャーに関係者は縛られる。難しい話だ。部外者は馬鹿らしいと感じるかもしれないが、筆者はそうは思いたくない。

 いいものがあり、人がそれに感動すれば、多くの人に広めたいと思う。そうした意識の結果として、テレビメディアのような媒体は発達してきた。
 いいものを多くの人に伝える手段として、映像が最も強力であることは誰もが知っている。メディアを否定し、揶揄するのは簡単だ。しかしそれは多くの場合、ただの力ない皮肉で終わってしまう。

 さて、話を試合に戻そう。人のやることには、予想外のケースはいくらでもある。ある程度の「過剰な演出」はあっても構わないが、しかし、たとえばすべての選手がベストのコンディションで、死力を尽くして戦ったとしても、その「過剰な演出」を裏切る「期待外れの凡戦」はある。
 「そういうこともある」(つまり、桜庭の秒殺負けもある)というリアリティを、不特定多数の人が見ているテレビ媒体(地上波)で、必要以上に加工を施さずに伝えることは可能だろうか?
 メジャーになりつつある格闘技界は、そろそろそうしたことを考える段階に来ている。 
 ちなみにこの意味で言えば、亀田の世界戦も「判定負け」で良かった(それがリアリティだ)という意見もあるかもしれない。
 ただ、筆者の目から言えば、あれは全然誤差の範囲内であり、「地の利」や「世間の期待値」が加味されて亀田勝利になることは、また別の意味でリアリティだと思っている。桜庭の場合と似ている要素はあっても、一緒にはできない。
 
 たとえて言うなら、あの亀田だってあと1回ダウンしていたら、どんな期待値があろうと負けていたはずだ。
 今回の桜庭の勝利は、その例えで言えば、「2回もダウンしたのに王者になった」くらい、はっきりとミスジャッジが指摘できるものだと思う。

 このミスジャッジの背後にある、心理学的と言ってもいい、期待に対する見えないプレッシャー。
 これを安易に笑ってしまう人は、おそらくイベントの当事者の気持ちはいつまで経ってもわからないだろう。作り上げたものを維持して、続けていく。このうえに「歴史」があるということも、多分、感じ取れない。

 テレビ主導のK-1やHERO'S(ともに運営母体は同じ)は、あくまでもこうした現実をふまえて、「より良いもの」を築き上げていく立場にある。
 テレビ局(フジテレビ)から突如、契約解除が通告されたライバル団体・PRIDEとは、もともとカラーがくっきり異なってはいたが、この先さらに対象的な道を歩んでいくことになりそうだ。

 二つの道(可能性)を同時体験できる日本の格闘技界は、やはりいろいろな意味で「進んでいる」と思う。


投稿者 長沼敬憲 : 12:39 | コメント (0)

2005年11月21日

11.19「K-1GP決勝」を見た

“影の優勝候補”セーム・シュルトがパーフェクトと言っていい勝ちっぷりで栄冠を手にした、ことしのK-1GP
筆者もテレビで観戦。先日の直前予想をもとに、大会を振り返ってみたい。
(青字が前回の予想部分)

カギになるのは、第1試合のレミー×ホンマン。

なにしろ、戦前にさんざん挑発され、「名誉」が傷つけられているホンマンは、勝敗以上にレミーを潰しにかかる意図が見える。
しかも、レミーが勝ったとしても、次は影の優勝候補と目されるセーム・シュルトとの対戦の可能性がある。
2戦連続の大男……。勝ってもその先にさらに決勝が待っている。
レミーにとってはかなり厳しい組み合わせ。
どんなハプニングがあろうが(前述のホーストのような)この組み合わせでV3が飾れたなら、彼の強さは“本物”と認められるだろう。

残念ながら、最初のハードルをクリアしたレミーだが、次のシュルトに完敗。
最終的にシュルトが優勝を飾ったことで、レミーや武蔵の戦法に象徴される、ここ数年のK-1のファイトスタイルは大きく変化しそうな予感がする。

レミーと武蔵に共通していたのは、ポイントを稼ぎ、負けない試合に徹する戦法をとっていた点。
KO決着を望むファンからすると物足りなさがあっただろうが、K-1ファイターは草創期から比べればはるかにレベルアップし、技術が拮抗している。
そうした実力者どうしのなかでコンスタントに勝ち抜くには、リスクを避け、ディフェンス力を強化するのは常道にも思える。

フライングニーを中心に派手な飛び技を武器にしてきたレミーも、王者になってからは両腕でがっちりガードを固め、コツコツとローを叩き込むような戦法に変化した。
シュルトに破れたレミーが、奇しくも「プレッシャーから解放された」と語っていたように、負けない戦い方をずっと強いられてきたのだと思う。

これを「そんなファイトスタイルはやめて、正々堂々と打ち合いをすべきだ」と批判しても意味がないことは言うまでもないだろう。

そう。レミーや武蔵の現在進行形のK-1ファイトスタイルを凌駕する(つまり、さらにレベルアップした)戦い方ができるファイターが現れないことには、この膠着状態からは抜け出せない。
シュルトは、結果としてそれをやってのけたことになる。


一方のホンマンだが、前回のサップ戦で意外なスタミナのなさと、ローキックへの無防備さが露呈してしまったが、正直、短期間での修正は難しい気がする。
ホンマンもそのことは、どこかで感じているのではないか? 今回は勝利よりも、明らかにレミー潰しを狙っている。
で、そのうえで勝ち上がったとしたら……シュルトとの“大男対決”??
そうなると、技術の正確さからシュルトが有利な気がするが……。

ちなみにホンマンの場合、本人にとってはイヤな話だろうが、見る側の興味としては、いつダウンするのか? いつKOされるのか? というものがあると思う。
最初のレミー戦か、次の準々決勝か……。
もしかしたら、その前後の時間帯が瞬間最高視聴率になるかも。


敗れたとはいえ、ホンマンは思った以上に試合ができたというのが、筆者の印象。
その分、デビュー当時のサップのような“予測を超えた無茶苦茶さ”がなかったため、レミーにポイントを奪われ、攻略されてしまった格好だろう。

とはいえ、あの体格であの動きはやはり逸材。
次戦は、今回実現できなかったシュルトとのスーパーファイトが実現したら面白い。
ホンマンはこの一戦で、「瞬間最高視聴率」レベルの?豪快なKO負けをするかもしれない。しかし、シュルトと豪快な打ち合いをすれば、「もしか?」の展開もありえる。
少なくとも大味な大男対決にはならない気がする。


というわけで、筆者はこのブロックの本命はレミー、対抗はシュルトと考える。
シュルトに関しては、1回戦のセフォー戦がちょっとしたチェックポイント。この試合にあっさり勝ってしまうと(セフォーを完封してしまうと)、優勝候補の本命に昇格かなという気がするが……。


書いた通りになりましたな。笑。


では、もう一方のブロックはどうか?
正直、このブロックは武蔵に有利な組み合わせに筆者には映る。対戦相手のカラエフは強いが、武蔵は相手の攻撃をいなすタイプ。
いい試合になってほしいとは思うが、結果は順当に武蔵の判定勝ち。

で、その前のレ・バンナとアーツの“旧世代大物対決”だが、もしかしたらこの試合の勝敗が一番読みにくいかもしれない。
とはいえ、アーツはやはりすねの傷が気になるが、何となく最近は勝ち運がある。レ・バンナは最近とみにスキルアップ、パワーアップしている感があるが、逆に勝ち運が薄いような……。


このへんも、ほとんどパーフェクトな予想。笑。


その意味で有利なのはアーツ。
ただ、どちらが勝ち上がっても、準決勝では案外武蔵が順当に勝利をおさめる気がする。
いまのK-1はハードパンチャーより、いなせる技術を持ったファイターに軍配が上がりやすい。
これまで不用意に打撃をもらって相手に主導権を奪われていた武蔵だが、最近ではそのへんが修正されているので……。


アーツはここ最近いい戦い方をしていたので勝ち上がるとは思っていた。
しかし、パワーファイターのレ・バンナ相手に接戦になるだろうから、スタミナ面で武蔵に有利になると思っていた。

それが肋骨を折ってアーツが棄権。リザーブファイトを制したクラウベ・ファイトーザが準々決勝に進出。
カラエフ戦で予想以上に体力を消耗していた点もあるだろうが、おそらくこの対戦相手の変更が、武蔵の勝ち運を奪ってしまった。

トーナメント全体を見渡せば、もう一方のブロックでレミーがシュルトにKO負け。
そして武蔵も、シュルトと同じ空手系の、しかも激しい(変則的な)飛び技をもったクラウベに、「不用意に打撃をもらって」敗退。


というわけで、筆者の決勝の対戦予想は、3年連続のレミー×武蔵戦!
もちろんそうはならない可能性も無数にあるが、ことしのトーナメントの軸はやはりこの二人にあるというのが、筆者の見方。

つまり、本命1のレミーを崩すトリックスターがホンマン。
本命2の武蔵を崩す、やはりトリックスターがカラエフ。

で、勝ち抜いた場合、大きな試練として立ちはだかるのが、レミーの場合、シュルト(あるいはセフォー)、武蔵の場合、アーツ(かレ・バンナ)。

この試練を乗り越えて、あとは精神力で戦うのが3年連続の決勝戦。


筆者の戦前の構図は途中できれいなくらいに崩れ、しかも、両者のファイトスタイルとは対極的なシュルトとクラウベの決勝戦。
今後のK-1を考えると、これはある種の天意が働いたようにも思えてしまう。

シュルトは、総合(PRIDE)でヒョードルやノゲイラ、ハリトーノフに完敗しているので、正直な話、筆者のなかではかなり商品価値が落ちていて(失礼!)、あまりプッシュする気になれなかった。
しかし、今回のGPであれだけ圧倒的な勝利を得た以上、これから立ち技の世界では明らかに台風の目になっていくだろう。
谷川プロデューサーはクラウベとの決勝戦を「地味」とも評していたが、テレビメディアとしても、ようやく取り上げやすい存在になったと言える。


ちょっとKO決着はなさそうな……。


シュルトが決勝に上がるとしても、KO決着は決勝くらいと思っていた。
その点、いい意味で予想を裏切られたわけで、そう感じた人が多かったならイベントとして「大成功」だったのではないだろうか?

ともあれ、K-1に“絶対王者”が生まれることで、イベントとしてのカラーは見えやすくなった。
来年以降(大晦日も含め)、どんな仕掛けをしていくのかなかなか楽しみではある。


投稿者 長沼敬憲 : 09:46 | コメント (0)

2005年11月19日

11.19「K-1GP決勝」を直前予想する

間近に迫ったK-1GP決勝の直前予想を、普通に行なってみます。

カギになるのは、第1試合のレミー×ホンマン。
これが数年前のGPのホースト×サップ戦に不思議なくらいダブることは前に書いた通り(→こちらを参照)。このときはホーストがまさかのKO負け、しかしサップの負傷により準決勝に繰り上がり、そのままなんと優勝までかっさらってしまった(ホーストはV4達成)。今回もこんなドラマの予感がプンプンする。

なにしろ、戦前にさんざん挑発され、「名誉」が傷つけられているホンマンは、勝敗以上にレミーを潰しにかかる意図が見える。
しかも、レミーが勝ったとしても、次は影の優勝候補と目されるセーム・シュルトとの対戦の可能性がある。
2戦連続の大男……。勝ってもその先にさらに決勝が待っている。
レミーにとってはかなり厳しい組み合わせ。
どんなハプニングがあろうが(前述のホーストのような)この組み合わせでV3が飾れたなら、彼の強さは“本物”と認められるだろう。

一方のホンマンだが、前回のサップ戦で意外なスタミナのなさと、ローキックへの無防備さが露呈してしまったが、正直、短期間での修正は難しい気がする。
ホンマンもそのことは、どこかで感じているのではないか? 今回は勝利よりも、明らかにレミー潰しを狙っている。
で、そのうえで勝ち上がったとしたら……シュルトとの“大男対決”??
そうなると、技術の正確さからシュルトが有利な気がするが……。

ちなみにホンマンの場合、本人にとってはイヤな話だろうが、見る側の興味としては、いつダウンするのか? いつKOされるのか? というものがあると思う。
最初のレミー戦か、次の準々決勝か……。
もしかしたら、その前後の時間帯が瞬間最高視聴率になるかも。

というわけで、筆者はこのブロックの本命はレミー、対抗はシュルトと考える。
シュルトに関しては、1回戦のセフォー戦がちょっとしたチェックポイント。この試合にあっさり勝ってしまうと(セフォーを完封してしまうと)、優勝候補の本命に昇格かなという気がするが……。

では、もう一方のブロックはどうか?
正直、このブロックは武蔵に有利な組み合わせに筆者には映る。対戦相手のカラエフは強いが、武蔵は相手の攻撃をいなすタイプ。
いい試合になってほしいとは思うが、結果は順当に武蔵の判定勝ち。

で、その前のレ・バンナとアーツの“旧世代大物対決”だが、もしかしたらこの試合の勝敗が一番読みにくいかもしれない。
とはいえ、アーツはやはりすねの傷が気になるが、何となく最近は勝ち運がある。レ・バンナは最近とみにスキルアップ、パワーアップしている感があるが、逆に勝ち運が薄いような……。

その意味で有利なのはアーツ。
ただ、どちらが勝ち上がっても、準決勝では案外武蔵が順当に勝利をおさめる気がする。
いまのK-1はハードパンチャーより、いなせる技術を持ったファイターに軍配が上がりやすい。
これまで不用意に打撃をもらって相手に主導権を奪われていた武蔵だが、最近ではそのへんが修正されているので……。

というわけで、筆者の決勝の対戦予想は、3年連続のレミー×武蔵戦!
もちろんそうはならない可能性も無数にあるが、ことしのトーナメントの軸はやはりこの二人にあるというのが、筆者の見方。

つまり、本命1のレミーを崩すトリックスターがホンマン。
本命2の武蔵を崩す、やはりトリックスターがカラエフ。

で、勝ち抜いた場合、大きな試練として立ちはだかるのが、レミーの場合、シュルト(あるいはセフォー)、武蔵の場合、アーツ(かレ・バンナ)。

この試練を乗り越えて、あとは精神力で戦うのが3年連続の決勝戦。

このように捉えると、両者に課せられたテーマの意外な共通性が浮かび上がってくる。
では、肝心のGPの優勝は??

正直、この二人以外の誰がなってもおかしくない組み合わせだが、レミー×武蔵になった場合、ことしは武蔵に分があると予想しておこう!
というわけで、2005年のGPの優勝は武蔵!

GPは第1回から見ているが……、本戦では万年1回戦ボーイだった武蔵に対し、判官びいきなしにこんな予想ができるようになるとは……。
ともあれ、以上の視点で応援するつもりなので、少なくとも1回戦のKO負けはナシにしてもらいたい。笑。


★直前予想★
(準々決勝)
○レミー(判定)ホンマン●
●セフォー(判定)シュルト○
●レ・バンナ(判定)アーツ○
○武蔵(判定)カラエフ●

(準決勝)
○レミー(判定)シュルト●
●アーツ(TKO)武蔵○

(決勝)
●レミー(判定)武蔵○

ちょっとKO決着はなさそうな……。


投稿者 長沼敬憲 : 14:20 | コメント (0)

2005年10月25日

武田幸三はK-1MAXでなぜ「勝てない」のか?

遅ればせながら、10月12日のK-1MAX世界王者対抗戦の話題を。
すでにメディアで様々に報じられているが、筆者が注目していたのは、メインの新K-1王者アンディ・サワー×武田幸三戦、ボクシング日本王者クラスの参戦、佐藤嘉洋の復活戦あたり。
(大会直後の「日記」も参照)
佐藤の話は最後にするとして、筆者が面白いと思ったのは、サワーに壮絶なKO負けを喫した武田と、ボクサー相手に余裕の勝利を飾ったアルバート・クラウス、マイク・ザンビディスの戦いぶりがあまりに対照的であったという点。

筆者の見るかぎり、武田とクラウス、ザンビディスの間に大きな力量差はない。
言い換えるなら、武田は世界に通用する実力を持っている。
だからこそ、“難攻不落”と言われたムエタイのチャンピオン(ラジャダムナンウエルター級王者)になるという快挙を成し遂げたわけであり、60戦40勝(15敗5分)という戦績も堂々たるものだ。
だが、にもかかわらず、K-1ではなかなか勝てない。
ここまでの通算成績は、3勝5敗。

キックボクシングとK-1は、素人目にはほとんど同じ競技に見えるが、じつは似て非なる競技だと捉えるべきだという声をよく聞く。
その意味で、輝かしいキックの戦績を誇る武田も、いまだにK-1への対応に苦慮している面があるのかもしれない。
しかし、それが確かだとしても、筆者にはまた違ったものが見えている。
それは武田が「日本人」であるという点だ。これだけではわかりにくいと思うので、当日のクラウス、ザンビディスの試合と比較してみよう。

この両者は、K-1MAXに参戦する外国人ファイターの中でもトップクラスの実力者。
クラウスは初代MAX王者に、ザンビディスはあの山本“KID”徳郁にKO勝ちするなど、ここまで相応の実績を残している。
しかし、今回の“日本人ボクサー”相手の試合では、ファンの期待したパンチの打ち合いはほとんど避け、ローキックで手堅い勝利をモノにしている。

当日の試合を観戦したターザン山本氏は、二人の試合を次のように酷評する。

まったくバカなことをしてくれたものである。なぜボクサーに対してパンチで勝負しようとしなかったのか?
自信がなかったのか? それもある。選手というものはリングに上がればどんなに強くても不安になるもの。だからクラウスたちは〝勝ち〟を取るためにローキック攻めにいったのだ。
バカバカしいというか、アホらしいというか。
ボクサーのパンチにはパンチで応戦してそれで勝ってみせる。そうすることで初めて「K-1」の価値とポリシーを彼らに見せつけることができたのだ。
なぜ、それをやらなかったのか? それは彼らがアーティストではなくボクからするとどこにでもいるアスリートだったからだ。
ターザンカフェ/プロ格コラム2005年10月14日より)

彼らはアーティストではなく、アスリートだった。……なかなかするどい指摘だが、「欧米人」である彼らにこの言葉がどこまで響くだろうか?
彼らにとっては、試合はまず勝たないことに始まらない。
「いい試合を見せる」ことなどは、生き残るためには二の次というのが本音。
そうした意識が、日本人一般とくらべ非常に強いと思われるからだ。

クラウスなどは、半ば相手を見くびって、普段は決して出すことのないタテ回転の回し蹴りまで繰り出している。
これが「見せる=魅せる」という行為につながらないことは、試合を見た多くの人が感じとっただろう。しかし、この日本のファンの多くが感じとっている意味合いを、クラウスの胸に届くように伝えることは非常に難しい。
魅せるなどというと、ショーマンシップのように受け取ってしまう可能性もある。

一方、メインを務めた武田の場合はどうか? まず戦前の彼のコメントに耳を傾けてみよう。
彼は、前回の対戦にあたる、8月22日の「TITANS 2nd」で強豪ジョン・ウエイン・パーに壮絶なKO負けを喫した点をふまえ、

ジョン・ウェイン相手にローキックが効いたのは確かに自信になりましたね。
その点で言えば、サワーの方がジョン・ウェインより崩しやすいと思うし、自分の距離で戦えれば勝てると思います。
命を削る覚悟で、ファンの皆さんに楽しんでもらえるように、死ぬ気で戦います。
スポーツナビ/格闘技より)

結果的に2試合連続のKO負けとなってしまったわけだが、武田の発言で気になるのは、最後の「ファンの皆さんに楽しんでもらえるように」という点。
彼のインタビューなどを読むと、必ずと言っていいほどこのフレーズが出てくる。

試合後、「会場が盛り上がればそれで合格というわけではない。考え方というか、変えていかないと」といった発言もしていたが(スポーツナビ/格闘技より)、彼の意識の中には勝敗以上のものを求める気持ちが明らかに見受けられる。
おそらくこの感覚は、身体に染み着いている以上のものであると筆者は思う。

というわけで、“アスリートのDNA”が染み着いた外国人ファイターと、なんだかんだと“サムライのDNA”を受け継いでいる「日本人」武田。
「勝たなければ始まらない」という思いは日本人ファイターだって同じだと言うかもしれないが、日本人が往々にして「紙一重で勝てない」のは、染み着いている意識のレベルに関係している。
このへんの話は、これまでもずいぶんと話してきた。

