2005年03月10日
どっちの世界を?〜前田日明、船木誠勝、ふたつの「戦い」(後記)〜“弱肉強食”、“永遠の戦い”の先にあるもの
■転換期のK-1がもたらした“リングス復活”
どうやら、前田日明の「リングス」が復活する模様だ。
当初、新日本プロレスを退社した上井文彦氏の立ち上げるプロレス興行に、スーパーバイザーとして協力するとの話だったが、上井氏に協力するK-1のラインから、新たに総合格闘技の興行にも参画することになったようだ。
3月26日、さいたまスーパーアリーナ。大会名は「HERO'S」。
前田が選手のスカウトや育成、上井氏が運営を手がけるという点では前出のプロレス興行(WRESTLE-1の名称になった)と変わらないが、事実上、K-1の総合格闘技部門「K-1 ROMANEX」を引き継ぐような格好だ。
現にK-1プロデューサーの谷川貞治氏も、「K-1は立ち技最高峰を決める競技」と語り、総合格闘技からの「撤退」を表明している。
立ち技オンリーで行われてきたK-1が、総合格闘技にも進出したのは、創始者の石井和義前プロデューサーの発案によるもの。競技としての“マンネリ”をプロデューサーとしての皮膚感覚で察知した石井氏が、有力選手の反対を押し切って総合のカードを導入したのは、2002年8月8日のこと。
この時のカードが、今をときめくミルコ・クロコップの総合格闘技・デビュー戦(対藤田和之)であることを思えば、石井氏の着眼の非凡ぶりは認めるしかない。
振り返ってみると、総合格闘技の導入でK-1は確かにレベルアップした。
競技としてルールが大きく変わったわけではないし、総合の試合で実績を残せるまでになったミルコやマーク・ハントは、ともにK-1から離れてしまった。興行的なメリットがあるわけではない。
しかし、“怪物路線”などと揶揄されたボブ・サップ、曙らの起用も含めて、外部の“刺激”を効果的に取り入れていくことで、個々の選手の質は全体的にレベルアップした。筆者にはそう映る。
特に日本人トップファイター・武蔵の台頭は、この2大路線の導入が大きく関係している。“他流試合”を数多くこなし、まさに皮膚感覚で対応力を身につけていったことが、2年連続GP準優勝の要因の一つとなった。
しかし逆に言えば、一定の成果を上げた以上、K-1もしばらくは本戦を充実させる方向へと進んでいきたいところ。中量級のK-1 MAXも順調だ。といって、大晦日に「K-1Dynamite!」がある以上、総合系の選手も大事にしたい。
こうした思惑の進行する中で、上井・前田のマット界復帰・旗揚げ。谷川氏にとっても「渡りに船」だったのではないか。結果として上井氏を助けることにもなるし、前田の才能を生かす場をつくることにもなる。
■前田の“毒”はPRIDEを脅かすか?