しかし、その一方で、こうも言える。
日本でなぜ、こうまで格闘技が隆盛を迎えているのか?
そこには勝ち負けの競い合い以上のものを求めたがる国民性が、明らかに介在している。そう言えるのではないか?
そして、このブームを根底で支えるのは、「才能あふれるアスリート」ではなく、たえず勝ち負けを越えたリスクの高い戦いに挑もうとする「日本人ファイター」(山本氏のいうアーティスト)であるということ。

だから、「日本人ファイター」はよく負ける。しかし同時に、その戦いの歴史の中で、突然変異的にアスリートの強さを凌駕するファイターも現れる。
K-1MAXでいえば、魔裂斗がそれにあたることは異論のないところだろう。
MAXの人気は彼の出現によって不動のものになったと言われているが、いくら彼のルックスが良くても、もし「アスリート」であったらここまでの人気は生まれなかったはずだ。

武田や小比類巻、同じくK-1MAXでなかなか勝てない安廣などの日本人ファイターは、筆者には同じ質のDNAを宿しているように映るが、やはり同じDNAの持ち主・魔裂斗との間には、見えない壁が存在している。
この壁を打ち破るのは、“DNA”がからんでいるだけあって容易ではない(唯一の“対抗馬”であった山本“KID”徳郁は、総合格闘技=HERO'Sに転身してしまった)。
また、強豪ぞろいの外国人ファイターたちも、今回のような試合で「勝った」と思っているかぎり、一つ上のステージにはなかなか上がれないだろう。
(そのステージを認識できているかという問題もある)

わかりやすい話をすれば、過去のK-1の歴史の中で魔裂斗と同じポジションを築いたのは、筆者の見るかぎり、やはり、故アンディ・フグ。
彼が“青い目をした日本人”と呼ばれてゆえんは、そこにある。
ちなみに、今回“涙の復活勝利”を飾った佐藤は、生粋のアスリートタイプだがアーネスト・ホーストのように“負けない横綱”になれる逸材と言われている。
確かにその可能性はあるだろう。

アンディにホースト、そしてアーツタイプのファイターも揃っているK-1MAXは、なんだかんだとこの先も「進化」していくものと思われる。
しかし、日本人が強くなる道というのは、ただ険しいだけでなく、多くの人が思っている以上に「奥が深い」。
また、「外国人ファイター」が「道」に目覚めることも、同様。それらはコインの裏表、車輪の両輪として「進化」を牽引している。
そのような視点で格闘技をながめると、なかなか興味深いものが見えてくる。

“DNA”の話は面白いので、また機会を改めて書きたいと思う。


投稿者 長沼敬憲 : 16:10 | コメント (0)

2005年09月26日

9.23「K-1ワールドGP開幕戦」を見た。

ここ数年ではまれに見る個性派ファイターの集結した、「K-1ワールドGP開幕戦」が終了した。
筆者は当日、テレビ観戦した一人。事前予想(青字で掲載)をふまえながら、「感想」なんぞを書き綴ってみたいと思う。

○チェ・ホンマン(3-0 判定)ボブ・サップ×

2メートルを超す長身でありながら、優れた運動神経と格闘センスを持つ、、韓国相撲シムルの元横綱(天下壮士)チェ・ホンマン。
K-1デビュー以来無敗の彼が、1サイクル前に出現したもうひとりのモンスター、“野獣”ボブ・サップと対決するメインイベント。
巨漢同士の、テレビ映えするわかりやすい対決……のように何やらお気楽に捉えられている向きがあるが、この一戦は今後のK-1の歴史を左右するような意味合いを持っている、と筆者は思っている。

どういうことか? ホンマンはまだK-1のトップファイターと当たっていないが、筆者の見るところ、サップの数倍のポテンシャルを持っている。K-1の戦いに慣れれば、ホンヤスキーや武蔵でもかなり苦戦する(負ける)可能性がある。
この状況を、数年前にサップが出現したときの状況と比べてほしい。
出現したばかりのサップは、セオリーを無視したビーストファイトでフォータイムス王者ホーストを苦しめ、結果としてK-1ファイターのポテンシャルをアップさせる起爆剤(悪く言えばあだ花)の役割を果たした。

ご存じのように、サップはその後「心の弱さ」を露呈して、トップファイター(ミルコ、ボンヤスキー、セフォーなど)に簡単に攻略されてしまったわけだが……、1サイクル後のモンスターであるホンマンはどうか? 筆者には、サップと同じテツを踏むようには思えないのだが……。

となると、今大会のメインイベント(ホンマン×サップ)は、ちょっとした世代交代的な一戦という意味合いを持つ。
サップが負ければ、サップのいたポジションにホンマンが入る。そして、次のGP決勝で自動的にトップファイターとの対戦が実現する。もしかしたらホンマン旋風が吹き荒れるかもしれない。

前大会(ハワイ大会)での対曙戦で、両者のあまりの実力の違いを知ることになったが、今回のサップ戦はどうか? サップがあっさりKOされてしまうようだと、筆者の指摘も現実味を帯びてくるはずだが……。


テレビ観戦した感想を言えば……、筆者はややホンマンを買いかぶっていた(過大評価しすぎていた)かなという気もしないでもない。
ひとつは思ったほどにパンチ力はないこと(サップをKOできなかった)、もうひとつはローの攻撃が効きそうなこと(+的が大きいので当たりやすそう)。
その意味では、決して攻略不可能なモンスターなどではない。

とはいえ、25日に行われた決勝の公開抽選の結果、なんと第1試合でディフェンディング・チャンピオンのレミー・ボンヤスキーとの対戦が決定!
数年前のホースト×サップを思わせる組み合わせ。なにやら因縁めいている……。こうした対戦が「くじ」で決まるところが面白い。

ホンマンの戦い方次第では、この試合でサプライズが起きる可能性は十分にある。
思えばホーストもサップの“無茶苦茶な戦い方”に、その精密機械が壊されて、丸太のようなパンチをもらってしまった。
レミーにはレミーの精密機械がある。これを壊す戦い方……。

果たして旋風を引き起こすことになるか?
(すでにホームの韓国では、かなりの旋風が吹き荒れているようだが→大会のサイトを参照)


○ルスラン・カラエフ(3-0 判定)リカルド・ノーストランド×
○ピーター・アーツ(2R0分42秒 KO)マイティ・モー×

大会直前に“引退”を表明したホースとに代わって急きょエントリーされたのがノースランド。しかし、彼よりもアメリカ予選(ラスベガス大会)で鮮烈な印象を残したカラエフに期待が集まる。

ホーストはGP戦線から撤退するだけで、ワンマッチには今後も出場するようだが、一つの時代が終焉したのを象徴する事態であることに変わりない。
そこに来て、サップよりバージョンアップした“モンスター”と言えるチェ・ホンマンの台頭、そして卓越した才能が感じられるカラエフの出現。
これでホーストと同じくK-1草創期のレジェンド・アーツが、モーにKO負けでも喰らったとしたら……、これはもう完全に世代交代の大会だったということになる。

アーツが意外な強さでモーに完勝。同じくグッドリッジに完勝したレ・バンナも含め、旧世代のトップファイターが最前線にふみとどまった格好だ。

しかし、試合中にまたもやスネをカットしたアーツは、ある意味で紙一重での勝利。中途半端なドクターストップでモーに勝利が転がり込んでくる可能性だってあったはず。
モーの調子云々を指摘する以前に、この「紙一重」の部分に世代交代を拒否した不思議な力を感じさせる。


○レミー・ボンヤスキー(3-0 判定)アレクセイ・イグナショフ×
○武蔵(3-0 判定)フランソワ“ザ・バッファロー”ボタ×

前年王者レミーはシード扱いで決勝に進めるため、これはスーパーファイト。
じわじわと実力ある次世代が台頭している状況下、ことしモーに判定負けするなどやや調子を落としている感のあるレミーにとって、この一戦は意外に正念場。

武蔵の相手ボタは、前大会でモーに秒殺負けしているがなめられる相手ではない。
とはいえ、レミー、武蔵ともにここは堅実に勝って、決勝にコマを進めてもらいたいところ。

レミー、武蔵ともに無難な戦い方で勝利。いまのK-1ではこういう戦い方のできるファイターが「強い」ということになる。

この点で言うと、負傷→ドクターストップの多いアーツや、調子に波のあるレ・バンナ、勝ち運のない実力者セフォーよりも、やはり前年のファイナリストであるこの2人がことしのGPの優勝候補(本命)だろう。


なお、日曜の抽選で決定した決勝トーナメントの組み合わせは下記の通り。

第1試合 レミー×ホンマン
第2試合 セフォー×シュルト
第3試合 レ・バンナ×アーツ
第4試合 武蔵×カラエフ


筆者の予想(期待)は、

レミー 武蔵 セフォー カラエフ クラウベ レ・バンナ モー ホンマン

だったから、ここからクラウベとモーが脱落したことになる。
第1試合以外の見どころとしては、やはり第2試合のセフォー×シュルトだろう。影の実力者と言われてきた“もうひとりの大巨人”シュルトも、前回のクラウベ戦でようやく「強さ」に脚光が当てられた格好。

彼を影の優勝候補に推す専門家は多いが、トーナメントは天を味方につけないかぎり勝ち抜けない面がある。
シュルトにそうした力が作用した場合、ホンマン旋風とはまた違った意味で、K-1に新しい風が吹き始めることになる。
つまり、よりグレードアップしたホースト=シュルトという図式……。

ちなみに、シュルトがセフォーに勝った場合、準決勝でホンマンと“大巨人対決”の可能性もあるが、これも上記をふまえれば、ただの“大巨人対決”でないことは明白。

レミーがホンマンに勝った場合、レミー×シュルトという組み合わせの可能性もあるが、これも“ポストホースト対決”として位置づけられる面白さがある。

当日の詳しい試合予想については、大会直前にまたしたいと思います。

投稿者 長沼敬憲 : 12:31 | コメント (0)

2005年09月23日

9.23「K-1ワールドGP開幕戦」オンエアを前に。

直前に迫ったK-1ワールドGP開幕戦。
「21時」からのテレビ観戦を前に、知られているようで知られていない、この大会の「見どころ」をいくつかピックアップしてみよう。

■チェ・ホンマン×ボブ・サップ

2メートルを超す長身でありながら、優れた運動神経と格闘センスを持つ、韓国相撲シムルの元横綱(天下壮士)チェ・ホンマン。
K-1デビュー以来無敗の彼が、1サイクル前に出現したもうひとりのモンスター、“野獣”ボブ・サップとメインで対決する。
巨漢同士の、テレビ映えするわかりやすい対決……のように何やらお気楽に捉えられている向きがあるが、この一戦は今後のK-1の歴史を左右する可能性がある、と筆者は思っている。

注目したいのは、もちろんホンマン。
まだK-1のトップファイターと当たっていないが、筆者の見るところ、サップの数倍のポテンシャルを持っている。K-1の戦いに慣れれば、ホンヤスキーや武蔵でもかなり苦戦する(負ける)可能性がある……。
と、この状況を、数年前にサップが出現したときの状況と比べてほしい。
出現したばかりのサップは、セオリーを無視したビーストファイトでフォータイムス王者ホーストを苦しめ、結果としてK-1ファイターのポテンシャルをアップさせる起爆剤(悪く言えばあだ花)としての役割を果たした。

ご存じのように、サップはその後「心の弱さ」を露呈して、トップファイター(ミルコ、ボンヤスキー、セフォーなど)に簡単に攻略されてしまったわけだが……、“1サイクル後のモンスター”であるホンマンはどうか? やはりサップと同じテツを踏んでしまうのだろうか?

繰り返すが、筆者はホンマンのポテンシャルをサップよりも数段上と位置づけている。
ということは、今大会のメインイベント(ホンマン×サップ)は、ちょっとした“世代交代”的な一戦という意味合いを持つ。
つまり、サップが負ければ、サップのいたポジションにホンマンが入る。そして、次のGP決勝で自動的にトップファイターとの対戦が実現する。もしかしたら、GP決勝でホンマン旋風が吹き荒れるかもしれない……。

前大会(ハワイ大会)での対曙戦で、両者のあまりの実力の違いを知ることになったが、果たして今回のサップ戦は? サップがあっさりKOされてしまうようだと、筆者の指摘もかなり現実味を帯びてくるはずだが……。


■ルスラン・カラエフ×リカルド・ノーストランド
■ピーター・アーツ×マイティ・モー

大会直前に“引退”を表明したホースとに代わって急きょエントリーされたのがノースランド。しかし、彼よりもアメリカ予選(ラスベガス大会)で鮮烈な印象を残したカラエフに期待が集まる。

ホーストはGP戦線から撤退するだけで、ワンマッチには今後も出場するようだが、一つの時代の終焉を象徴する事態であることに変わりない。
そこに来て、サップよりバージョンアップした“モンスター”と言えるチェ・ホンマンの台頭、そして卓越した才能が感じられるカラエフの出現。
これでホーストと同じくK-1草創期のレジェンド・アーツが、モーにKO負けでも喰らったとしたら……、これはもう完全に世代交代の大会だったということになる。

■レミー・ボンヤスキー×アレクセイ・イグナショフ
■武蔵×フランソワ“ザ・バッファロー”ボタ

前年王者レミーはシード扱いで決勝に進めるため、これはスーパーファイト。
しかし、じわじわと実力ある次世代が台頭している状況下、ことしモーに判定負けするなどやや調子を落としている感のあるレミーにとって、この一戦は意外に正念場。

武蔵にしても、相手ボタは前大会でモーに秒殺負けしているが、なめられる相手ではない。
レミー、武蔵ともにここは堅実に勝って、決勝にコマを進めてもらいたいところ。そのほうがこの先のK-1は面白くなる。


筆者の予想では、決勝に上がるのは、

レミー 武蔵 セフォー カラエフ クラウベ レ・バンナ モー ホンマン

あたりだろうか。
まあ、これは予想というより、こうなればいいという筆者の「期待」なのだが、このあたりのメンバーがそろうようだと決勝は相当に見どころが多くなる。
(セフォーの代わりにガオグライが入ってもいい)

すなわち、ある程度安定した戦いのできるレミー、武蔵。
そして、往年の実力者のセフォー、バンナ。
このあたりの常連トップファイターに、ホンマンやカラエフ、モーがからんでくると、K-1ヘビーはMAX並みの盛り上がりを見せる可能性もある。

特にホンマンの登場は大きい。こうした異分子が出現することで、K-1ファイター全体のスキルは、またレベルアップする。K-1の世界進出はますます展開されていくだろう。

さて、結果は……。
特にホンマン、筆者の買いかぶりに終わらないことを望む。笑。

投稿者 長沼敬憲 : 20:53 | コメント (0)

2005年09月10日

9.7「HERO'Sミドル級GP」を見た。

前大会に引き続き、はるばる有明コロシアムに総合格闘技「HERO'S 2005ミドル級世界最強王者決定トーナメント」を見にいってきた。
ことし旗揚げしたばかりとは思えない、かなり洗練された雰囲気の大会。
後発ながら同じ階級のライバル・イベント「PRIDE武士道」をスッと追い抜き、なにやらあっという間に人気ソフトになってしまった感じ。
看板選手である山本KIDや須藤元気が、すでに立ち技のK-1MAXでブレイクしていたという下地がやはり大きい。
以下に、試合を観戦して気づいた点などをざっくりつづってみたい。

準々決勝
○須藤元気(2R 4分45秒 腕ひしぎ十字固め )宮田和幸●

試合は5分2ラウンド(+1ラウンド延長あり)。PRIDEでの試合形式(1R10分・2〜3R5分)を見慣れていたせいか、1R終わった時点での感想は「早っ」。笑。
時間が短い分、1ミスが敗戦につながってしまう。選手は大変だろうなと思ったが……。
須藤が勝利したのは、にもかかわらず、落ち着いて試合をしていた点だろう。1R押され気味だったのに、自分のペースを崩さなかった。

そう言えば、いま柔道の世界選手権が、連日テレビで中継されているが、こちらは試合時間がたった5分。でも、残り時間1分、2分というところでも結構逆転がある。

時間というのはある意味相対的なもので、長さは個人の感じ方によって左右される。落ち着いている人は、「5分は短い」というような一般の固定観念にとらわれない感覚を持っていると言えるかもしれない。

須藤がクール(頭がいい)と言われるのは、たくさん本を読んでいて、理論家であるからではない。トリックスターと呼ばれるのも、変わり者だからではない。それは彼の頭が柔らかく、固定観念に囚われない感性があるから。
感性なんていう言葉は、ある意味使い古された表現だが、「時間に支配されない=落ち着いている」というキーワードからひもとくと、ひとつ実態が見えてくるかもしれない。


●レミギウス・モリカビュチス(2R 4分16秒 TKO *レフェリーストップ) 高谷 裕之○

戦前の予想では、レミギウス有利の声が多かったのではないか? 二人とも打撃系。「レミギウスのパンチ力のほうが上=だから有利」という図式が見る側にあったかもしれないが、勝負を分けたのは、「腰の強さ」の差だった。

高谷は打撃のことや、過去にストリートファイトで慣した武勇伝みたいなものがクローズアップされているが、ぼくが驚いたのはそこにつきる。

打撃中心の選手は、往々にして組み技系よりも線が細い面がある。だから、打撃をスカされ倒されると、ひっくり返せない。レミギウスもそんな感じだった。
でも、彼がそうだったことより、高谷がそうでなかった(=思いのほか腰が強かった)ことに「頼もしさ」を覚えた。
日本人vs外国人の構図だと逆のパターンが多かった気がするが、ことこのクラスに関しては、やはり日本も相応に層が厚いように思われる。


●ホイラー・グレイシー(2R 0分38秒 KO *右フック) 山本“KID”徳郁○

やや全盛期を過ぎた感のあるホイラーだが、それでもあれだけ鮮烈なKO勝ちのできるKIDは、やはり並ではないという印象。


○宇野薫(2R判定 3-0)所英男●

この日のベストバウトと呼ばれた試合だが、ここでも勝敗を分けたのは「腰の強さ」の差だったように思う。
所は非常にセンスのある選手だが、やや安易に下になりすぎる。試合時間が短い以上、もう少し腰を強くして崩れないようにしないと、接戦の場合、今回のような結果になる。そこが課題になってくるのではないだろうか。

この点ではやはり次の高谷の試合のほうが、ぼくには興味深く思えた。


準決勝
○須藤元気(2R 3分47秒 三角締め)高谷裕之●

結果的に須藤の流れるような関節技が決まったが、テークダウンされても安易に下にならない高谷の「腰の強さ」がここでも目立った。
タイミングを合わされタックルで倒されても、わずかな間にスッと上体を起こして、不利な態勢をつくらない。こういう光景を見ると「胸がすく」。格闘技を見ていて面白いと思える瞬間だ。
ぼく的にはこの試合がベストバウト。


○山本“KID”徳郁 (2R 4分04秒 TKO *レフェリーストップ) 宇野薫●

不利な立ち技でKIDに対抗した宇野。ホイラー戦の時とよく似た比較的動きの少ない展開だったが、キッドの打撃で宇野が額?をカット。
あくまで自分の得意な土俵に持ち込もうとする須藤やKIDが勝ち、それをしなかった宇野が負けたという構図。
実力差というより、勝負に対するスタンスが明暗を分けたような気がする。

大会終了後、スーパーバイザーの前田日明が、須藤の「相手の攻撃をスカす」戦術に苦言を呈していたが、その前田が宇野を高評価していたのは、彼のこうした“戦う姿勢”にあったのだと思う。
とはいえ、「負けたら始まらない」という意識の強かった須藤やKIDが勝ち上がり、「いい試合をしたい」という意識をどこかに持っていた宇野や所が敗れたのは、格闘技的には、ある意味順当な結果と言えるかもしれない。

もちろん、試合は互いの技術や精神力の「試し合い」という考えを持っている前田からすれば、こうした「割り切ったほうが勝ち」というような状況から一歩踏み出したものを、この先の展開に望んでいるように思われる。

その意図にピンと来る選手がどれだけいるかが問題だが、仮に前田の感覚がうまく伝わっていけば、格闘技も質的な意味でより「武道」に近いものに変わっていくだろう。
これは「HERO'S」が先発の「PRIDE」にはないカラーを打ち出していく上でも、じつはかなり重要なテーマになってくるかもしれない。
そして同時に、おそらく前田が、「ビッグマウス・ラウド」でやろうとしている“新しいプロレス”のイメージも、ここにリンクしていることのように感じられる。

以上が、感想でした。

投稿者 長沼敬憲 : 12:12 | コメント (0)

2005年08月30日

8.28「PRIDE GP」から見えてくるもの

 久しぶりにPPVでPRIDE GPの決勝を見た。今回はミドル級のGPの準決勝・決勝に加え、ヒョードル×ミルコのヘビー級タイトルマッチという豪華版のカード。
 市場としての格闘技イベントが確立し、有能な人材が世界中から日本に集まるようになった現在、ファイターの質も日増しにレベルアップしている。
 試合の感想を含め、いくつか気づいた点について、まとめてみることにしよう。

●エメリヤーエンコ・ヒョードル(ロシア)×ミルコ・クロコップ(クロアチア)

 王者ヒョードルを追い続けてきたミルコにとって、宿願とも言えたタイトルマッチ。しかし、その牙城を打ち破ることはついにできなかった。
 立ち技ではほぼ互角の攻防ながら、ヒョードルは圧力がすごい。戦前の報道などとは異なり、気迫の点でもミルコを凌駕している印象。
 
 しかし、それ以上にヒョードルの強さを印象づけたのは、彼が型を持っているという点。さしあいでバランスを崩しても、自分は下にならない。上になってもサイドポジジョンを無理に狙わず、打撃でプレッシャーをかける。ヒョードルの上からの攻撃をかわし続けたミルコだったが、2Rになるとかなり疲労困憊していた。

 ミルコの攻撃で驚いた点もある。ハイキッックなどでバランスを崩しても、本能的にすぐに立ち上がるバネの強さがあったことだ。これだけの対応力があるから、外した際のリスクの大きいハイキックも十分に武器になるんだなと納得。

 ただ、ヒョードルを倒すには、打撃が互角以上であることに加え、さしあいになったとき下にならないことも不可欠。ミルコは前者に関しては対抗できたが、さしあいに負けて下になったのが致命傷だった。一度この態勢になったら、ラウンドが変わらないかぎりヒョードルはひっくり返せない。つまりはヒョードルの強さは、腰(ハラ)の強さ。ミルコも強いものを持っていたと思うが、崩すほどの強さではなかった。現状で彼のハラを上回るファイターはなかなか見当たらない。

 ともあれ今回は、ミルコのこの一戦に賭けるすさまじい執念が、皮肉なことに、ヒョードルの潜在能力のすごさを際立たせた一戦だったと評価できると思う。


●マウリシオ・ショーグン(ブラジル)×ヒカルド・アローナ(ブラジル)

 ミドル級GPの決勝戦。シウバを完封したアローナが、決勝で“弟分”のショーグンに今度は逆に完封負け。準決勝のアリスター戦もふくめ、結果的にショーグンの無類の強さがクローズアップされるような展開になった。

 しかし、そのショーグンも、準決勝のアリスター戦は序盤にことごとくさしあいに負けて、有効打を浴び、アリスター必殺のフロントチョークまで食らってしまうピンチ。しかし、それをしのいでしまうと、そこからは一気にラッシュ。
 相手の得意な攻撃をすべて受け切った上で勝つあたり、まるでプロレスラーに手本にしてもらいたいような強さ。かえって攻略の難しさを印象づけた感がある。
 ミドル級では頭一つ抜けたショーグン。となると、ミドル級のタイトル戦線はどうなるのだろう? 本人のモチベーションはイマイチのようだが、今回実現しなかった王者シウバとの同門対決も、このままいくと現実味を帯びてきそうだ。


●PRIDE、いよいよ全米進出

 今回のイベントに合わせて、アメリカの大手テレビ局「FNS(フォックス・スポーツ・ネットワーク)」の関係者が来日。なんとPRIDEが同局でレギュラー放送されることになるそうだ。
 FNS社は「NFLスーパーボウル、大リーグなどの放映権を持ち、全米8000万世帯で視聴されている。その中で、PRIDE番組は日曜午後9時から放送される。米国では最も視聴される時間帯で、看板番組と位置づけられた」とのこと(スポーツナビより)。
 エンターテインメント大国アメリカを本気にさせた、PRIDE。同様の戦略を持っているK-1と併せて、日本の格闘技ソフトのアメリカ進出が本格化。軌道に乗れば、日本のアニメーションが全米に上陸した時以上の話題、影響力を与える可能性もある。

 かつて世界第2位の経済大国にのしあがり、その経済力からアメリカに脅威を与えた日本。しかし、面白いことにいまアメリカに進出しているのはスポーツを含めて、その多くは文化というカテゴリー。たとえば、イチロー。“不調”がささやかれてはいるが、彼が全米に与えたカルチャーショックは、従来のスポーツジャーナリズムの視点からでは解読しにくい面がある。

 また、彼のような有名人ではないが、毎年7月4日(アメリカ独立記念日)に行われる、ニューヨークのホットドック早食いコンテストで、ぶっちぎりの5連覇を果たしたフードファイター、小林尊のような若者を、既成のジャーナリズムは「色物」としてしか扱えない。ぼくにはイチローも、プリンス小林も、同じ“日本現象”の一コマとして捉えられるけどなあ。

 さて、PRIDEのアメリカ進出で興味深いのは、肝心のアメリカ人ファイターの「復活」はありえるのかということ。アメリカでは現在も老舗のUFCがイベントを定期開催しているが、ここ数年の選手のクオリティーを比較すればPRIDEのほうが数段上。アメリカ出身のファイターで、現在PRIDEで常時活躍しているのは、ダン・ヘンダーソンくらいだろう。

 ヘンダーソンのファイティング・スタイルは、アメリカ人ファイターのそれを象徴している。すなわち、バックボーンに世界レベルのレスリングがあり、それに強烈な打撃(パンチ)を加えたコンビネーション。ボクシングもまた、アメリカで発展した世界スポーツだ。アメリカのファイターの多くは、この戦いの2つのDNAを総合格闘技における最大の武器として戦ってきた。

 具体的に言えば、スタンドではパンチの打ち合い、そのスキを見てタックル。そして、上のポジションからのパウンド(パンチ攻撃)。……しかし、この戦略には関節技がインプットされていない。ヘビー級もミドル級もかなりのレベルに達してしまったPRIDEのリングで、従来のアメリカンスタイルはこの先通用するのか? 変質を余儀なくされるのか? アメリカン・ファイターが当たり前に関節技を取り入れる(習得する)状況になるということは、大げさに言えば、新しい文化が入り込むことを意味する。

 PRIDEの全米放送。そこで求められる、ニュー・アメリカンヒーロー。それはマーク・コールマンやダン・ヘンダーソン、あるいはUFCのランディ・クートウアやチェック・リデルではない。彼らの「次」に現れるファイターということになる。
 現状ではひとつの夢想ではあるが、アメリカでNFLやNBAレベルで(あるいはボクシングに代わるものとして)総合格闘技がメジャーになった時、アメリカン・ファイターのファイティング・スタイルは大きく変容しているはずだ。

 そう言えばこの数年、MLBでイチローの活躍と対照的に、大物選手のステロイド(筋肉増強剤)疑惑がさかんに報道されている。アメリカ人の目の前には、「従来とは違う何か」がいま提示されはじめている。その潮流の中に総合格闘技の台頭もある。アメリカと日本は、昨今の小泉首相とブッシュ大統領ではないが、歴史的にコインの裏表のような関係。水面下で進行中のアメリカの変化に、日本は文化の面から関与しようとしている。


●ブラジリアン・ファイターはなぜ強いのか?

 試合に直接関係ない話を長々と書いてしまったが、格闘技は試合だけでなく、全体をひとつの現象として捉えることで、歴史につながる面白さが見えてくる。
 最後に、今回のミドル級のGPでも目立ったように、ブラジリアン・ファイターの相変わらずの強さについても簡単に言及しておこう。

 確かにブラジル人の身体感覚はすばらしい。ことにスポーツ(格闘技)に関しては、世界レベルで見ても人類の財産と言っていいクオリティーを発揮していると、ぼくも思う。ただ、一見するとブラジル勢の独走に見える格闘技界だが、(メディアを含め)見ている側にいくつか根本的な錯覚があるように思える。

 総合格闘技というのは、「ルールをより排することで、あらゆる格闘技の出身者が平等に強さを競うもの」、つまり、「総合格闘技の勝者こそが最強の格闘家である」……、こんな概念に支えられている。
 しかし、これは総合格闘技を中心に見た場合に成り立つひとつの考え方であり、総合格闘技と比べてレスリングや柔道、相撲などが劣っているという話には、じつはならない。本当に強いと言うなら、レスリングでも柔道でも相撲でも勝つ必要がある。にもかかわらず、総合格闘技=最強という印象(幻想)をファンは当たり前に持ってしまっている。

 この幻想を作り出したのが、グレイシー柔術を中心にしたブラジリアン・ファイターであり、ホイス・グレイシーがUFCで快進撃し、兄のヒクソンが日本の「最強」プロレスラー・高田延彦を連破することで、ひとつの絶対的な価値を生み出した。「あらゆる格闘技のなかで最高」という概念は、はじめプロレス(新日本プロレス)が打ち出したものだが、創設者であるアントニオ猪木の弟子にあたる高田がヒクソンに破れることで、その権利がグレイシーの側に奪われてしまった。

 以上の点は、前田日明の「復活」についてふれた稿の中でも書いたが、ここでさらに一歩踏み込むなら、ブラジル人の強さというのは「自分たちの土俵に立っている者の強さ」ということ。リングス時代のロシア人ファイターが、総合格闘技=バーリ・トウードに対して「あれはブラジル人のルール」と評していたことなども、それを物語っている。

 ブラジル人は確かにすごい。しかし、彼らの土俵の上に立って、その上で彼らの強さに対抗しようとしているヒョードルを初めとするロシア勢、あるいは日本やオランダのファイターたちも、じつは相当に「すごい」のである。

 たとえば、吉田道場のファイターたち。彼らは全日本ではトップレベルの柔道家だが、まだ吉田と中村以外は、十分な活躍ができていない。しかし、ノゲイラやシウバがもし数ヶ月の準備期間で全日本柔道選手権に出たとして、どこまで勝てるだろうか? そのような想像ができれば、彼らの挑んでいることの意味も捉えやすくなる。

 もう少し俯瞰して言うなら、日本という国は「外の文化を作り替えた」という言い方があるように、歴史において徹底して「他人の土俵の上」で戦うことを続けてきた面がある。武士道と呼ばれるものも、じつはそうした自己犠牲的な精神と呼ぶこともできる。K-1も母体である正道会館という空手団体が、キックボクシングという土俵に上がったことで成立したものだ。
 
 総合格闘技でも、そこで戦う日本人ファイターは、身体感覚のポテンシャルで世界有数のレベルにあるブラジル人の土俵に乗っている。その上で、本気で勝とうともしている。
 しかも、その「他人の土俵」を自分たちでわざわざ作り、結果として優秀なブラジリアン・ファイターが育つ土壌を作り、最高の環境を整えた上で……。
 こうした“場づくり”を半ば無意識で行っているすごみ。ヒョードル×ミルコ、ショーグン×アローナのようなレベルの高い戦いを、実現させてしまっていることのすごみ。プロデューサーがいて、観客がいて、選手がいるという“場”のあるすごみ。「総合」と呼ぶのなら、そうした点についても目を向ける必要がある。

 以上、PRIDEという格闘技イベントから見えてくる日本。そして、世界。そんなものについても、ついつい書いてしまいました。

投稿者 長沼敬憲 : 22:12 | コメント (0)

2005年07月07日

HERO'S代々木大会を見た

旗揚げ戦に引き続き、総合格闘技「HERO'S」の代々木大会を観戦してきました。
まだテレビ中継の録画も、報道もほとんど見ていないけれども、なんだろう……思ったよりも面白かったし、お客さんもかなり入っていた。満員マーク? ちょっとマジメに個々の試合をプレイバックしてみます。


■第1試合 
○ホドリゴ・グレイシー(ブラジル/チーム グレイシー柔術)(2R判定3-0)國奥麒樹真(日本/フリー) ●

パンクラスの2階級で王者になった国奥がフリー後初参戦。グレイシー相手に互角にわたりあったが、ファーストコンタクトで下になったのが痛かった。試合時間は2R10分だからあっという間。グレイシーは勝負強いという印象。

■第2試合
○ボブ・サップ(米国/チーム・ビースト)(1R3分44秒 KO) アラン・カラエフ(ロシア/リングスロシア)●

なんと第2試合でサップが登場。トーナメントが主役の大会だからかな。結構、新鮮。相手はロシアの腕相撲世界王者。クルミを指で割ってしまえるやつ。総合2戦目なのに、最初に上になったのはカラエフのほう。相変わらずもろいサップ。でも殴り合いのKO勝ちは盛り上がった。ちゃんと技術のある選手と戦ったら、やっぱ勝てないだろうな。

■第3試合
○秋山成勲(日本/フリー)(1R 0分59秒 腕ひしぎ十字固め )カール“トゥームストーン”トゥーミィ(オーストラリア/チームエクストリーム) ●

KO率100%というアヤシイ?ふれこみで紹介されたトゥーミィにあっさり勝った秋山。まだまだウオーミングアップみたいな試合。筋肉はすごいが、柔道のスキルが総合でまだほとんど使えていない。対打撃の試合をもう少し見てみたいが。

■第4試合
○レイ・セフォー(ニュージーランド/レイ・セフォーファイトアカデミー) (2R 0分30秒 KO)キム・ミンス(韓国/リングスコリア) ●

総合初挑戦のセフォーが快勝。寝技への対応がある程度できていたので、そうなるとあの打撃はかなりの武器。試合慣れもしているし。ミルコ、ハントの成功を裏打ちするかのような印象。

■第5試合
○菊地昭(日本/KILLER BEE)(2R1分41秒 TKO)井上克也(日本/和術慧舟会 RJW) ●

修斗(菊池)とパンクラス(井上)のトップ同士の対決は、あっさり修斗の勝利。ていうか、そこそこ格闘技を見ているぼくでも知らないニューカマーが次々出てきている感じ。特に修斗は中軽量級の人材の宝庫なんだろうな。そうか、菊池はKIDの道場の所属なのか。なるほどー。

■第6試合(ミドル級トーナメント1回戦)
○所英男(日本/STAND)(2Rドロー 延長0分08秒 KO)アレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラ(ブラジル/ワールドファイトセンター) ●

今大会一の大番狂わせ。序盤、ノゲイラ必殺のギロチンチョークにあっさりかかった所だが、なんとしのいでしまい、そのまま判定へ。ノゲイラのやや分がありという内容だったが、ドロー判定で、会場は「エエ〜!」。日本人に一方的に肩入れする観客って、結構少ないんだよね。
で、心持ちもやもやした空気のまま延長戦……しかし、開始直後、意表をつくバックブローで“無敗王者”にKO勝ち。判定のエエ〜!が帳消しになる結果に、会場は大盛り上がり。
ノゲイラはどんなコメントしてるのかな。ノゲイラ有利といっても、私見では0.5ポイント程度の差。判定で勝ったつもりでいて、テンション少し落ちたところにバックブローみたいな感じだったから、ある種油断負けだった気もする。所の格闘家としてのセンスが、随所で感じられた内容だった。

■第7試合(ミドル級トーナメント1回戦)
○高谷裕之(日本/フリー)(1R1分56秒 KO )ヤニ・ラックス(スウェーデン/チーム・スカンジナビア) ●

ケンカ歴28年というふれこみの高谷。彼も修斗の選手みたいだが、初めて知った観客も多かったのでは(自分もそう)。宇野を破ったヨキアム・ハンセンにも勝ったことがあるというヤニ・ラックスに打撃でKO勝ち。トーナメントで日本人が2連勝。会場もいい雰囲気。

■第8試合(ミドル級トーナメント1回戦)
●吉田 幸治(日本/フリー)(2R判定 0-3 )ホイラー・グレイシー(ブラジル/チーム グレイシー柔術)○

トーナメントにグレイシーのビックネームが登場。対する吉田は柔道とボクシングで実績のある、これまたニューカマー。会見の写真では、柔道やってたわりに腰の高そうな印象があったので、“寝技にも対応できるボクサー”として見ていたが……、試合巧者のホイラーに寝技に持ち込まれ、地味に判定負け。ただ、何試合か見てみたい気がする。

■第9試合(ミドル級トーナメント1回戦)
○宮田 和幸(日本/フリー)(1R2分49秒 チョークスリーパー )シャミール・ガイダルベコフ(ロシア/スコーピオンジム) ●

素材としては超一級、でも勝ち星に恵まれなかった“オリンピック・レスラー”宮田が、総合で待望の初勝利。ただ、「レスラーは寝技で武器のないので総合では不利」という最近のマット界の風潮が、頭をよぎる。レスリングや柔道だけでは、総合ではなかなか勝てない。この“常識”をどう壊していくか。秋山にも言える話だけれど。

■第10試合(ミドル級トーナメント1回戦)
●村浜武洋(日本/ZERO-1 MAX)(1R1分14秒 KO )レミギウス・モリカビュチス(リトアニア/リングスリトアニア) ○

リングス・リトアニア、前田日明の秘密兵器?が、村浜にスキルの違いを感じさせるKO勝ち。村浜は総合でのブランクが響いたかな。過去の選手になるかどうかの瀬戸際にいる印象。やはりもう数試合見てみたい。ていうか、いまゼロワンの所属なの?

■第11試合
○ピーター・アーツ(オランダ/チーム アーツ)(1R1分36秒 TKO )若翔洋(日本/Team Paon)●

K-1のアーツが総合初挑戦で勝利。ただ若翔洋はどうかな? それなりの覚悟で総合に挑戦しているのだろうが、ファンからするとまず“顔”が見えない。なぜ総合を始めたのか“物語”が見えてこないから、感情移入もできない。それであんなにあっさりと負けてしまっては、消えてしまうのも時間の問題か。うーん。

■第12試合
○山本“KID”徳郁(日本/KILLER BEE)(3R1分23秒 KO)イアン・シャファー(オーストラリア/リングス・オーストラリア) ●

本人も語っていたが、調子がいまひとつだったよう。でも、最後にKO勝ちしてしまうあたりは、メーンイベントとしては合格というところか。会場人気はすさまじかった。


……というわけで、トーナメントを勝ち上がったのは、所、高谷、ホイラー、宮田、レミギウスの5人。これにシード扱いになったKID、宇野、須藤が加わって、次回(9/7有明コロシアム)は8人で準々決勝。って、日本人ばっかりだなあ。組み合わせが面白そう。どれも好勝負みたいな。ニューカマーがテレビにどんどん登場して、いい試合をしていけば、K-1MAXみたいに人気が出てくるかもしれない。

以上、とっても普通の観戦記でした。笑。


投稿者 長沼敬憲 : 08:12 | コメント (0)

2005年05月09日

PRIDEミドル級トーナメントと「金原弘光」の場合

 PRIDEミドル級のトーナメントが始まった。見ての感想はいろいろあるが……、すでに発売された雑誌などを見るかぎり、それほど大きく視点が異なっているわけでもない。

 ただ今回ふと感じたのは、フレーズ自体はありきたりだが、「リングの上だけが戦いではないんだな」ということ。
 そう感じたのは、大会が終わって数日後、トーナメント出場の機会を逃した金原弘光のブログに、たまたま目を通していた時のことだ。

 彼の実力がミドル級では日本でも指折りあることは、筆者もよく知っている。しかし、PRIDEのリングに上がるようになって以降、どうしても勝てない。PRIDEのオフィシャルサイトの戦績をなんとなく眺めていたら、あることに気がついた。

 ヴァンダレイ・シウバ、ミルコ・クロコップ、アリスター・オーフレイム、マウリシオ・ショーグン

 対戦相手のすべてが相当の実力者であることはもちろん、シウバ、オーフレイム、ショーグンは、先のミドル級トーナメントの1回戦も見事突破している。ミルコも含め、事実上、彼らの踏み台になってしまったような格好だ。

 また、試合間隔で言えば、

 シウバ(2002年11月)→ミルコ(04年5月)→アリスター(同年10月)→ショーグン(05年2月)

 ミルコ戦以降、4〜5か月という決してコンスタントとは言えない間隔で、言ってみればポツンポツンと、強豪との試合が組まれている。
 これでは戦いが線としてつながっていかず、ただ一つ一つの敗戦の記録だけが重なっていくかのような印象を受ける。ハッキリ言ってもったいない。

 筆者が思ったのは、おそらくPRIDEとの交渉も彼自身が直接関与しているのではないかということ。
 であるなら、ファイターの性分としては、基本的には「この人とは戦いたくない」とは言いにくい面があるだろう。だから半分強がりでも、チャンスだと思ったら無謀なカードを引き受けてしまう。
 筆者から見れば、すでにこの時点で相手に有利なポジションを奪われたようなものだ。不利な状態でリングに上がってしまっているのである。

 これに対し、賛否両論はあるが、グレイシー一族がなぜあれだけ事前の交渉にこだわるのか? シウバやノゲイラ、ミルコらがなぜチーム単位で交渉を行っているのか?
 練習に集中したいからというだけではあるまい。チーム単位で自分に有利な状況を作りだし、負けるリスクをより少なくした上でリングに上がりたいという意図があるからだ。

 「真剣勝負のリングでは実力のあるものが勝つ」……というのは、正論と言えば正論だが、その実力には技術的なもの、精神的なもの以外にも様々な要素が含まれている。
 総合格闘技というのは、その「様々な要素」が総合された状況の中で戦うということを、本質的には意味しているのだと筆者は思う。

 元リングス勢は、正直言えば前田日明の卓越したプロデュース能力によって支えられていた(うまく能力が引き出されていた)面がやはりある。
 このプロデュースを、独立して、すべて1人でやる(そして結果を出す)というのは難しい。
 金原が実力者でありながら勝ち星に恵まれないのも、おそらくこの点にあるのではないか?