大まかな図式で言えば、K-1の最大のライバルは、大晦日決戦を見てもわかる通り、総合格闘技イベント「PRIDE」。
といっても、総合部門に関しての実績は、“本家”のPRIDEのほうが上。
繰り返すが、その状況下に新日本プロレスを離脱した上井氏と、事実上、PRIDEによって活動休止に追い込まれた前田日明が「復活」した。そして、彼らが言ってみれば、K-1の総合部門を引き継ぐようなカタチになった。
これはただ単に、総合格闘技のビッグイベントが「PRIDE」と「HERO'S」の2つに集約されていく……というだけの話ではない。
冒頭でも触れたように、「HERO'S」はK-1の総合部門を継承していくものであっても、前田が主導していく以上、「リングス」色が必ず出てくる。というより、報道を見るかぎり、K-1側も「リングス」を復活させる意向を持っているようだ。
谷川氏の陣営はさすがに頭が切れる、と筆者は思う。
「K-1ROMANEX」では、いくら大物選手を起用し、総合格闘技イベントをうたっても、実績のある「PRIDE」の二番煎じの感は否めなかった。
しかし、「リングス」ならば、旗幟鮮明となる。前田日明の個性が全面に出てくることで、ファンは「PRIDE」と違う何かを期待するからだ。
運営形態がどのように変わっていくかは展開次第だが、順調に進んでいけば、どこかで「HERO'S」という大会名自体、「リングス」に変わってしまうかもしれない。もしかしたら上井氏もプロレス興行のほうに専念して、運営も前田が担うようになるかもしれない。もちろん、上井プロレスとK-1、K-1MAXと、出場する選手も状況によりクロスオーバーするだろう。そしてこれらの枠の中で人気と実績を得た選手が、年末の大舞台「Dynamite!」に出場する。
テレビはTBSがつく。場合によっては、「K-1JAPAN」から撤退した日本テレビでも、何らかの別企画が進行しているかもしれない。
これはなかなか、PRIDEにとっても手強い相手だ。“お祭り”的要素が批判されてきたここ数年のK-1に、前田という“毒”が加わる。大晦日の「Dynamite!」が内容的にも充実してくると、この先、数字でも上回るのが難しくなるかもしれない。
■リングスは“真剣勝負”でなかった?
と、このあたりまでは、ある意味で表面的な未来予測。
これだけの話だと、PRIDEとHERO'Sの対立図式は、ただの興行戦争に前田の“怨念”が加わっただけのものになってしまう。
筆者の目には、もう少し面白いものが見えている。
それはいまだ誤解の多い前田日明とリングスの“謎解き”にもつながってくるし、低迷がささやかれて久しいプロレスの「復権」にも大いに関係している。おそらく、前田の目指している総合格闘技が、PRIDEの目指しているそれと似て非なるものであるということも、もっと明らかになってくるかもしれない。
格闘技マスコミの前田評、リングス評をざっと紹介しよう。「Bout Review」という格闘技サイトを運営している井田英登氏が、「ALL ABOUT」という別のウエブサイトにコラムを寄せている。まず彼は、今回の前田の「復活劇」を、
30年近くプロレス枠での活動を行って来た上井氏はともかく、前田自身は1991年のリングス旗揚げ以降、「自分のやりたいのは格闘技であって、プロレスではない」と、一回は決別を宣言したはずの身。プロレス業界に対して、複雑なルサンチマンを抱えた言動が“売り”だっただけに、(現役選手ではないとしても)プロレスサイドに復帰するというのは、ファンの側からすると若干理解に苦しむ行為ではある。
と前置きした上で、「リングス」について次のように語っている。
そもそもリングス時代も、前田はプロレス界から一歩も出ては居ないという考え方もできるだろう。彼のプロイズムは競技に徹した格闘技というより、観客にどれだけの興奮と感動を持たせて帰らせるか、という所を大事にしており、彼のリングスでの試合も、厳密な意味での“競技”ではなかったと指摘する声も多い。
こうした指摘は、筆者もこれまで何度か目にしてきた。確かに、いわゆる格闘技マスコミ・ファンの捉える格闘技観から見れば、「リングス」のルールは“真剣勝負”としての要素が薄く映る。だから当然、「リングス」に対する次のような見方も成り立ってくる。