 たとえば去年10月のアリスター戦に勝てていれば、次戦の展開も変わり、ミドル級トーナメントにも出場できていた可能性はある。
 それが叶わなかったのは、アリスターに負けたからというより、その対戦を引き受ける過程での戦略の問題もあったはずだ。有利なシチュエーションがつくれたら、結果が変わっていた可能性もあるのだから。

 そう言えば、ケガもあり、同じようにトーナメントに出場しなかった1人に、同じリングスでしのぎを削った田村潔司もいる。
 田村もリングスを離れ、PRIDEに出場した初戦で、金原と同様、いきなり強豪シウバとのタイトルマッチ。ルールも異なる大会の初戦で、よくもまあこんなカードを引き受けたものだと、筆者自身、驚いた記憶がある。

 ちなみに田村は、このシウバ戦後、ブレイクする前のボブ・サップともPRIDEで戦っている(体格差が災いして秒殺KO負け)。このへんは以前にも「観戦記」のページで指摘したことだが、田村はこうした“無謀な敗戦”を通じて、自己プロデュースの難しさというものを肌身で感じたのではないだろうか?

 田村の場合、リングス時代から自分でジムを立ち上げ、弟子を育て、離脱後はUWFルールを踏襲した大会を定期的に開くまでになっている。
 今回のトーナメントはケガという不可抗力もあったようだが、最近の動向を見るかぎり、リング外での戦い=自己プロデュースについても、リングでの戦い並みに重要視し、あれこれ試行錯誤している様子が見受けられる。

 PRIDEで勝てない金原も、いま最も考えなければならないのは、この点だと筆者は思う。タイにキックの修行に行くよりは、自分のことをよく理解し、うまくプロモートしてくれるブレーンとの出会いに意識を向けることのほうが重要だ。あるいは、田村同様、自分自身で意識してこの能力を身につけていくか……。
 選手層が充実し、実力が均衡してくると、おそらくこんなところで差が出てくる。

 今回のトーナメントの8人の勝者は、この点でもかなり実力が均衡している(つまりは勝つべくして勝った)ように思われるが、どうだろう? あえて異分子を挙げるのなら、一匹狼に近いボブチャンチン。捨て身で殴り込んできている気配があり、台風の目になる可能性は十分にある。

投稿者 長沼敬憲 : 10:40 | コメント (0)

2005年02月25日

PRIDE29&K-1MAXを振り返る。

 興行戦争だったのかは知らないが、ここ数日でPRIDEとK-1が立て続けに開催された。今回はあまり気が乗らなかったので事前予想はしなかったが、ともにテレビで見て多少の発見があった。いくつか思いつくままにつづっていってみよう。

 まず、20日に行われたPRIDE29から。大晦日イベントと春のミドル級GPの間の「谷間の興行」などと言われるなか、気になったのは、テレビに放送されなかったアントニオ・ホジェリオ・ノゲイラとアリスター・オーフレイムの試合。

 ホジェリオはヘビー級王者にもなったホドリゴ・ノゲイラの双子の弟。
 兄に比べると注目されていないし、存在にあまり華はない。ファンとしては微妙に感情移入しにくい選手であるわけだが、初来日以来、そこそこの強敵と当たりながらまだ負けがない。
 ただ、兄のように派手な関節技で仕留めるというより、判定決着が中心。なんだかこのペースのままで実績を積んで、ある段階で急に注目されそうな予感がする。

 具体的に言えば、4月からのミドル級GP。王者シウバを含め出場候補の選手はみな実力が拮抗している。華はないが勝負強いホジェリオは影の優勝候補。兄の運気がやや後退している分、今年は弟のほうが表舞台で活躍し、取材などされる機会も増えてくるかもしれない。

 運気の話で言うと、ホジェリオとテレビで結構アオっていたシュートボクセのマウリシオ・ショーグン、日本人では吉田、田村はいいカンジだ。
 桜庭もさほど悪いとは感じない。代わりにシウバはわずかずつだが運気は落ちているように思える。まー、このあたりは自分の感覚で言っているだけで根拠などはないが、実力差がない者どうしの対戦で重要なのは、こうした身体から発散している「気」。
 プロモーターにこれを見る目があれば、選手の起用法なんかも変わってくるわけだが……。GPについては、後日情報がある程度集まったところで、改めて分析させてもらうことにしよう。

 続いて、K-1MAX。こちらは今回が中量級の日本代表決定トーナメント。小比類巻の1回戦の判定はかなり微妙で、会場ではブーイングがかなりあったよう。
 ジャッジは否定するだろうが、彼を勝たせようという心理が判定に微妙に反映されたのかもしれない。テレビも含め観客は傍観者の立場で試合を客観的に見られるが、ジャッジやレフェリーはもっと入り込んだところで試合を判断している。
 はた目におかしいことでも、異なる心理の中で試合が裁かれることはありえる。確信犯でなくても、心理的な部分でホームタウンデシジョンみたいなものは働いてしまうのだとぼくは思っている。

 まあ、でも感心したのは、小比類巻も安廣も、そのへんの機微をそれなりにわかっていたらしい点。
 小比類巻はこれで動揺せず、2回戦以降、気持ちを切り替えられたのは精神的にタフな証拠。たくましさを感じる。
 また、安廣もいたずらに腐ったりしなかったようだ。不満はあるが、明らかな優勢でなかった以上自分の負けだと今では思っているのではないか。
 キャリアを積んでいけば、彼も小比類巻の立場で戦える時が来る。そしてその立場にはその立場の課題がある。判定はファンのことを考えると不透明はよくないが、一現象として見た場合、これも選手を試すシチュエーションとなる。
 このあたりを通過していくことで、ただの純粋培養ではない、タフなファイターが生まれていく。

 クラウスとブアカーオの王者対決は、後出しのようで申し訳ないが、クラウスが有利だと筆者は思っていた。
 K-1MAXの場合、王者経験のあるこの2人と魔裂斗が横綱クラス。しかしクラウスだけが魔裂斗や、大関クラスの小比類巻に負けている。今回負けたら事実上横綱陥落といったところだっただろう。本人はそれを自覚していたはずだが、ブアカーオはそのようなシチュエーションは理解できていなかったように思う。

 これは相手の戦い方をビデオで観察するだけでは見えてこない。シチュエーションが人を強くもするし、弱くもする。クラウスの危機感をブアカーオがもっと感知していれば、彼の戦い方もそれなりに変わっていただろう。
 試合そのものは強いが、そうした嗅覚が欠けていた分、あと一歩の結果が出せなかった。「負けたことも経験になる」と彼は試合後に語ったようだが、このあたりが見えていないようだと、GPの連覇は難しいかもしれない。
 ちなみに魔裂斗はかなり明確に見えている。見えていたからこそ、年末のKIDとの試合を(内心では)厭がっていたのだとぼくは思っている。

 試合そのもので面白いと感じたものもあったが、それは多分雑誌の記事ともさほど違いはないと思う。とりあえずピンポイントの感想でした。

投稿者 長沼敬憲 : 16:13 | コメント (0)

2005年01月03日

K-1&PRIDE 大晦日決戦を振り返る

 前回の直前予想をふまえて、筆者なりの感想をつづってみたい。なお、読者の便宜を考え、前回の予想をそのまま掲載した後に(青色の部分)、今回の感想を記している。


 ■エメリヤーエンコ・ヒョードル×アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ

 8月のGP決勝戦がヒョードルのバッティング→流血で、まさかのノーコンテスト。波紋を呼んだ「頂上決戦」の再戦。
 初対決のタイトルマッチはヒョードルのパウンド(打撃)に圧倒されたノゲイラだが、8月の対戦では短時間ながらかなりの対応力を見せていた。
 しかし、アクシデント以外にヒョードルの負けるイメージが湧かないのも事実。フジテレビでも討論形式の戦前予想を深夜にやっていたが、ほとんどの人がヒョードル有利と言っていた。
 
 筆者もヒョードル有利説を支持しているが、理由はあくまで「運」の問題。
 番組のなかでターザン山本さんが、「我々は試合ではなく戦いを観にきているんだから、ノーコンテストでも、ドクターのストップがかかった以上、ヒョードルの負け!」と語っていたが、筆者の考えは少し違う。

 山本さんはストリートファイトのようなものを「戦い」と考えているようだが、それはシチュエーションの一つにすぎない。
 現実には、その場その場の状況の中で、必ず有利不利をもたらす条件が存在する。剣の達人でもぬかるみに滑って、雑兵に首を取られることもありうる。
 しかしその場で戦うことを選択したのは、他ならぬ本人だ。PRIDEというリングで、そのルールを飲んで戦っている以上、それはバーチャルなものではなく、やはりこれも戦いなのである。

 その意味で「骨まで達する切り傷」を負いながら、「負け」を宣告されなかったヒョードルは、強さだけでなく幸運も併せ持っていたことになる。山本さんの「ヒョードルは負けていた」という言葉にもある種のリアリティがあるが、それは裏返せば、彼がファイターとして必要な幸運さを持っていたことの証明にもなる。

 というわけで、8月の一戦に「すべて」を賭けながら、試合を中断させられたノゲイラは、ケガを負ったヒョードル以上に負荷を背負ったことになる。
 メンタルな面も含め懸命にコンディションを作り直してきただろうが、やはりこのシチュエーションでノゲイラが勝つということは、「大番狂わせ」と見るのが正しいと思う。
 微妙な判定になる可能性もあるが、そうなっても王者としてのアドバンテージのあるヒョードルのほうが有利だろう。

 ……やはり「大番狂わせ」は起こらなかった。もちろん、勝ったと言っても、ヒョードルの打撃はノゲイラをKOするには至らず、ギブアップを奪えたわけではない。
 その意味で僅差なんだろうが、その差は結構大きな気がする。ノゲイラとしては、ヒョードル並みの打撃力を身につけない限り、今後彼を脅かすことは難しいかもしれない。しかし、それは可能なんだろうか? ノゲイラの戦うモチベーションが、この先維持できるのか気にかかる。


 ■ヴァンダレイ・シウバ×マーク・ハント

 桜庭の無念の欠場により、急遽組まれたカード。だが、体重差があまりにあるため、シウバにとっては意外な落とし穴が待っている可能性も。
 両者が打ち合って、ハントが倒れるシーンがあまり思い浮かばない。もしかしたらシウバがグランドで攻めるシーンが多く見られるかもしれないが、それはそれで未知のシーンなので見てみたい気もする。

 *桜庭の欠場については機会を改めて書きたいと思う。

 ……「意外な落とし穴」という予想が的中してしまった。シウバ側は判定を不服としたが、得意の打撃でダメージを負った以上、結果は冷静に受け入れるべきだろう。
 確かに「名勝負」だったが、シウバは基本的にパワーで押すタイプなので、ヘビー級との対戦では持ち味が生かせないように思えた。
 一方のハントはセフォー戦以来の激戦を制したが、同じ体格の相手では吉田戦のような展開になってしまうはず。ともにこの先の戦いに課題を残したという感じか。


 ■ダン・ヘンダーソン×近藤有己

 打倒シウバと次期ミドル級GPでの優勝をねらうファイター同士の一戦。近藤は、日本人ファイター(スポーツ選手)特有の、「寡黙でとらえどころのない、戦意があってもそうは見えにくい」タイプの一人。
 同じタイプで一時代を築いた桜庭に多くは望めない状況である以上、このタイプの第一人者として去年のマリオ・スペーヒー戦のような「強さ」を発揮してもらいたいところだ。

 *近藤への「期待」は、対シウバ戦の感想を書いた回で簡単に触れている。

 ……判定は「?」だが、近藤が着実にスキルアップしているのを確認できた。
 彼の場合、勝っても負けてもつねに地力が総合的に上がっていく様子が感じ取れるので、負けが必ずしもマイナスにならない。本人もそういう意味での手応えは感じたのではないか。今後も淡々と見守っていきたい。


 ■ミルコ・クロコップ×ケビン・ランデルマン

 GP一回戦でまさかの敗北を喫したミルコの雪辱戦。ミルコ勝利の可能性が高いと思うが、彼がまたある種のエアポケットに陥る可能性も否定できない。
 それは油断とかそういうレベルの話ではなく、筆者が思うに、ミルコのファイターとしてのスタイルに関係している。徹底的に自己管理し、ストイックなトレーニングをする彼の生き方は、一見合理的なように見えて、つねに破綻と裏合わせであるからだ。

 人智だけで自然の力を制御できないように、自然の一部である自分自身を理性的に管理しても、収まりきらないものがどんどんと抑圧されてしまう。
 いまはハイペースで試合を組むことで、その抑圧を次の戦いのエネルギーに代えている感があるが(ある意味賢明なのだが)、それが計画通りにうまくいくとはかぎらない。このへんの自分の「弱点」をミルコがどこまで自覚できているかがカギだろう。

 おそらく順当に進めば、2月に一戦を挟んで、4月にタイトルマッチという青写真は彼の中にもあるはずだが、ストイックな状態を続ける期間が長すぎる。
 一番危険なのはむしろ2月のほうだと思われるが、どこかで彼なりの「力を抜く」すべをつかまないと、計画通り行っても、長期政権は難しいだろう。

 ……今回の戦いを見る限り、タイトルマッチまでは精神力も持続できそうに思えた。まあ、そうは言ってもミルコの場合、筆者の書いたような不安はつねにつきまとう。
 広い意味ではどの選手にも当てはまるが、ベルトが取れるかどうかは、精神と現実との「タイミング」にかかっていると思う。


 ■吉田秀彦×ルーロン・ガードナー

 柔道とレスリングの金メダル対決。ウエイトの違いから吉田不利が伝えられているが、筆者は吉田が腕ひしぎか三角締めで勝利という予想。
 イメージしているのは、軽量級の対決ながら、先ごろハワイで行われたホイラー・グレイシーと宮田和史の柔術×レスリングの一戦だ。シドニー五輪出場の宮田は、この試合がデビュー戦で、しかも彼のクラスでは並外れたパワーが売り物だったという点で、今回のガードナーと状況が似ていると筆者は感じている。

 おそらくガードナーは吉田を何度も投げるだろうし、それなりのダメージは与えるかもしれない。しかし、宮田が「打撃に力みすぎて予想以上にバテた」というように、慣れない総合の試合は彼のスタミナを予想以上に奪う可能性がある。
 また、極め技がないという点もレスリングは不利だ。ポジショニングは体重の分だけ有利だろうが、それはホイラー×宮田戦の展開と同じ。ホイラーは下からの三角締めで勝利している。吉田も似たシチュエーションでフライにも勝っているし、以上の点からも、不用意に打撃をもらわないかぎり、吉田有利というのが予想になる。

 ……これはガードナー擁する「チームクエスト」の作戦勝ちだ。おそらく筆者のような展開のありえることを予想をし、あえて自分の得意技を封印することで確実に勝つ道を選択したのだと思う。
 投げをやめてしまえば、吉田も打撃のスペシャリストではないので、ある程度は打ち合えるし、肉体的な面で優位に立てる。冷静な判断だ。吉田としてはあれ以上、手の打ちようはなかっただろう。


 ……つづいて、K-1「Dinamite!」の予想。

 ■曙×ホイス・グレイシー

 K-1で「初日」の出ない元横綱の曙が、総合に初挑戦。それがなんとあのホイス……ということで、話題を呼んでいる。
 100キロ以上ある体重差が注目されているが、有力選手の集結した直前の会見での「集合写真」を見るかぎり、ホイスは意外に大柄だ。もちろん簡単にはテイクダウンはできないと思うが、曙が倒れてしまえば、あとはホイスがほぼ100パーセント有利だろう。

 曙としては出だしの3分間が勝負だと思っているだろうし、スタミナの十分ある「相撲タイム」でのテイクダウンは、ありえないと思うが、横綱の威信に賭けても阻止したいところだ。
 立っていようが寝ていようが、スタミナの浪費は変わらないと思うが、それで言うと長引くほどに曙の動きは鈍くなるだろう。ここらへんは一般論とも変わらないので、この予想を裏切る驚きを見たい気がする。

 ……曙はホイスを押し倒したつもりだが、ホイスからすれば倒れたつもり。テイクダウン云々について言う以前に、ホイスは押しつぶされても何とかなる、寝てしまったほうが優位に立てると考えていたようだ。
 予想を裏切る驚きはなかった。少々的外れの指摘になってしまったが、経過自体は順当なところに落ち着いたという感じだ。曙は現代の相撲界の問題点を一身に背負っているような存在だと、つくづく思う。

 ■藤田和之×カラム・イブラヒム

 アテネ五輪のレスリング金メダリスト、あのカレリン以来の逸材と言われるイブラヒムの総合デビュー戦。
 タックルしてテイクダウンできれば、イブラヒムはずっと上のポジションをキープし、「判定で圧勝」という可能性が高い。

 藤田は打撃で活路を見出したいが、それほど技術的なスペシャリストではないので、あっさり倒されるような気がする。
 倒されて下からの攻撃もあまりイメージが湧かないし、体格では上回ってもパワーで上回っているとも思えない。どんな戦略でのぞむのか想像がつかないが、何か秘策でもあるのだろうか? 曙同様、イブラヒム有利の予想を、藤田には裏切ってもらいたいが……。

 ……筆者が言うまでもないが、イブラヒムは自己の能力を過信し、総合を甘く見ていたのだろう。ホイスのように手堅く得意分野に引き込めば筆者の予想通りだったはずだが、打撃で打ち合ってしまえば、いくらなんでも藤田のほうにアドバンテージがある。これは完全に作戦負けだ。


 ……このほか試合についても、気になった点について簡単にコメントしたい。

 ■魔裂斗×山本“KID”徳郁

 筆者の予想した通り短期決着の多かったDinamite!のなかで、唯一と言っていいハイレベルな攻防の見えた試合。メインはこの試合のほうがよかったという声もあるだろうが、それは結果論。ただ大きな実績になったことは確かだろうから、MAXのポジションは、今後かなり向上していくはずだ。

 ■秋山成勲×フランソワ・バッファロー・ボタ

 PRIDEで大苦戦した瀧本とは対照的な試合展開。でも、言い換えるなら、経験に関しては瀧本のほうが積むことができたということか。上がるリングは違えど、今後この二人を見比べていくのも、人間ドラマとして面白いかもしれない。
 なお、この試合に限らず、後追いで安易なマッチメーク批判をするのはやめにしたほうがいいだろう。
 
 ■安生洋二×ハイアン・グレイシー

 実力差はかなりあったが、これは「することに意義のあった試合」。一度でもポジションを奪うなり、攻勢できたら「安生の勝利」くらいに評価してもいいかと思っていたが、現実は甘くなかったようだ。
 安生はこの先もPRIDEに上がりたいような発言をしていた。気持ちはわかるが、ここは引いたほうが余韻が残ると思う。

 以上、それなりに楽しむことのできた大晦日格闘技決戦でした。

投稿者 長沼敬憲 : 17:05 | コメント (0)

2004年12月31日

K-1&PRIDE 大晦日直前予想

 すっかり大晦日の風物詩になった感のある、格闘技イベント。
 K-1やPRIDEが始まったころのことを思えば、考えられないくらいにステータスが上がってしまった。とりあえず、同じ日に2大イベントがある以上、最大の関心事は「どちらをどう見るか?」ということになってくる。
 筆者はどちらも好きだが、あえて選ぶなら、最近では過渡期にあるK-1に肩を持っている。

 でも、今回は生でPRIDE、K-1は録画したものを見るつもりだ。
 一見矛盾しているように思えるが、放送時間を考えれば、18時からスタートするPRIDEをまず見るのは、自然な流れ。
 あまりチャンネルは変えたくないので、あとから始まるK-1はPRIDEが終わったあとにじっくり見る。こういう人も案外と多いのではないだろうか?

 今回は両イベントを前に、いくつか観戦ポイントを書いてみたい。
 まったく触れないカードも多々あるが、興味がないからではなく、一般的な視点とさほど変わらないためあえて触れなかったのだと理解してほしい。
 また、勝敗予想も以前は試しにやってみたが、じつはあまり執着がないので、これも必要がないかぎりは触れない。とりあえず、PRIDEのほうから挙げていってみよう。


 ■エメリヤーエンコ・ヒョードル×アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ

 8月のGP決勝戦がヒョードルのバッティング→流血で、まさかのノーコンテスト。
 波紋を呼んだ「頂上決戦」の再戦。初対決のタイトルマッチはヒョードルのパウンド(打撃)に圧倒されたノゲイラだが、8月の対戦では短時間ながらかなりの対応力を見せていた。
 しかし、アクシデント以外にヒョードルの負けるイメージが湧かないのも事実。フジテレビでも討論形式の戦前予想を深夜にやっていたが、ほとんどの人がヒョードル有利と言っていた。
 
 筆者もヒョードル有利説を支持しているが、理由はあくまで「運」の問題。
 番組のなかでターザン山本さんが、「我々は試合ではなく戦いを観にきているんだから、ノーコンテストでも、ドクターのストップがかかった以上、ヒョードルの負け!」と語っていたが、筆者の考えは少し違う。

 山本さんはストリートファイトのようなものを「戦い」と考えているようだが、それはシチュエーションの一つにすぎない。
 現実には、その場その場の状況の中で、必ず有利不利をもたらす条件が存在する。剣の達人でもぬかるみに滑って、雑兵に首を取られることもある。
 しかしその場で戦うことを選択したのは、他ならぬ本人だ。PRIDEというリングで、そのルールを飲んで戦っている以上、それはバーチャルなものではなく、やはりこれも戦いなのである。

 その意味で「骨まで達する切り傷」を負いながら、「負け」を宣告されなかったヒョードルは、強さだけでなく幸運も併せ持っていたことになる。
 山本さんの「ヒョードルは負けていた」という言葉にもある種のリアリティがあるが、それは裏返せば、彼がファイターとして必要な幸運さを持っていたことの証明にもなる。

 というわけで、8月の一戦に「すべて」を賭けながら、試合を中断させられたノゲイラは、ケガを負ったヒョードル以上に負荷を背負ったことになる。
 メンタルな面も含め懸命にコンディションを作り直してきただろうが、やはりこのシチュエーションでノゲイラが勝つということは、「大番狂わせ」と見るのが正しいと思う。
 微妙な判定になる可能性もあるが、そうなっても王者としてのアドバンテージのあるヒョードルのほうが有利だろう。

 ■ヴァンダレイ・シウバ×マーク・ハント

 桜庭の無念の欠場により、急遽組まれたカード。だが、体重差があまりにあるため、シウバにとっては意外な落とし穴が待っている可能性も。
 両者が打ち合って、ハントが倒れるシーンがあまり思い浮かばない。もしかしたらシウバがグランドで攻めるシーンが多く見られるかもしれないが、それはそれで未知のシーンなので見てみたい気もする。

 *桜庭の欠場については機会を改めて書きたいと思う。

 ■ダン・ヘンダーソン×近藤有己

 打倒シウバと次期ミドル級GPでの優勝をねらうファイター同士の一戦。
 近藤は、日本人ファイター(スポーツ選手)特有の、「寡黙でとらえどころのない、戦意があってもそうは見えにくい」タイプの一人。
 同じタイプで一時代を築いた桜庭が多くは望めない状況である以上、このタイプの第一人者として去年のマリオ・スペーヒー戦のような「強さ」を発揮してもらいたいところだ。

 *近藤への「期待」は、対シウバ戦の感想を書いた回で簡単に触れている。

 ■ミルコ・クロコップ×ケビン・ランデルマン

 GP一回戦でまさかの敗北を喫したミルコの雪辱戦。ミルコ勝利の可能性が高いと思うが、彼がまたある種のエアポケットに陥る可能性も否定できない。
 それは油断とかそういうレベルの話ではなく、筆者が思うに、ミルコのファイターとしてのスタイルに関係している。
 徹底的に自己管理し、ストイックなトレーニングをする彼の生き方は、一見合理的なように見えて、つねに破綻と裏合わせであるからだ。

 人智だけで自然の力を制御できないように、自然の一部である自分自身を理性的に管理しても、収まりきらないものがどんどんと抑圧されてしまう。
 いまはハイペースで試合を組むことで、その抑圧を次の戦いのエネルギーに代えている感があるが(ある意味賢明なのだが)、それが計画通りにうまくいくとはかぎらない。このへんの自分の「弱点」をミルコがどこまで自覚できているかがカギだろう。

 おそらく順当に進めば、2月に一戦を挟んで、4月にタイトルマッチという青写真は彼の中にもあるはずだが、ストイックな状態を続ける期間が長すぎる。
 一番危険なのはむしろ2月のほうだと思われるが、どこかで彼なりの「力を抜く」すべをつかまないと、計画通り行っても、長期政権は難しいだろう。

 ■吉田秀彦×ルーロン・ガードナー

 柔道とレスリングの金メダル対決。ウエイトの違いから吉田不利が伝えられているが、筆者は吉田が腕ひしぎか三角締めで勝利という予想。
 イメージしているのは、軽量級の対決ながら、先ごろハワイで行われたホイラー・グレイシーと宮田和幸の柔術×レスリングの一戦だ。
 シドニー五輪出場の宮田は、この試合がデビュー戦で、しかも彼のクラスでは並外れたパワーが売り物だったという点で、今回のガードナーと状況が似ていると筆者は感じている。

 おそらくガードナーは吉田を何度も投げるだろうし、それなりのダメージは与えるかもしれない。
 しかし、宮田が「打撃に力みすぎて予想以上にバテた」というように、慣れない総合の試合は彼のスタミナを予想以上に奪う可能性がある。
 また、極め技がないという点もレスリングは不利だ。ポジショニングは体重の分だけ有利だろうが、それはホイラー×宮田戦の展開と同じ。
 ホイラーは下からの三角締めで勝利している。吉田も似たシチュエーションでフライにも勝っているし、以上の点からも、不用意に打撃をもらわないかぎり、吉田有利というのが予想になる。


 ……つづいて、K-1「Dinamite!」の予想。

 ■曙×ホイス・グレイシー

 K-1で「初日」の出ない元横綱の曙が、総合に初挑戦。それがなんとあのホイス……ということで、話題を呼んでいる。
 100キロ以上ある体重差が注目されているが、有力選手の集結した直前の会見での「集合写真」を見るかぎり、ホイスは意外に大柄だ。
 もちろん簡単にはテイクダウンはできないと思うが、曙が倒れてしまえば、あとはホイスがほぼ100パーセント有利だろう。

 曙としては出だしの3分間が勝負だと思っているだろうし、スタミナの十分ある「相撲タイム」でのテイクダウンは、ありえないと思うが、横綱の威信に賭けても阻止したいところだ。
 立っていようが寝ていようが、スタミナの浪費は変わらないと思うが、それで言うと長引くほどに曙の動きは鈍くなるだろう。ここらへんは一般論とも変わらないので、この予想を裏切る驚きを見たい気がするが……。

 ■藤田和之×カラム・イブラヒム

 アテネ五輪のレスリング金メダリスト、あのカレリン以来の逸材と言われるイブラヒムの総合デビュー戦。
 タックルしてテイクダウンできれば、イブラヒムはずっと上のポジションをキープし、「判定で圧勝」という可能性が高い。

 藤田は打撃で活路を見出したいが、それほど技術的なスペシャリストではないので、あっさり倒されるような気がする。
 倒されて下からの攻撃もあまりイメージが湧かないし、体格では上回ってもパワーで上回っているとも思えない。どんな戦略でのぞむのか想像がつかないが、何か秘策でもあるのだろうか? 曙同様、イブラヒム有利の予想を、藤田には裏切ってもらいたいが……。


 ……このほか試合としては、魔裂斗×山本“KID”徳郁、秋山成勲×フランソワ・バッファロー・ボタ、PRIDEの瀧本誠×戦闘竜、安生洋二×ハイアン・グレイシーなどにも、様々な意味で興味はある。ただ、冒頭でも書いたように戦前予想は下馬評とさして変わらないので、ここでは触れない。

 興行として見た場合、K-1は上位の試合がどれも短時間で終わってしまう可能性がある。
 そこに物足りなさを感じてしまうようなら、大晦日興行としては課題が残るかもしれない。PRIDEはメインの内容次第。スッキリ決着がつかず、選手もファンも納得できないような状況にまたなったとしたら、特にノゲイラの精神的なダメージが心配だ。今後の選手生命にも影響するかもしれない。

投稿者 長沼敬憲 : 17:10 | コメント (0)

2004年12月06日

K-1GP決勝と“疑惑判定?”について

 ことしのGP決勝をテレビで見た。まだ新聞報道が中心で、細かい論評の入る雑誌などの発売はこれから。試合の結果と内容、選手のコメントといった基本データから、いくつか感じたことをつづってみたい。

 全体に見ると、決勝のボンヤスキー、武蔵の戦いぶりを見るまでもなく、非常に僅差の判定が多かった。当然、敗れたほうの選手は不満だ。
 ホーストは「日本的なジャッジに自分は勝利を盗まれた」と怒り心頭のコメント。日本式というのは、次世代のエースと目されるボンヤスキー、日本期待の武蔵、この二人を勝たせたいという意識がジャッジに影響していたという批判だろう。

 武蔵に敗れたセフォーも、「K-1はよりアグレッシブに攻撃したほうにポイントがつくはずだ。逃げてばかりの武蔵が勝ったのは、別の意図が働いたとしか思えない」と批判している。

 この大会に賭けてきたホーストやセフォーの気持ちはわかる。
 しかし、筆者は今回の判定結果はある程度仕方がないと思っている。まず、前にも書いたが、K-1のレベルがここ数年でかなり向上してきている。
 「豪快なKO決着がK-1の魅力だ」と言われてきたが、今後は上位の選手同士の対戦になるほど、こうした僅差判定は増えてくる。これは「進化」の一つの結果なのだから、そういうものかと受け止めるしかない。
 見る側が目を肥やしていくべきなのである。

 また、こうした僅差の判定が頻発する以上、ギリギリの判定の中で「ホームゲームディビション」「判官びいき」「興行的な配慮」が、ジャッジの意識に反映してしまうのも仕方のないことだ。
 ジャッジは機械ではない。意識を持った人間が最善を尽くして行うものだ。しかし、意識の背後には無意識がある。客観、中立をいくら心がけようが、決定打がなければ無意識の配慮が反映される。

 これは、武蔵に敗れたセフォーなどは特に自覚するべきことだったと、筆者は思う。
 数年前の初対決では武蔵を圧倒したセフォーだが、この日の準々決勝は互角の攻防。武蔵に決定的なミスがなかった以上(言い換えれば、セフォーが決定的なポイントを稼げなかった以上)、残念ながら負けと判定されてもそれは認めるしかない。
 彼が負けていたとは確かに言いがたいが、勝っていたとも言いがたいからだ。この時点で、判定への不満は説得力を失ってしまう。

 サッカーなどでもホームとアウエーの試合がある。純粋な技術や戦術、チームワークが秀でていても、審判のちょっとしたファールのジャッジでホームのチームに有利な状況が生まれる。
 よほど意図的なものならば批判は成り立つが、多くのサッカー選手はこの現実を飲み込んで戦っている。

 シチュエーションが味方している相手に勝つには、凌駕しているなと思わせる、明確な説得力が必要である。
 試合に対する戦略を立てる場合も、当然これを考えなければ、会場の空気まではひっくり返せない。その意味では今回の判定は「許容範囲」のうちであり、誰が見ても酷いというものではなかったのではないか。

 ホーストは外国人のジャッジの導入を試合後の会見で提案していたが(K-1の判定は、通常日本人のジャッジが行っている)、それが受け入れられたとしても彼の納得するような結果が生まれるかはわからない。
 スポーツと興行は表裏一体のものであり、オリンピックや世界選手権のようなアマチュアの世界でも、「配慮」は働く。
 「純粋なスポーツ」などというものは存在しない。対戦相手だけでない「すべて」の状況を理解し、見通した上で戦うことが選手には求められる。

 要するに、競技としては大味な感のあったK-1も、そうした一段高いレベルのステージに、いま上ろうとしているということだ。
 この背景には、サップや曙、今回のガオグライのような異分子が入り込んだことや、総合のジャンルに進出したことで、各選手のスキルが全体的にアップしたことがある。

 K-1をPRIDEと比べ興行論に傾きすぎていると批判する人間もいるが、それは必ずしも当たっていない。
 巨大な興行の中で、すべての要素が一体になりながら、同時進行で変わっていくのが、K-1に設定された(石井前館長が設定した)宿命のようなものなのである。PRIDEもその設定を踏襲している。

 要はスポーツ興行の本質を受け入れ、パワーに変えられるファイターの出現が、今後、K-1に求められてくる。
 強さというより、皮膚感覚での、理解の問題だ。その理解が、K-1を世界的なスポーツ競技に飛躍させる起爆剤になるだろう。

投稿者 長沼敬憲 : 17:16 | コメント (0)

2004年10月09日

K-1GP開幕戦を見た

 曙がボンヤスキーのハイキックでK0負け。デビュー以来の5連敗。何かをつかむことができたかという話だが……、評価は相変わらず難しい。

 突進してのパンチの連打には「お、できるんだ」という感動が確かにあった。押し込み方に相撲時代の名残りはあったが、いまの彼はとりあえずK-1ファイターになったのだと見ていいだろう。
 ただ、前回も書いたが、相撲取りの体は相撲にしか向いていない。動きや技を応用することはできても、体が力士のままでは限界がある。
 とはいえさかんに言われる減量は、テクニックの習得以上に難しいだろう。KONISHIKI(小錦)を見てもわかるように、もしかしたらもう「後戻りできない体」なのかもしれない。

 ただ話を覆すようだが、太っている=動きが鈍い、とは限らない。
 感覚的な体の軽さと実際の体重は、必ずしもイコールではない。だから安易に減量すれば動きが良くなるとは言えない。これがわかっていない人が多い。
 感覚の問題だから、これは本人にしかわからない。もしかしたらいまの体重、いまの体型のままで、適応できる可能性もあるということだ。
 変化の本質は目に見えるものではない。だからこそ、つかむのは難しい。その意味では具体的に「50キロ痩せる」と目標にするほうがたやすいとも言える。
 しかし繰り返すが、痩せたからいいというわけではない。堂々回りのようだが、得てしてこういう場合「答え」は意外なところに転がっている……。

 武蔵に関しては、単純に「貫禄がついたな」と思う。
 ホーストとフェイトーザの試合を見ても思ったが、内容的に大きな差があったわけでなくても「とりあえずホーストの勝ちだな」と観客の多くも思ったはずだ。
 それと同様、この1年くらいでいつのまにかアビディと立場がひっくり返ってしまった。一度ひっくり返ってしまうと、覆すのは相当に難しい。

 GP決勝は初戦でセフォーと当たるが、完全に互角という印象。面白いものだ。実力がついたのだと言えばそれまでだが、それも具体的な数値で示せると言うより、感覚的なものだろう。
 しかし感覚的だからこそ、確かなものなのである。去年と同様にボンヤスキーと武蔵の決勝がまた見られるかもしれない。ただ優勝までできるかとなると、微妙だ。今度はそのポジションを、彼がどうやって突き崩せるかにある。

 そろそろ勝ちをもぎ取るのではと思っていたボタが、予想通りと言うべきか、バンナに勝利した。
 ボタはK-1に参戦した当初から何となくキックの間合いをつかめていたような(つかむことができそうな)印象があった。
 ほかのボクサーが慣れないキックに成す術なしといった感じで敗れていたのに対し、どこか戦い方が違って見えた記憶がある。このまま上達すると、なかなか負けない老獪なファイターになる可能性がある。
 ただ、曙にも言えることだが、今後他のジャンルのスポーツ選手がK-1に挑戦してきても、今まで以上に勝つのは難しくなるだろう。トップファイターのレベルがいま一段上がりつつある。

 バンナの不振がこのまま続くようだと、マイティ・モーあたりがその地位を脅かすこといなるかもしれない。
 もうそれは来年には起こりうる展開だ。ただ、夢の見れるコンテンツとしては、サップの戦線離脱以来、ひと回りしぼんでしまった印象がある。
 固定ファンはついているので、しばらくは今回のようにやや地味めに、コツコツ「いい試合」を提供するような状態が続くかもしれない。
 武蔵に貫禄がついたといっても、まだカリスマとまでは言えない。ボンヤスキーがカリスマになれるかどうかも微妙だと思う。
 ミルコもマクドナルドに敗れたのをきっかけに総合で復活を遂げたが、その意味では今回タイ人敗れたイグナショフが大化けする可能性はある。

投稿者 長沼敬憲 : 17:22 | コメント (0)

2004年09月24日

K-1GP開幕戦を前に(2)

 曙がプレッシャーのあまり円形脱毛症になってしまったという記事を見た。

 写真も掲載されたので間違いはないようだ。ひとつの事実が彼の心中をリアルに語っている。本当に大変だろう。
 プロレスのリングに上がるかどうかで心が揺れている……なんていう記事もあった。勝敗はともかく何かを伝えられたらいいと思うが、その何かが本人にもまわりの人間にも見えていない。
 だからこそ……、この何も見えていないというところに、伝えるべき「何か」は隠されている。前回そのように書いた。
 わかりやすく言えば、それくらい追い詰められ、見えなくなるという体験は誰もができるものではない。その意味でチャンス、なのだということ。

 曙とは違った意味で、チャンスをつかみつつあるのが武蔵だ。
 前年の準優勝した前後から、少しずつ顔が出来てきた感がある。
 武蔵は決して「ハンサム」ではないが(失礼)、先天的な容姿とは関係なく、人には顔が出来てくる時期がある。
 単純に「カッコよく」なるわけだが、最近の武蔵にそれを感じないだろうか?
 それが本当の「顔」であるわけだが……、今年のGPは結果を出す以上に、この顔をどこまで作り上げられるかが問われてきそうだ。
 その意味では、本人も言っているように「開幕戦で負けていられない」。確かにそうなのだが、戦前の予想としては勝利はちょっと微妙だ。アビディ戦は彼の今後を賭けた一戦と大きく位置付けられるかもしれない。

 筆者はアビディのことを過去に評価したことがあるので(Astral Bout)、低迷してからもずっと応援している。
 彼の低迷の原因はある程度ハッキリしている。
 ナチュラルな強さ、無意識の勝負カン、身体的な柔らかさで一気にスターダムに上がったが、人気が出て、客の存在を意識し出してから、本来のそのナチュラルなファイトスタイルが、知らないうちにKO狙いのファイトスタイルにすり変わった。
 この二つは見た目は似ているが、本質は全然違う。真っ向勝負のファイトスタイルがウケて、それがファンの求めているものだと知った時、それをしようと意識したアビディがいたはずだ。
 その「しよう」という意識が微妙に感覚を見失わせたのではないかと思う。