総合格闘技界にあって「世界標準スタイル」となったヴァーリトゥードルールに、最後まで前田リングスは抵抗し続けた。ロープエスケープを駆使した旧リングスルールの娯楽性や、顔面へのグラウンドパンチを排したKOKルールなど、よく言えばオリジナリティ溢れるルールを堅持し、「大勢に流される」ことを嫌ったプロデューサー=前田だが、PRIDEや修斗でVTルールのスリリングな攻防を見慣れたファンからは、リングス=「ぬるい」団体というレッテルを貼られた。
■強さとは「対応力」である
こうした「レッテル」の背景は、よく言われているように、「グレイシー柔術」が「UWF」に勝利したことが遠因にある。
UFCにホイス・グレイシーが彗星のごとく現れ、「ヴァーリトゥード」の凄みを存分に世界に伝え、兄のヒクソンがUWFで「最強」を名乗ってきた高田延彦に2度にわたって圧勝した。このグレイシー兄弟(グレイシー柔術と言い換えてもいいが)の成し遂げた「勝利」が、「世界標準スタイル」を作り上げた。
高田は敗者としての葛藤を乗り越えて、勝者の提示した「世界標準」を受け入れた。点のイベントに過ぎなかった「PRIDE」が線になり、「世界標準」の中で強さを競い合う場ができたのは、「最強」だった高田がそれを認知したからだ。そして表現は悪いが、ヴァーリトゥードの強豪に連戦連敗することで、「世界標準」の凄みをファンに伝えた。マスコミにも伝えた。
高田はいまこの「PRIDE」の統括本部長として大会の運営に当たっている。失ったものが彼の存在を大きくし、「PRIDE」をも大きくしている。
前田は高田の先輩に当たる。同じUWFという一つの「標準」を作り上げてきた仲間である以上(というより、事実上の中心人物なのだが)、いわば間接的な「敗者」という言い方もできる。
しかし、前田はこの「敗北」を認めなかった。おそらく、根本的には今も認めていないだろう。繰り返しになるが、過去の稿で取り上げた「強さ」に関する前田の考え方をもう一度紹介しておこう。
(ルールに縛られなければ縛られないほど、「果たし合いに近い」という幻想があると思うんです、という質問に対して)それを言うんだったら、なんでアマレスラーが違うルールで勝てるの? 柔術家が勝てるの? ってなるやんけ。KOKは柔術のルールと全然違うやん。でも、その場所や競技で最高のヤツっていうのは、なにをやっても対応できるんだよ。本当の強者っていうのは。でしょ?
(「紙のプロレスRADICAL・NO25」より)
前田は「強さとは対応力である」と、様々な場で語ってきた。
ヴァーリトゥードで勝つこともその対応力の現れの一つであって、すべてではない。すべてではないのにすべてであるかのように思われているのは、それだけグレイシーの勝利(言い換えれば、UWF=高田の敗北)の衝撃が強かったからだ。衝撃的ということは、説得力があるということ。しかし、説得力があるからと言って、それだけで前田の定義が覆ってしまうわけではない。
もう一度繰り返そう。ヴァーリトゥードで勝つことも対応力の現れの一つ。
つまり、前田も私淑する編集工学研究所所長・松岡正剛氏の言葉を借りるならば、「多様であるということ」。この多様さは、日本という国の特色でもある。前田が命名者とも言われる総合格闘技は、日本で生まれたものだ。
少々わかりにくいかもしれないが、松岡氏の言葉をいくつか引用してみる。
かくして同音異義であって、一字多音の国ニッポンというものが生まれていくことになる。こうして「生」という字などは、生一本・生蕎麦のキ、一生のショウ、生活のセイ、生きるのイキ、生ビールのナマ、生まれるのウムなどと、なんともバラエティに富むことになったわけです。
しかし、歌を忘れたカナリヤをあきらめて、これを雄々しい鷹とか鷲にしようというのはもっとおかしな話です。むしろ、カナリヤならばカナリヤであること自身を知ったうえで、かつカナリヤとしての多様な歌を唄い出すべきであるような気がするのです。
(ともに「日本流〜なぜカナリヤは歌を忘れたか」より)
■「理想と現実をクロスさせる」という理想
前田の発想は、ものすごく大ざっぱに言ってしまえば、このような意味での日本流、広く言えば東洋流なのである。
一方、現在の格闘技マスコミの多くは、やはり西洋的な発想から格闘技というものを捉えている。