 これは難しい話だ。プロのファイターならばこれを乗り越えないと、天分だけで戦っている段階から抜け出せないのかもしれない。
 かつてアビディが追いかけたアーツも、この壁を超えられないでいると言うこともできる。
 というより、K-1のなかで「乗り越えられた」のは、つまりコンスタントに自分の能力を発揮できているのは、ホーストくらいか。
 レイ・セフォーもその一人かもしれないが、彼の場合、能力そのものをもうひと回り高めたいところだろう。そうすれば優勝できると自分でも思っているのではないか。
 先ほど書いた武蔵の「顔」についても、いま彼がこの壁を超えられるかどうかの段階まで来ていることを示している。

 ふと思ったが、いまK-1ファイター全体が、一つ大きな壁を超えられるかどうかの段階にいるのかもしれない。
 「原点回帰」を標榜したのも、そうした状況が背景にあってのものだと捉えると納得しやすい。
 決定的に強い、絶対的に安心できる強者はいない。バンナもボタにK-1初勝利を献上してしまう可能性がある。そうするとボタが一つ壁を超えることになる。
 この場合はK-1のトップファイターにデビュー6戦目(未勝利)のボクサーが追いつくという意味での「超える」だが、悪く言えばK-1はまだそれくらいの「レベル」なのだとも言える。
 しかし、いま全体のレベルが上がる機が熟してきている。一つ上がってしまうと、もうボクサーが特訓しても勝つのは難しくなる。
 ボタはその点で物凄く微妙な位置にいる。バンナに勝って「ギリギリセーフ」というような位置かもしれない。

 勝敗予想よりも、曙を含め個々のファイターの直面する「壁」を想像し、その壁に対して超えられたか、超えるきっかけは得られたか、そのような視点で見ていったほうが、今回は面白いと思う。
 その視点で見ると、今回は非常によくできたカードだ。感覚的にかもしれないが、谷川プロデューサーもこの機を感じている可能性がある。
 だとしたら、PRIDEに押されてきた感のあるK-Iの「反攻」がいよいよ始まるということだ。
 しばらく見られなかった、フィリオ×バンナのような「世紀のKOシーン」も再び蘇るかもしれない。ヒョードル×ノゲイラ戦に内容で凌駕できるような試合が、K-1で今後出せるかが問われる。


投稿者 長沼敬憲 : 17:28 | コメント (0)

2004年09月20日

K-1GP開幕戦を前に(1)

 まず曙の話から。

 先日「紙のプロレス」という雑誌を読んでいたら、デスマッチで名を馳せたプロレスラーの松永光弘氏が、面白いことを言っていた。
 彼はレスラーになる以前にアマチュア相撲と空手で実績があり、二つの競技を体験した立場から「相撲という競技の特殊性」を語ったわけだが、簡単に言うと、相撲を始めることで一般的な運動神経がどんどん落ちていったそうだ。
 能力が「相撲に勝つ」ということのみに限定されてしまうため、空手に転身した時、またイチから学ばねばならなかった(相撲の技術は何も役に立たなかった)という。

 筆者は松永の意見を興味深く思う一方で、「相撲って、初めからそんなに閉塞した競技だったのだろうか?」とも思ってしまった。
 申し訳ないが、力士の多くに見られる「生活習慣病と背中合わせの太った巨体」は、確かに相撲でしか役に立たないかもしれない。
 しかし日本の武道の歴史には、現在の総合格闘技につながる「なんでもあり」の感覚がある。
 相撲しか取れない相撲取り。これは武道の目から見ると自己矛盾している。
 幕末あたりの力士の写真を見ると、筋肉に張りがあり、小兵で、現代の柔術家あたりともあまり差異がないように思える(当時の日本人自体小柄だったので、世間的には巨体であったと思うが、その質が今の力士と全然違っていたと感じられる)。

 曙は、こうした「自己矛盾している現代大相撲」という構造の中から生まれるべくして生まれた「横綱」であり、難しい話ではあるが、この矛盾に気づき、打開できないかぎり(そうした意思を持たないかぎり)、総合格闘技に転身してもおそらく実績は残せないのではないだろうか?
 自己矛盾の構造とはいえ、人には言えない苦労はしただろうし、そこで勝ち上がったプライドもある。
 しかしそのプライドは精神面を支えるものであり、技術が他の格闘技に生かせるかどうかとは別問題。
 松永も空手を始めたころ1分くらいで息が上がってしまって苦労したと語っている。「彼と一緒にするな」と言ってしまったら見失うものが大きいと思う。

 そのように根本的な問題点を無数に抱えた(その意味で興味がつきない)曙が、開幕戦のスペシャルマッチで前年度王者のボンヤスキーと対戦するという。
 「これまでの対戦相手は逃げ回るだけで、まともに打ち合ってこなかった、だから完全燃焼できていない」と語る曙だが、今度はまた違った意味で完全燃焼できないかもしれない(1ラウンドすら持たない可能性もかなりある)。
 本当に扱いの難しい存在をK-1は抱えてしまったものだと思うが、彼をスカウトした谷川プロデューサーはいまどんなビジョンを持っているのだろう? プロレスに転向してしまったら、それこそ「なーんだ」の世界になってしまうわけだが……。

 ともあれ、そんな「ありがちなシナリオ」より、ここで注意を喚起しておきたいのは、久々に?「出口の見えない選手」が現れたなという事実についてだ。
 本人も(あるいは谷川氏も?)「何とかなる」と始めた転向劇だったかもしれないが、現代相撲と格闘技の当たり前すぎる隔たりが浮き彫りになっているわけで、彼の勝敗よりもその点に注目するといろいろなものが見えてくる。
 たとえば、相撲界はいま、モンゴルや東欧など旧共産圏からやって来た力士たちの台頭で新風が吹き荒れている。
 国際化が進むと外国人力士の占める比率も増すだろう。しかし単純に日本人力士ガンバレと奮起を促しても、どう頑張ればいいのだという話になる。

 レスラー松永の指摘ではないが、素朴な現実に気づくべきだということだ。
 体を大きくすることはいいが、たとえば1日10キロのウオーキングでへばってしまうような力士ばかりだとしたら(そんなイメージがあるが、実際どうなのだろう?)、「疲れたサラリーマン」を笑えない。
 特殊化は武道の感覚(日本人の身体感覚)からは離れている。だからトレーニング器機で肉体改造するのも、別の意味での特殊化のように思える。
 相撲を本来の相撲に取り戻すためには、逆の発想で新しい力士を作る必要がある。そうやって生まれた力士を外国人横綱と闘わせた時、革命が起こる。……まあ、かなり夢想に近い話だが、マンガの原作にしたら「播磨灘」以上に面白そうだ。

 話が逸れたが、本当に曙は難しい。
 筆者自身、頭はそれなりに柔らかいつもりだが、彼が格闘家として成功するイメージがいまひとつ浮かばない(タレントとかプロレスラーとしてなら浮かぶが、それは本人も望んではいまい)。
 しかし好条件もある。谷川氏をはじめ、おそらく曙本人以上に、周囲の人間が彼の可能性を模索しているであろうという点。
 答えが簡単に見つからない時というのは、諦めさえしなければ、通常ではなかなか思いつかない活路が見えてくるものだ。
 専門家の感覚ではさしあたって大減量しないかぎり現状打破はできないとなるが、本当にそうなのか? ボンヤスキー戦で何か少しでもヒントが見えてくると面白い。

*開幕戦までに他の見どころもUPする予定です。

投稿者 長沼敬憲 : 17:31 | コメント (0)

2004年08月17日

小川の敗戦とPRIDE GP

 小川が意外なほどにあっさりヒョードルに負けてしまった。ヒョードルのパンチの攻勢は予想できたが、それをかいくぐった小川がバックに組み付いたのをくるりと反転して、あっさりマウントを奪ってしまったのには驚いた。あの瞬間が事実上の勝負の分かれ目だっただろう。

 ぼくのなかでは、船木×ヒクソン戦が思い出された。船木を相撲のはたき込みのような形で転がし、それと同時にマウントを取っていたヒクソンの非凡さ。勝敗が決したのはそのあとだったが、あの一瞬の動きは素晴らしかった。ヒョードルにヒクソンの姿がだぶってしまった。

 ヒョードルの強さは、GPの1、2回戦を見ても、ちょっと神憑かり的なものがあったが、多くの人が「これほどまでとは」と思ったかもしれない。
 しかしそのヒョードルと決勝で対戦したノゲイラも、彼のパウンドをかなりうまくいなせていた。あのまま試合が続いた場合、両者に決め手がないまま、観客にとってはフラストレーションの少々たまる内容で、判定決着になったかもしれない。
 ただ、ヒョードルのバッティングは、その気になれば予想できた気がする。彼はリングスのKOKでも同じような結末があった(VS高坂戦)。あの決勝の状況を見て思い浮かんだのは、その時の情景だった。

 小川にはかなり気の毒な結果になってしまったが、彼の評価はあまりに短すぎた試合のためにまだ完全には定まらないのではないか。
 小川が弱かったというより、ヒョードルが強すぎたと言ったほうが正しい気がする。ただ彼の実力が総合ではトップのトップでなかったことは、悲しいけれど判明してしまった。悲しいけどといったのは、やはり彼の未知の実力に自分も幻想を抱いていた部分があったからだ。
 1、2回戦では気にならなかったが、ヒョードルと打撃で対峙してしまうと、腰の高さがやけに目立った。この腰の差で勝敗があったような気もする。彼は今後どうするのだろう?

 ぼくは小川がヒョードルをずっと押さえ込んで判定勝ちし、ハリトーノフがノゲイラに打撃で勝って、決勝ではアクシデント含みで小川がハリに破れるという、いま思うとかなりプロレスチックな予想を立てていた。
 これはぼくの資質にも関わってくるが、だいたいにおいてこうした予想などする場合、まず最初に情が働いてしまうので冷徹に予想ができない。
 たださすがにいつも同じパターンを繰り返しているので、今度予想するときはもう少し堅実というか、ヘンな話真面目にやってみようか?? でもそれでは「面白くない」と思ってしまうんだなあ。

 ハリトーノフを推していたのは、彼がロシアントップチームの所属だったことも個人的には大きい。
 要するにこれも情の論理なのだが、ぼくはリングスが好きだったので、ロシアントップ=リングスロシア勢をついつい贔屓してしまったわけだ。
 現実を見ると、ハリトーノフは相当にいい選手であることに変わりはないが、ノゲイラと比べたらやや見劣りすることがわかった。

 この差が今後埋まるかどうかはよくわからない。ヒョードルの強さはロシア人であるという以前に天性のものがかなり加味されている。
 ハリトーノフがPRIDEで経験を積んでも、もしかしたら縮まらない差なのかもしれない。現時点ではそんな感想。覆されたら嬉しい気もするが。

 近藤は結果は完敗だったが、ラストのパンチが当たる寸前までは互角の内容だったと思う。ただほんのわずかなスキの部分を突かれ、小穴が一気にこじ開けられて、完膚なきまでやられてしまった。
 しかしぼくはある意味仕方ないと思っている。なぜならシウバは勝つために努力をし、勝つことに執念を燃やし、いわばそれがすべてと思っている典型的なブラジリアンファイター。

 逆にいえば、日本にはそんな凄まじい意識の選手はいない。これを嘆く人もいるのかもしれないが、日本人の感覚は勝つこと以外にもっと様々なことを考え、追求し、鍛練している。
 特に近藤はその典型だ。不動心を口にし、意識の中で勝敗以上の道を求める意識がある以上、ギリギリの勝負を分ける瞬間で差が出たとしても致し方ない(この話は、オリンピックのところでも書いた気がするな……)。

 というより、日本人が勝てないのはハングリー精神に欠けているからでは必ずしもないということだ。
 相手のハングリーさを凌駕するほどの技芸をモノにできた選手はまだ見当たらない。
 ぼくの目からすれば(これは情の論理などではなく)、この道はシウバらが追求しているレベルよりも数段高く、それゆえに試合を通して身につけ、発揮していくのはかなり難しいものでもある。

 でもそれを求める気持ちがあるというなら仕方がない。少なくともブラジル人の真似をしてハングリーを追求しているうちは彼らの天下が続く。
 近藤がこの道を会得できるかはわからないが、何年か先にはそんな“化け物”が格闘界にも現れるかもしれない。

 野球でいうイチローがそんな存在だといえば、多少はイメージできるだろうか? あそこまで到達してしまうとシウバの剛の強さも呑み込まれてしまうと思う。ということは、アクシデントがない限り、シウバの独り勝ちは当分続くのかもしれない。


投稿者 長沼敬憲 : 17:42 | コメント (0)

2002年11月27日

野獣ボブ・サップはなぜ「出現」したか?

 今年の格闘技・プロレス界の最大の事件と言えば、おそらくB・サップの出現だろう。
 巨体(200センチ・160キロ)でありながら、パワーのみならず、スピード、跳躍力と抜群の運動神経。格闘技とプロレス、はたまたバラエティー番組をもボーダレスにこなしてしまう対応力。ビースト(野獣)を自称しながら、じつはワシントン大学の学生だったという、見た目(肉体)と知性(精神)のギャップ……。

 総合格闘技では、現PRIDEヘビー級王者A・R・ノゲイラをあと一歩まで追い詰め、K-1では3度の王者経験を持つ“ミスター・パーフェクト”E・ホーストを撃破、わずか3戦目にして、12月のGPトーナメント進出を決めてしまった。また、プロレスのリングで、中西学(新日本プロレス)やG・ムタ(=武藤敬司/全日本プロレス)といったトップレスラーを破ったことも記憶に新しいだろう。

 K-1の創始者で、サップを紹介した張本人である石井和義館長は、ホーストの敗戦のあと、「K-1の歴史が覆えされた」と心境を告白。氏に限らず、彼がもっと技術を磨いていけば、総合でもプロレスでも勝てる選手はいなくなる、つまり「やはり力が技術に勝るのか」と危惧(?)する専門家、ファンは多いようだ。

 力が技術に勝る……、これは筆者が作品の中で繰り返し語ってきた「柔よく剛を制す」の発想とは、ちょうど対極に位置している。
 やはり、体を大きくし、筋肉を発達させたほうが強さが発揮できるということなのか?
 筆者は必ずしもそうは思っていない。もちろん、リングという四方が囲われた特殊な空間の中で、しかもルールによって数々の禁じ手が設けられている以上、能力が接近している場合、「体の大きな方が有利」であることは確かだろう。

 特にK-1は、興行の成功を重視していることもあり、その源流である空手やキックボクシングなどよりもKO決着のつきやすい、打ち合うことを前提にした、非常にシンプルなルールが採用されている。つまり、細かい技術よりも、ここ一番のパワーがモノを言うケースが、競技そのものに内在している。それがサップの活躍を後押し、技術の象徴とも言えたホーストの敗戦につながったと言えるわけである。

 その意味では、よりルール制限の少ない総合格闘技のほうが、ノゲイラが腕ひしぎ逆十字を決めたように、サップ攻略の糸口はある。さらにルールの曖昧なプロレスともなれば、サップと言えど対戦相手の呼吸を読み取り、試合を作らねばならないので、キャリアの長い選手の術中にはまり、敗れる可能性も出てくるだろう(いまはサップの商品価値が高いので、まだ“お客さん状態”であると考えてもいい)。

 と、一般論(?)をずいぶん展開してしまったが、「柔よく剛を制す」の話に戻ろう。
 サップの出現は、従来のヘビー級選手ですら「剛」では対抗できない状況を生み出している。「剛」に頼って戦ってきた選手も、「柔」の感覚に目覚めなければ、ホーストですらそうだったように、あの圧力に押しつぶされるだけに終わってしまう。

 しかし、考えてみてほしい。これは逆に言えば、格闘技が進化するひとつのチャンスと言えないだろうか? その進化の必然として、サップのような怪物が現われた。そう捉えることで、単純な勝ち負けだけでない、戦いそのものの本質が見えてくる。
 なぜなら、サップのような逸材が出現したのは、武道の発祥国である日本において、格闘技やプロレスの人気が定着し、「銭の稼げるジャンル」として注目される状況にあるからだ。ジャンル的にボーダレスな要素を内包しているので、何らかの競技経験のある逸材なら、他の競技以上に容易く取り込むことも可能である。

 そうなると、競技レベルそのものも高まってくる。たとえばサップのような選手が現われれば、多くの格闘家は心穏やかでなくなる。攻略法を真剣に考えざるをえなくなる。人は追い詰められることで、知恵を身につけ、成長を遂げてきた。これまでのやり方が通用しなくなれば、大半が淘汰され、没落したとしても、諦めなかった一部の層の中から過去にない「本物」が生まれえる。いまをときめくサップにしても、巨視的に見れば進化を続ける格闘技界の「徒花」になりかねない可能性を有している。

 日本人がかつて武道などを通じて「柔」の感覚を身につけてきたのは、小柄であるがゆえ、ただ力任せに強引に押し切るだけでは何事も「うまくいかない」という現実を、歴史の中で繰り返し味わってきたからと言えるだろう。
 身体が小さくとも、五体を有効に活用すれば巨大な力を制し、逆に利用することもできる。それは、大相撲で小兵力士が繰り出す奇襲戦法のような単純なものばかりではなく(なぜならそれは2度目には通用しにくくなる)、数学の公式のように様々な場面に応用できる力学的な原理やコツのようなものと考えたらいい。

 合気道などでは、歴史とともに形骸化してしまった部分も少なくないと言われるが、この原理やコツが習得できれば、人生の中で自由自在にふるまえると説いている。リングという限定された空間の中で勝ち負けを競うことでは、その力は100パーセントは発揮できない。だから、試合という形式を採用していない。

 もちろん、その原理を試合で用いたいなら、自らの創意工夫によって用いたらいい。
 それも人間の発揮する可能性のひとつであり、限定された空間であろうとサップを破る「小兵」の選手はいくらでも出てくる可能性がある。「これまでにない体験」に思考停止するのではなく、逆に従来の固定観念を捨てる努力をすること。山根一眞氏の「メタルパワーの時代」などを読むと、格闘技にかぎらず、日本という国を押し上げてきた技術革新は「そんなこととても無理だ」という状況から始まっている。無理だろうがやらねばならないから、過去の限界を打ち破る知恵が生まれるのである。

 さて、間近に迫ってきた今年のK-1GPでは、1回戦でサップとホーストの再戦が急遽、組まれたようだ(サップの対戦相手だったS・シュルトの負傷による)。
 サップが返り討ちにすれば、P・アーツやJ・L・バンナらとの対戦の可能性も出てくる。彼のスタミナがどこで切れるか、逆にどこまで野獣のパワー=勢いが持続するか……、いずれにせよK-1ファイターたちに彼のデータは蓄積される。創設から10周年を迎 えるこの時期に彼のような異分子が現われるあたり、優勝占いなどより、もしかしたら石井館長の「強運」に注目したほうがいいのかもしれない。

投稿者 長沼敬憲 : 07:30 | コメント (0)

2002年08月19日

架空対決・小川×ヒクソンの「勝者」はどちらか?

 さて、前回で触れた小川直也×ヒクソン・グレイシー戦について、まだ実現するかわからない段階ではあるが、筆者なりの「予想」を立ててみることにしよう。

 面白いことに、ふたりの置かれている「立場」はかなり似通っている。
 すなわち、それぞれのバックグランド(柔道・柔術)においては文句ないほどの実績を残していながら、肝心のフリーファイト(総合格闘技)に関しては、どれだけ強いのか、その実力の程が未知数であると一般に思われている点。

 理由は簡単だ。他の選手に比べると、戦績が圧倒的に少ないからだ。
 ヒクソンは初来日した当初は、2年連続でトーナメント(バーリトゥード・ジャパン)に出場しているが、知名度が上がった96年以降は、ファイトマネーが高騰したことも手伝い、高田延彦と2回、船木誠勝と1回のみ。一方の小川も「プライド」マットでのゲーリー・グッドリッジ、佐竹雅昭戦、先の「レジェンド」でのマット・ガファリ戦とやはり3試合のみ。たがいにすべて完勝しているが、本当に強い選手とは戦っていない、相手との実力差がありすぎたからだ、という批判もある。

 いずれにせよ過去の偉大な実績と、現在の試合数の少なさ。「夢のカード」が氾濫する昨今、この二人ほど幻想をかきたてる存在はいなくなっている。
 もちろん、幻想だけで終わることを許さないファンがいる以上、両者に対する「期待」は、年とともに徐々に高まっている。しかも、もうジラしすぎではないかというこの時期に、対戦が多少現実味を帯びてきた。筆者が桜庭和志×ホイス・グレイシー戦に並ぶと言ったのは、そうしたシチュエーションが出来上がりつつある状況に対してだ。「歴史に残る一戦」は、仕掛けだけではなかなか生まれえないのである。

 では、この両者が実際に戦ったらどうなるか、シミュレーションしてみよう。
 一般に総合格闘技の「総合」とは、打撃、グランドでのポジショニング、極める力と、この3つの能力に集約できると言われている。このうちポジショニングと極める力は、寝技の領域。ヒクソン、小川の得意分野ということになる。

 ヒクソンの寝技の能力は、筆者がこの「観戦記」で取り上げたこともある対船木誠勝戦において、見事なほどに見い出すことができる。
 両者の探り合いからはじまったこの戦いが動き出したのは、9分すぎ。一瞬のスキをつき船木をはたき込んだヒクソンは、ほとんど転がしたと同時にハーフガード(柔道でいう横四方)の体勢に入ることに成功。そしてそのままスルスルと、得意のマウント(馬乗り)に移行。的確なパンチでガードを崩し、最後は裸締めでフィニッシュ。ポジショニングを得て極めに入るまで、この間、3分もかかっていない。

 あまりにスムーズに展開していくので、船木はこんなに弱かったのかと思った人もいるかもしれないが、要するにヒクソンが強すぎたのである。戦前の予想通り、船木は打撃で活路を見い出す以外、太刀打ちできる要素はなかったのかもしれない。

 一方小川は、初めての「総合」挑戦となったグッドリッジ戦を、一方的に攻めたてた末、最後は腕固めで激勝したが、逆にひとつの課題を浮き彫りにしている。
 さすが元柔道王らしく、剛腕グッドリッジの打撃をかいくぐり、アッサリ横四方に押さえ込んだものの、そこからなかなか攻め切れず、ギブアップを奪ったのは2ラウンドに入ってから。極めるまでに10分以上の時間を要してしまっている。投げと押さえ込みが主体となっている現代柔道の弱みが、ここに露呈されたわけである。

 小川はその後の佐竹戦で、この課題を払拭するかのごとく、ポジショニングから極めに至るまで、流れるような技の運びを見せているが、寝技がほとんどできない佐竹相手であるから、ヒクソン×船木戦との対比はできないだろう。簡単に言えば、小川に現役時代の船木を、あれほどアッサリ極める力はないと思われるのである。

 こうして見ていくと、寝技の猛者同士の戦いでありながら、極めるという点でヒクソンの側に一日の長があることが見えてくるはずである。
 つまり焦点となるのは、ポジショニングの能力に関してどちらが秀でているか、ということになる。ここは筆者もハッキリとはわからない。互いにとって専門領域であり、どちらがハーフガード(横四方)を取られることも、なかなか想像しにくい光景だからだ。互いに取らせなければ試合は膠着し、延々と続く。ルールがヒクソンの要望で時間無制限となれば、あとは根気の勝負。底力が試されてくる。

 一般論で言えば、体格で勝る小川を押さえ込むことは難しいのではないかという声もあるかもしれないが、これもやってみなければわからない。「プライド21」では、ポジショニングでは二人に勝るとも劣らない元リングス無差別級王者エメリヤエンコ・ヒョードルが、2メートルを超える空手家セーム・シュルトを寝技で手玉に取っている。

 また、ヒクソンの年齢(42歳)を気にする声も、既成の常識に沿ったものだ。特定の筋肉を鍛えるだけの、力任せのトレーニングから脱却すれば、年とともに却って無駄な力は取れ、より強くなれる可能性もある。少なくとも戦う当人が衰えを感じていないという以上、長時間戦える能力は「ある」と考えておくのが妥当だろう。

 以上のように見ると、かなりの「接戦」になることは想像できるが、時間が過ぎ互いにスキが見えてきた段階では、極める力を持っているヒクソンが有利になる。その意味では小川は船木と同様、打撃で活路を見い出すのが得策である。天が彼に味方すれば、ヒクソンが不意な打撃でダウンする光景が見られることもあるかもしれない。

 おそらく小川は、自分を「強い」と思ってはいても、その強さがまだ完成されたものではないことを、心のどこかで自覚しているに違いない。
 簡単に言えば、ヒクソンレベルの完璧な勝ちパターンをまだ確立できてはいない。
 その状態で彼と戦わねばならないという今の状況に対して、内心かなりナーバスになってもいるだろう。しかしここで勝負に出なければ、彼は「橋本真也に勝った男」という以上の実績を残せないまま、選手生命を終えねばならなくなる。もちろん、「猪木超え」もできない。「世間」の壁を打ち破ることも叶わないだろう。

 その意味では、小川に必要なものは、技術ではなく「意思」である。
 見ている夢の大きさでは、自分はヒクソンに負けはしない。そうした「気迫」さえ見せられたなら、試合の結果にかかわらず何かを伝えることはできる。批判してきたプロレスマスコミも、彼を「プロレスラー」として認めるだろう。両者がため込んできたものが多い分、どちらにせよ、オール・オア・ナッシングの戦いになるはずだが……。

 小川が「プロレスラー」であるということが、すべてのカギであるかもしれない。

投稿者 長沼敬憲 : 07:40 | コメント (0)

2002年08月18日

小川直也はなぜ「ワガママ」と言われるのか?

 大会前からゴタゴタ続き、前評判の恐ろしく悪かったUFO主宰の格闘技イベント「レジェンド」(2002年8月8日・東京ドーム)が、その悪評を覆えせないままに幕を降ろした。

 UFO(世界格闘技連合)は、ご存じのようにアントニオ猪木の主宰する実態不明の(としか言いようのない)格闘技団体だが、実際の運営を取り仕切っているのは大手芸能プロダクションの社長・川村龍夫氏という人物であるようだ。総合格闘技史上初となった日本テレビの生中継には、同プロに所属するタレントたちが総動員され、リングアナをやったり、国家斉唱したり、コメンテーターを務めたりしていた。

 芸能プロダクションとしての実績はともかく、格闘技のイベント運営については、どうしようもなく素人の集団、というのが大方の見方だろう。どうやら誰が実務上の責任者なのか、それすらハッキリしないまま、見切り発車で進行していったようだ。

 その結果、ドームの格闘技イベント史上最低という、3万に満たない観客動員数。ゴールデンタイムでの視聴率も、平均10パーセントほど。
 まあ、このあたりの批判をすることはページの趣旨ではないが、半ば思いつきに近い形でイベントを立ち上げ、美味しい汁だけ吸おうとしても、どこかに歪みが出てくるのは当然の話。今回の場合は、その泥を振り払える裏方がいなかった分だけ、歪みはすべて選手たちの側に降りかかってしまった。主催者側は反論するかもしれないが、結局、選手たちを食い物にして、利用しただけで終わったのである。

 こうした情けないことだらけのイベントの象徴とも言えるのが、「格闘技世界一決定戦」と銘打たれた、メインの小川直也×マット・ガファリ戦だろう。
 ガファリは、アトランタ五輪の決勝であの“ロシアの英雄”アレキサンダー・カレリンと互角に渡り合った実績を持つ、米アマチュアレスリング界の大物。しかし、それは過去の話で、すでに40を迎える当人のゴムマリのように肥大した腹を見れば、現役で戦えるだけの準備が不足していたのは明らかな話。ガファリはそうした戦前の予想を裏切ることもなく、パンチ一発であっさりとTKO負けとなってしまった。

 こんな相手をメインに据えざるをえなかったのは、小川が最後までゴネたからだという話がある。小川に対し辛口批判を繰り返す「週刊ゴング」誌によると、同大会にも上がった「プライド」ヘビー級王者アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとの一戦も打診されたが、彼が難色を示し、実現に至らなかったのだという。

 しかし、考えてみてほしい。大会自体、相当不純な動機でスタートしている。
 小川自身のモチベーションが上がりようのない状況で、彼のいう「世間」から見たらまだ無名の存在である(しかし強い)ノゲイラと戦えと言われても、すんなりイエスと言えるはずがない。「戦ってくれ」と言うくらいなら誰でもできるが、戦う当人からすれば、それで負けてすべてを失うのは自分なのである。

 小川の中には、彼らに使われるだけ使われ、ボロボロにされて、それで名も残らないような結果しか得られなかったら、結局それは犬死だ、という意識がおそらくあったに違いない。しかも彼らは「責任」を取らない。次のヒーローを探して、同じことを繰り返す。小川は彼らに対して、かなり敏感に距離を取っている。

 なかにはそんな距離など取らず、師匠である猪木の「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」の言葉通り、どんどん戦えばいいではないか、と思う人も多いかもしれない。
 しかし多少弁護するなら、彼は一ファイターとしての成功を求めているわけでは必ずしもない。そうではなく、自分が目指しているものは、「世間」にプロレス(そこには格闘技も含まれる)を認知させること、サッカーや野球くらいのレベルにまでジャンルとしての価値を底上げさせることであると、さまざまな場で語っている。

 彼はその「目的」のためにリングに上がり、時にはテレビのドラマやバラエティーへ出演し、自らが広告塔のごとくふるまっているのである。
 そうストレートに理解すれば、彼の言動はさほどわかりにくいものではなく、むしろ一貫していることが見えてくるはずなのだが、いかがだろうか?

 要するに、それが師匠であるアントニオ猪木の意思を継承し、そして乗り越える唯一の道なのである。ただ強豪に勝ったところで、それは世間からは見えない枠のなかで、ひとつの結果を出しているにすぎない。その結果じたい価値あるものかもしれないが、それでは猪木は超えられない。ノゲイラに勝ったところで、まったく動かないものがある、それが世間なのである。小川はその世間を相手にしている。

 ジャンルという枠のなかでしか発想のできない人にはそれが見えない、だから彼のことが、単なるワガママであるように映ってしまうのである。
 つまり、一般の格闘技ファンからすれば、ただ単純に夢のカードを見たい、誰がいちばん強いのか知りたいという欲求があるのかもしれないが、当のファイターたちがそういう欲求だけで戦っているわけではないということだ。

 剣豪・宮本武蔵も生涯60余度の戦いをしたと言われているが(彼自身がそう書き残しているが)、後世に広く知られているのは佐々木小次郎との一戦のみである。小川に言わせれば、ファンやプロモーターのニーズのままに戦うだけ戦ったところで、それは時が過ぎれば熱も冷め、忘れ去られてしまうものでしかない。

 もちろん、当人が戦いたいと思うなら気にする類のことではないが、先にも書いたように、小川はその戦いを柔道で経験し、しかも一時代を築いた。しかし、後世に残っているのは「バスセロナ五輪での期待外れの銀メダル」、である。
 彼に人として感情があるのなら、同じことを繰り返そうと思うわけはない。むしろ、それを乗り越えるにはどうすればいいかと、自らに問うだろう。要するに彼は、「世間」という化け物と戦っているのである。自らのトラウマを払拭するその戦いの舞台として、「プロレス」というジャンルを選んだのである。

 いまこの小川とヒクソン・グレイシーとの一戦が、一部で取り沙汰されている。
 この一戦が実現すれば、桜庭和志とホイス・グレイシーの一戦と並んで、「後世に残る一戦」となる可能性は十分にある。もちろん、小川の評価もこのとき確定する。いま彼がどんな批判をされていようと、すべてが決まるのはこの一戦なのである。格闘家の誰もがこのような巡り合わせを体験できるわけでないことを思い合わせれば、彼の味わっている特異な「立場」というものが見えてくるだろう。

 果たして小川は、この「勝負」に勝てるだろうか? 同時代の誰もが果たせないままでいる「猪木超え」を、成し遂げることは可能だろうか? 
 現時点では、試合の実現も含めて、かなり微妙だが、少なくともその可能性に関しては他のレスラー・格闘家よりも大きなものを持っている。小川自身、何とはなしにそれを感じているからこそ、逆に「臆病」にもなり、ついつい二の足を踏んでしまうのではないか? そうした状況も含め、彼のトラウマもチラチラと見え隠れする。

 彼の「臆病さ」をどう評価するかは、もう少し時間が必要なはずだ。彼が乗り越えようとしている一線は、目の前の敵以上に大きいのである。

投稿者 長沼敬憲 : 07:47 | コメント (0)

2002年07月04日

田村潔司に見る「自己プロデュース」の難しさ

 一般への知名度はまだ少ないが、格闘技界には田村潔司という才能溢れる選手がいる。 ヒクソン・グレイシーに敗れた船木誠勝の後輩、そしてホイス・グレイシーに勝った桜庭和志の先輩にあたり、彼自身はヘンゾ・グレイシーに勝っている。

 こんなグレイシーの名を並べてもピンと来ない読者もいるかもしれないが、ブラジル出身の彼ら一族は、90年代以降、日本伝来の柔術を武器に頭角を現わし、こと日本の格闘技界にとっては黒船のような存在として脅威を与え続けてきた。
 ヒクソンは船木らの先輩・高田延彦を2度にわたり連破し、ホイスはアメリカの金網マッチで無敗を誇った。ヘンゾも、誰もが知っている戦積こそ少ないが、グレイシー一のテクニシャンとして、確固たる地位を築いてきたファイターである。

 高田が敗れて以来、こと彼らが所属していた格闘技系プロレス団体「UWF」出身のレスラーたちは、打倒グレイシーを意識し、メディアもファンもそれを支持した。そして、全体の気運が盛り上がることで、断続的にグレイシー×UWFのカードが組まれはじめた。その中のキーマンとして田村もラインアップされていたのである。
 グレイシー×UWFの一連の戦いは、1999年から2000年夏にかけて、大まかに次の6戦が語り継がれている。
 
 ○桜庭和志(レフェリーストップ)ホイラー・グレイシー×
 ○ホイス・グレイシー(判定)高田延彦×
 ○田村潔司(判定)ヘンゾ・グレイシー×
 ○桜庭和志(TKO)ホイス・グレイシー×
 ○ヒクソン・グレイシー(レフェリーストップ)船木誠勝×
 ○桜庭和志(レフェリーストップ)ヘンゾ・グレイシー×

 この時点ではそれぞれ所属する団体なども異なり、カードが決定した経緯もバラバラ。にもかかわらず、それがひとつの数珠つなぎのドラマのようと化したあたり、何やら因縁めいており、時代に後押された妙なリアリティを感じさせる。 
 しかもさらに因縁めいているのは、船木、田村、桜庭の生年がみな1969年にあるということ。そのくせ三者は中卒、高卒、大学中退とキャリアが少しずつスライドしており、それぞれ似て非なる人生を歩んでいる。こと自ら団体を立ち上げた船木、先輩高田の設立した道場に所属している桜庭と比べ、田村の位置は最も微妙だ。

 ヘンゾと戦った当時の田村は、やはり先輩にあたる前田日明が主宰する「リングス」のトップ選手として活躍していた。ある意味、最も輝いていた時期であったと言えるかもしれないが、彼はリングスと契約を交していながら、自らジム(U-FILE-CAMP)を設立し、あくまでその所属選手としての立場を貫いていた。

 プロデュースする側の前田としては、非常に扱いにくい存在だったに違いない。
 しかし今にして思うと、リングスで戦っていた時期の田村は、デビュー時から一歩一歩階段を上がり、ヘンゾとの一戦も彼自身の勢いがピークになったところで図らずもマッチメークが実現し、判定ながら劇的な勝利を飾ることができた。また90キロ弱の軽量ながら同団体の無差別級王者に輝くなど、名実ともエースの座に君臨している。

 こうした彼の成功の背景には、明らかにプロデューサー前田の才腕が見え隠れする。前田には選手の才能を見抜き、引き出す、先天的な感性があるからだ。
 しかし、ピークのあとには当然、下降期もあるだろう。ヘンゾ戦以後、徐々に歴戦の疲れが見えはじめていた田村は、結果としてリングスを離脱。いろいろ考えはあったにせよ、恩ある団体を活動休止に追い込む大きな要因を作ってしまった。

 このあたりの是非については、この稿のテーマではない。
 前フリが長すぎたかもしれないが、ここで筆者は先般行われた「プライド21」(2002年6月23日・さいたまスーパーアリーナ)での田村の敗戦について感想を書こうとしている。70キロもの体重差のある元NFLプレイヤー、ボブ・サップにわずか11秒でTKO負け。たえずファンからの期待に応え、カリスマとすら言われてきた男にしては、あまりにみじめな結果である。

 そもそもこんな無謀なマッチメークを確たる勝算もなしに引き受けたことも、いや、さかのぼるなら、「プライド」初登場となった前大会でいきなりミドル級王者ヴァンダレイ・シウバとタイトルマッチで対戦、十分らしさを発揮できぬままにKO負けしたこと、それ以前に1年近くものブランクがありながらそんなオファーを受けてしまったことも、ハッキリ言って彼が選択したことのすべてが裏目に出てしまっている。

 べつに前田のもとを離れたこと自体を、あれこれ非難しているわけではない。 
 筆者が言いたいのは、自己プロデュースの難しさである。田村は確かに才能ある選手だし、若手育成などを念頭に置いたジム経営にも十分力を尽くしているだろう。しかし現在の彼にプロデュース感覚を持ったアドバイサーがいるとは思えない。

 すべてを自分の意思で切り開いてきた男も、「プライド」のように巨大な商業主義を内包したイベントの前には、いとも簡単に飲み込まれてしまう。
 シウバとのタイトルマッチにしても、田村をこれから育て上げ、スターにしていこうという発想は感じられない。その時点で最も話題になるという判断で彼に白羽の矢が立ち、さして先々のビジョンも描かれぬまま、見切り発車で決定された感がある。「プライド」には「プライド」の思惑がある以上、要はこんなオファーに乗ってしまった田村に問題がある。サップとの一戦にしても、話題作り以外の何物でもないではないか。
 
 報道などを見る限り、おそらく田村は、自分自身で交渉の場についたのだろう。
 選手にはヘンな意地があるから、結果として弱みを見せられず、時に貧乏クジを引いたりもする。そうしたケースを避けるためにも、そこそこ名のある選手なら最低限マネージャーの存在は必要。すでにいるというのなら、選手以上に彼のクオリティーを上げる努力が問われてくる。「プライド」のようなマッチメーク本位のイベントが大きな力を持っている以上、選手たちの側に賢さが求められている。

 前田というプロデューサーと距離を置いてしまった田村は、この当り前とも言えるカラクリに気づけない限り、なかなか再起は難しいだろう。
 そもそも人はうまくいかない時、往々にして自分の才能のせいにしてしまう傾向にあるが、そうではないところに多くの原因が隠されている。ごく当り前に言えば、自分以外の存在によって自分は作られている。自己プロデュースに最も長けた存在として小川直也の名を挙げたら、このあたりが理解できるだろうか? 彼が師であるアントニオ猪木を頼っていないのは、そうした感覚ゆえのことなのである。

投稿者 長沼敬憲 : 07:57 | コメント (0)

2001年02月01日

最近注目のシビル・アビディについて

 おなじ格闘技でも立ち技(キックやパンチ)のみに限定することで面白さを生みだし、大きな人気を集めているのが、日本で生まれたK-1である。
 これも90年代に生まれたという意味で、この「融合」の時代のひとつの象徴とも言えるわけだが、K-1の成功は、創設者の石井和義・正道会館館長がそうした時代性を肌で理解していたからこそ得られたのだと言うことができる。
 具体的に言うなら、K-1の場合、その母体は日本の空手である。
 それに対し、融合の対象となったのは、主にキックボクシング。どちらもおなじ立ち技系格闘技で、はた目には共通点が多いように見えるが、実際にはルールの面でいくつもの相違点が横たわっている。

 ……そこで石井館長は、K-1をスタートさせるにあたって何を考えたか? 
 というと、自分たちの空手に不利なルール設定を行った。フルコンタクトの空手にはない、グローブによる顔面攻撃を受け入れたわけである。他にも、空手家ないし日本人選手にはいくつか「不利」な点が設けられているが(ここでは省略)、そうした自己犠牲的な、まさに日本人らしい発想によって、K-1は「融合」という時代の波にダイレクトに乗ることができた。そして、その逆境を乗り越えてK-1王者となったのが、「青い目の空手家」として愛された、故アンディ・フグだったわけである。

 K-1では、アンディのほかにも、キックボクシング系のピーター・アーツ、アーネスト・ホースト、ボクシング系のマイク・ベルナルドと、幾人ものスター選手を輩出させてきた。最近では、極真世界王者となったフランシスコ・フィリオや、ボクシング出身のジェロム・レ・バンナといった猛者も台頭してきているが、なかでも最もホットな話題を集めているのが、シビル・アビディというフランス人ボクサーである。2000年のK-1グランプリでの活躍は、彼の人気に火をつけたと言ってもいい。

 アビディの魅力や強さの秘密について、筆者なりの感想をつづっていこう。
 彼は決して大柄ではなく、むしろK-1選手のなかではスリムな部類に入る選手である。また体型もそれほどビルドアップされてはいないが、動きが豹や狼のように敏捷で、しかもやわらかい。要するにナチュラルなのである。素質だけでも十分に強さを発揮できる、その意味で天才肌のファイターと言ってもいい。少々ほめすぎと思われるかもしれないが、彼の戦いぶりを見た人なら、おそらく同意できるはずだろう。

 まあ、ここまでは、マスコミなどでも比較的よく語られていることではある。
 では筆者は、彼に対して他にどんな印象を持っているのか? ……じつは、筆者が彼の凄さを感知することができたのは、リングの上ではなく、リングを離れた、ふだん着のすがたを見たときなのである。
 一言でいうなら、物凄くリラックスしている。武道のことばでいうと、「脱力」が十分にできている。武道の達人などでも、腕のある人ほどふだんは殺気の感じられない、ゆるやかな表情をしているが、その印象に近いものがある。しかも、20代前半でこうした「極意」を身につけているのだから、末恐るべし、というところか。

 どうやら雑誌のインタビューなどによると、彼はもともとかなりの不良少年で、荒くれ者の多い郷里のマルセイユでは、相当に暴れた過去があるようだ。
 将来の進路を選ぶときも、「ファイターかマフィアか」で迷ったというほどだから、おそらくそうした危険な環境のなかで生き延び、勝ち上がっていくことで、持って生まれたファイターとしての資質を、無意識に養っていった。……単純にそう言いたいところだが、誰もが彼のような「脱力」の感覚まで体得できるわけではない。

 よほどの修羅場をかいくぐっても、人には自分を守ろうという意識が働くため、なかなか「力を抜く」ことはできない。むしろ、ガチガチに力んでしまうほうが普通である。しかしそうしたファイターは、往々にして、もろさや弱さを持っている。それを筋肉やテクニックで補おうという発想に向かってしまうのである。
 その意味で、彼がどうやってあの「ゆるやかな表情」を手に入れたのか? 天性のものなのか、何か転機があったのか? ……詳しい経緯はわからないが、仮に筆者が取材する機会があるとしたら、興味の焦点はそこにある。この「脱力」の感覚は、筋力やテクニックなどと異なり、彼が生涯にわたって活用していけるものだからである。

 すでにお気づきの人もいるかもしれないが、アビディの「脱力」ぶりは、日本格闘技界の「救世主」といわれる、桜庭和志のそれと重なり合う面がある。
 桜庭は、アビディのような不良少年ではなかったようだが、やはりおなじ感覚を手にしている。つまり、多くの人はまず力を入れることで何かを身につけようとするが、彼らのようなタイプは、まず抜くことからはじめる。だから、強さを発揮できるのである。

 じつは、「脱力」をキーワードとした場合、筆者の脳裏には、もうひとりのある大物格闘家のすがたが思い浮かんでくる。……意外と思われるかもしれないが、グレコローマン・レスリング130キロ級で五輪3連覇、前田日明の「引退試合」の相手ともなった、ロシアの国民的英雄アレキサンダー・カレリンである。

 カレリンは、ハラの大国ロシアの生んだ芸術品とも言える存在だが、190センチ、130キロというその巨体は、一見すると筋肉の塊のように思われながら、じつはモチのようなやわらさが感じられる。といって、もちろんプヨンとしているわけでもない。やはり、非常にナチュラルなのである。……前田との一戦や五輪での試合を見るかぎり、筆者には、そんなイメージが湧いてくるのである。

 しかもカレリンは、試合の前などにユラユラ身体を揺らすことで、ごく自然にこわばりをほどき、「脱力」させている。
 そもそも、上体の力が最も必要とされるグレコローマンのスタイルでは、力の使い方が勝敗の鍵となってくると言われている。つまり、必要なときに瞬時に力を入れ、それ以外のときはスッと抜いておく。……口でいうのは簡単だが、試合中に「抜いている状態」でいられるのは、なかなか難しいはずである。カレリンの強さは、恵まれた体格だけでなく、そうした能力にあると思われるのである。

 つまり、ひるがえって考えるなら、我々がアビディのファイトに驚嘆し、拍手を贈るのは、彼がただ単に勇敢だからではない。その動きがナチュラルで、美しいからである。そしてその美しさは、「脱力」ができてはじめて得られるものである。天才と言ってしまえばそれまでだが、彼もまた、そうした天才のひとりと言えるはずだろう。まあ、まだまだ荒削りであり、それが魅力ともなっている段階にいるわけだが……。

 けっきょく去年のK-1は、彗星のごとく現われたアビディが、旧世代の天才タイプであったピーター・アーツを連破することで、何か新しい才能の台頭を予感させた一年だったと言える。そして、おそらく今年は、その傾向に拍車がかかってくるだろう。とくに、彼がまったくタイプの異なる、長嶋茂雄に対する王貞治的なファイターであるホーストと戦うことで、どんな化学反応が見られるか……、そこが面白さの鍵となってくるはずだ。ホーストが彼の壁となりえることも、十分考えられるだろう。

 ……なかなか勝てない日本人のなかに、「アビディ」が現われることはあるだろうか?らつ腕プロデューサーとしてK-1を築き上げてきた石井氏も、こと選手の育成に関しては、新しい発想が求められているのかもしれない。

投稿者 長沼敬憲 : 10:40 | コメント (0)

ロシア人とブラジル人の身体感覚

  ブラジルと並んで注目すべきなのが、ロシアという国だが、まだまだ彼らの真価というものは、一般には十分に認識されていないように思われる。
 格闘技のジャンルで言うと、ロシアとのパイプが最も強いのは、前田日明が主宰する「リングス」という団体である。リングスは、リングスネットワークの名のもとに世界各国に現在7つの支部があり、そのなかでもロシアは創設時より深い関わりを持っている。優秀なロシア人を見るには、リングスが最適なのである。

 しかし、リングスが創設された当初、この国は未曾有の混乱に巻き込まれていたことを、理解しておく必要があるだろう。旧ソ連崩壊である。百年に一度あるかどうかという体制の変革に、むろん、格闘技アスリートたち(レスリング、サンボ、柔道など)も巻き込まれた。アマチュアで戦っていた彼らが、リングスというプロフェッショナルの場に参集しはじめたのも、こうした世情と無縁ではなかったわけである。

 しかも彼らは、決して恵まれたトレーニング環境を確保できているわけではない。食うためのビジネスに身を投じながら、という選手も多いと聞く。
 となると、技術交流が急速に進みつつある格闘技の潮流のなかでは、どうしても後手後手に回ってしまう。ここ数年、ロシア勢は、日本人選手とはまた違った状況のなかで、苦戦を強いられてきたわけである。

 さて、格闘技界全体を見渡すと、90年代に入り徐々に人気が高まりつつあるなか、マーケットにおいては主に日本とアメリカ、選手ではブラジル、アメリカ、次いでオランダ、ロシア、フランス、そして日本……といった国々が中心をなしているが、こと選手の身体能力に関して言うなら、ブラジルが頭ひとつ抜け出していた感がある。
 要するに、本来なら負けず劣らずのポテンシャルを持っているはずのロシアは、「眠れる獅子」といった現状に甘んじてきたと言っていい。

 リングスでも幾度かブラジル対ロシアの対戦が組まれてきたが、いかんせん、コンディションが違う。加えて、ロシアのトップと目されるヴォルク・ハンやアンドレイ・コピロフといった面々は、すでに体力的なピークを過ぎている。彼らに代わる若い人材の出現が最も求められる状況にあったわけだが……、そこににわかに現われた逸材こそ、ここで取り上げる、エメリヤーエンコ・ヒョードルなのである。

 リングス年に一度のビッグイベントである「KING OF KINGS」(略してKOK)トーナメント・予選Bブロック(2000年12月23日・大阪)に出場した彼は、これまたブラジルの次代を担う逸材と評されるヒカルド・アローナと対戦した。アローナは、前項に登場したマリオ・スペーヒー率いるブラジルの格闘家集団「トップ・チーム」に所属するバリバリの有望株であり、言ってみれば、ロシアとブラジルの逸材同士の対戦である。

 ……で、結果はというと、5分2ラウンド+延長5分という時間制限をフルに戦い抜いた末、ほぼ互角の展開ながら、厘差の判定でヒョードルの勝利。予選突破は確実と見られていたアローナは、ここでまさかの敗退。判定を分けたのは、おそらく彼の剽悍なタックルをヒョードルがガッシリと受け止め、容易に倒されなかったこと、倒されても首を確実に押さえ、その後の展開をなかなか許さなかったことが挙げられるだろう。

 ともかく、ブラジルのトップと五分に渡り合えるロシア人が、ついに現われたわけである。彼につづく人材が2人、3人と出てくれば、ブラジルの一人勝ちとも言える状況も、しだいに化学変化を起こすことになるだろう(ちなみにヒョードルは、2回戦で日本の高坂剛と対戦。開始直後のバッティングで眉の上を切り、おしくもドクターストップとなってしまった。しかし、今後に期待大である)。

 ここで、ブラジル人とロシア人の身体感覚の違いについて論じておこう。
 かなり大ざっぱな言い方になるが、人間の身体感覚には、ハラ(重心)と軸(体軸)という、大きくふたつの機能がある。
 ハラの発達している国は、重心が安定しているため、基本的に定住型で、どっしりした包容力がある。一方、軸の発達している国は、体幹を貫くそのタテ線の感覚が、行動的、攻撃的で、冒険心に富んだ性質を生み出している(このふたつの違いについては、現在書き進めている「人が「脳」を超える時代」(*「脳を超えてハラで生きる」のこと)のなかで詳しく論じている)。

 いずれにしても、この分類に基づくなら、西洋は軸的、東洋はハラ的という言い方ができる。あるいは、土着的な、アニミズム系の民族の間にはハラ文化が、それを侵略した遊牧民や一神教信仰の国々には、軸文化が優位に形成されている。
 その意味では、土着の要素と西洋的な要素とが混在しているブラジルという国は、おそらくそれが十分に混じり切っていないカオスな部分に、その潜在能力の発揮させやすい土壌があると言えるわけだが、それでも大まかに言うなら、サッカーの盛んな国柄を見てもわかるとおり、軸的な空間移動がより優位な国である。ここで取り上げたヒカルド・アローナも、軸の力が非常に秀でた選手と思われるのである。

 一方、西洋の裏庭と言われ、広大なシベリアの凍土を背後に擁するロシアも、コサック騎兵の伝統に見られるような軸的な移動感覚と、西洋の合理主義が通用しないハラ的な風土とが混在しており、これまた強い人間を生み出す条件が揃っている。
 しかし、これまた大まかに言うなら、ロシアは軸よりもハラの発達した国である。少なくともヨーロッパの国々からは、そのように見られ、恐れられてきた。ナポレオンもヒトラーも、その軸的に卓越した軍事能力によってヨーロッパを手中に収めながら、最後はロシアのハラの巨大さにスッポリと呑み込まれ、没落への道へ転落していくわけである。
 その意味では、ブラジルのアローナを軸系とするなら、ロシアのヒョードルは明らかにハラ系の選手と言えるだろう。

 要するに、ロシア対ブラジルは、ハラ対軸の構図によって理解することができる。
 剽悍に前へ前へと攻め込み、闘争心を全面に押し出した戦いをするアローナ。そして、その攻撃をがっしりと受け止め、淡々とした表情で切り返すヒョードル。両者の体型も、その文化の違いを表わすように、上腕の盛り上がった筋肉質のアローナに対し、ヒョードルは色白で少しポッテリとした、よりナチュラルな体つきをしている。わずか15分ほどの戦いのなかで、両国の歴史がかいま見れたと言っても、決して言いすぎではない。格闘技を見る面白さは、むしろそこにあると言ってもはずである。

 ちなみに日本は、ハラ的な感性をベースにした国柄でありながら、軸的な文化に滅ぼされず、ハラ優位のままに今日まで至っている、きわめて希有な国である(日本が不思議な国と言われる原因も、ここにある)。そして、そうした身体感覚を宿した日本人の目から見れば、じつは軸的な要素の強いブラジルよりも、ハラ的なロシアに対して親近感が湧く場合が多い。おなじハラ感覚でも、ロシア人のハラはスケール感が大きく(その分、粗雑で、荒削りだが)、それが憧れの要因にもつながっているのである。

 その意味でロシアの「復活」は、歓迎すべき展開と言うことができる。日本の格闘技マーケットが彼らの才能を発揮させる場でありつづけるかぎり、身体レベルでの交流は、今後さらに継続されていくだろう。とくにヒョードルは、要注意である。さらに磨かれた強いハラを、次の来日の時にも見せてほしいと願っている。

投稿者 長沼敬憲 : 09:44 | コメント (0)

船木は、なぜヒクソンに敗れたのか?

 ご存じのように、ブラジルには、W杯クラスのサッカープレーヤーたちをはじめ、極真空手の世界王者となったフランシスコ・フィリオ、あるいはF-1の故アイルトン・セナなど、数々のスポーツアスリート、格闘家を生み出す土壌がある。
 本編で取り上げる格闘家ヒクソン・グレイシーも、そうしたトップのひとりであり、柔術やフリーファイト(ブラジルではバーリ・トゥードと呼ばれる)の試合において、「400戦以上無敗」という信じられない戦積を残してきたと言われている。

 このブラジルに柔術を伝えたのは、「柔道」を創設した嘉納治五郎の弟子で、前田光世(通称、コンデ・コマ)という人物である。つまり、もともと高い身体能力を持っていたブラジル人のもとに、日本の武道の技術がもたらされた。その両国の伝統の「合作」というべき存在が、伝来から70年余の時を経て現われた、ヒクソンという格闘家と考えてもいい。これだけでも、彼の強さの本質が、幾分か想像できるだろう。

 一方、ヒクソンと対戦した船木は、その武道の国・日本で一時代を築いてきた格闘家である。しかも、人気がある。そのため、1億とも言われる高額なファイトマネーを要求するヒクソンの対戦相手として、白羽の矢が立ったわけである。

 ただ、ここで気づかねばならないのは、日本には、明治時代以来、欧米の文化を取り入れることで自分たちの武道的な伝統を喪失させてきたという過程がある、ということである。筆者に言わせれば、そうした文化の「喪失=取り込み」の構造こそ日本の歴史の特質であり、それをマイナスとして受け取る必要は必ずしもないと言えるわけだが、いずれにせよ、いまの日本人は昔より相対的に「弱く」なっている。もちろん船木も、そうした歴史の先端に位置している以上、少なからずその影響は受けている。

 言ってみれば、彼とヒクソンの試合を見ることで、間接的ながら、いまと昔の日本人の「強さ」の差というものが、否応なく浮き彫りとなってくる。……両者の対戦が決まって以降、筆者はそのようなイメージを抱いていたわけである。

 さて、当日の試合(2000年5月26日・東京ドーム)だが、メインの船木×ヒクソン戦のほかにも、なかなか興味深いカードが組まれていた。少々マニアックになってしまうが、筆者が注目していたのは、第1試合の近藤有己×サウロ・ヒベイロ、第5試合の金原弘光×マリオ・スペーヒーの2試合である。ともに日本人対ブラジル人という組み合わせであり、おなじ対決図式にあるメインの試合の展開を読む上でも、格好の目安になると考えられたからだ。

 まず、第1試合の近藤×ヒベイロ戦について、簡単に触れさせてもらおう。
 じつはこの両者、ともに船木とヒクソンの一番弟子同士である。その意味ではなかなかニクイ組み合わせとも言えるが、結果はというと、試合開始早々、近藤の打撃がヒットし、柔術の猛者として知られるヒベイロに何もさせぬまま、秒殺のTKO勝ち。メインで戦う師匠・船木に対して格好のエールとなったと多くの人は感じたかもしれないが……、じつはこのとき、筆者の脳裏にはまったく逆の思いが浮かんだ。

 すなわち、近藤の勝ち方のパターンは、筆者のイメージしていた船木の勝機(それも数少ない)とそっくり重なっていた。もちろん、近藤の責任?というわけではないが、こうした試合を見れば、ヒクソンの意識もふだん以上に警戒する。
 そもそも、ひとつの興行でおなじパターンが2度繰り返されるとは考えにくい。
 つまり、まったく皮肉な結果ではあるが、結果的に近藤は、船木の勝ちの目を摘んでしまった。逆にヒクソンは、愛弟子の予想外の敗戦によって、じつはより優位な位置を確保した。なにやら不思議とも言える勝負のあやに、筆者は、やはり「強者」には運も味方するのか……? と、漠然とながら思いを抱いたわけである。

 では、金原×スペーヒー戦はどうだったのか?
 ふたりとも一般の知名度こそないものの、金原は実力では船木にも劣らない若手のトップ選手であり、かたやスペーヒーも、ブラジルではヒクソンと同格の実力者とも見なされる強豪中の強豪である。メインの対戦の目安ということだけでなく、日本とブラジルの格闘家の力関係が、ここでも十分に見て取れるはずだ。
 ……と、そのような期待のもとにこの一戦を観戦したわけだが、結果を言うならば、スペーヒーの強さが非常に目立った一戦だった(3ー0でスペーヒーの判定勝ち)。金原も彼の動きに懸命に対応していたが、はた目にも実力差が感じられた。なるほど、これが現時点での日本人の「現実」なのかと、妙に納得したほどである。

 要するに、この一戦を見終えた時点で、筆者はかなり「暗い」気持ちになっていた。
 会場にやってくるまで抱いていた船木の「可能性」が、当日の試合が進行していくにつれ、ことごとく封じられてしまったからだ。……そして、結果はというと、試合開始後約11分、ヒクソンの裸締め(チョーク・スリーパー)によって、船木は失神、レフェリーストップ負け。この一戦を最後に、彼は三十一という若さで現役引退を表明したわけである。グラウンドの攻防の際に放ったパンチによって、ヒクソンの左目を負傷(骨折)させたことは、その意地の現われとも見て取れるわけだが……。

 やはりヒクソンは強かったというのが、試合後の筆者の感想である。
 こうして見ると、日本人とブラジル人の間には、まだまだ一定の実力差が潜んでいることがわかる。おそらく、いまのブラジル人は、世界有数のスポーツアスリートの資質を有していると同時に、明治のころの、わずか30数年で近代化を成し遂げ、日露戦争に勝利した日本人とも、同じくらいの身体感覚を持っていると言うことができる。100年ほど前の日本人なら、それくらいの実力があったと想像できるわけである。

 いわばわれわれは、そのころを境に、少しずつレベルを落としていった。
 しかし、ここ数年、とくにミレニアムへと近づいていく過程で、船木の次の世代にあたる選手たちのなかから、徐々に新しい強さを持った(言い換えるなら、過去の強さに「先祖返り」した)逸材が現われはじめている。
 ホイラー、ホイス、ヘンゾ、ハイアン……と、ヒクソン以外のグレイシー一族を次々と撃破した桜庭和志の存在などは、まさにその象徴だろう。

 おそらく、いまから10年後、2010年を迎えるころには、両者の差は相当に縮まり、ジャンルによっては逆転しているものも出てくるはずだ。とくに、人材が集まりやすい環境にあるサッカーなどは、相応の成果を出していると思われる。それらの「理由」については、「スポーツは『武道』である!」(「サムライ」)のなかでも多少述べているが、要するに、いまの日本にはかなり期待が持てる要素が揃っている。そしてブラジルは、先ほども触れたように、そうした「進化」のひとつの目安となりうる国なのである。

 ……世紀の境目の東京で繰り広げられたふたりの格闘家の戦いは、こうした位置付けのもと、後世に語り継がれることになるだろう。

投稿者 長沼敬憲 : 08:54 | コメント (0)