おそらく前田は、グレイシーの強さも実績も、その結果もたらされた衝撃も、すべて認めているし、それ自体は受け入れている。彼が受け入れていないのは、無自覚のうちに「多様さ」を否定し、見失ってしまっているこの世の中の、世界の、あるいは日本人の風潮そのものではないのかと筆者は思う。
これはべつに、それほど難しいことを言っているわけではない。
筆者がイメージするのは例えばこう言うことだ。前田はリングスを立ち上げる際に、オランダの盟友クリス・ドールマンの助力を得た。また、リングス・ロシアを立ち上げることで、新たなネットワークを生み出した。
日本人選手の絶対数の不足という現実的問題があったにせよ、発足当初から、彼は「世界」というものを意識していた。
リングスという名称自体、彼の世界観を理解する上で暗示的だ。“つながりによって成り立つ場”という認識が見えてくるからだ。
オランダ、ロシア、そして日本。これをネットワークの核にして、後年、リングス・USAやリングス・ブラジルも立ち上げた。アフリカ以外のすべての大陸に支部ができた。よく知られているように、ロシア勢のなかに現PRIDE王者のヒョードルがいた。ブラジル勢の中に元王者のノゲイラがいた。
繰り返すが、こうしたネットワークが前田日明の「世界」の核になっていたわけである。彼にとっては最もリアリティのある「世界」。観念でもなく、身体感覚でキャッチできる現在進行形の「世界」である。
ここで再び過去の稿から彼の言葉を引用する。
何度も言うように、俺が言ってるのは、理想と現実を交差する点をいかに高くするかっていうことだから。ウチのルールってさ、どのくらいの変遷があった? いつも理想と現実をクロスさせるところから始めるわけでしょ? いまだったら(ノールール形式の試合が)膠着するっていうことをファンが理解できるところまで、まだまだ行ってないし、そういう部分で選手を闘わせるよりも、こっちのルールのほうが面白いからやらせているだけの話ですよ。それがプロモーターだよ。
(「紙のプロレスRADICAL・NO25」前田日明インタビューより 文中のカッコは筆者)
これも繰り返し、前田が語ってきたことだ。理想と現実をクロスさせる……、それ自体が前田の理想であり、現実的な仕事だったわけである。
この発想に立てば、彼がなぜ最後までヴァーリトゥードに抵抗を示し、「ぬるい」とも評された一面中途半端な(ヴァーリトゥード・ルールから見れば中途半端な)KOKルールを採用したのか見えてくるはずだ。
ヴァーリトゥードが悪いわけではない。ヴァーリトゥードを採用しても、おそらくロシア勢は対応できるが、立ち技系の選手の多いオランダは対応できない。ヴァーリトゥードの発想では「対応できない=弱い」となるから、これで話は終わってしまう。しかし、前田の発想はそうではない。
「対応できない」が一転して、「一部の選手の力しか引き出せない」、という発想になる。
おわかりだろうか? 「最高のやつは、どんなルールにも対応できる」、これは彼の言う理想。しかし、現実には対応できない選手が出てくる。
ヴァーリトゥード的な発想を持てばそんな選手も切り捨てることはできるが、これでたとえばオランダの総合格闘技のレベルは引き上げられるか? むしろ衰退するのではないか? リングス・オランダはどうなる?
対応できなかった以上、衰退してもしかたない。そう言えるのは、ある意味でネットワークの外にいる「部外者」の発想。少なくとも前田のやろうとしていたことを理解できる場所=「世界」には「いない」ことになる。
■“弱肉強食”という「世界標準」とは異なるもの
言い換えるならば、ヴァーリトゥードは「弱肉強食」の発想から生まれたもの。
格闘技なのだから当たり前? では、前田日明はどうだったのか?
一見「弱肉強食」の世界に身を置いていながら、彼が試み、実践してきたのは、「この世界のすべての存在を生かすにはどうしたらいいか?」「すべての人の能力を引き出し発揮させるには、どうしたらいいか?」ということ。それが彼の想起し、理想にしたネットワークの根底にあったことが見えてくる。
「弱肉強食」に対する、強烈なアンチテーゼであることが理解できるだろうか?
格闘技だから「弱肉強食」なのではない。発想の中に「多様さ」が欠落してしまうから、一つのルールの中での勝負論だけがクローズアップされていく。「リングスは真剣勝負ではなかった」、「競技ではなかった」といったような、(おそらく前田からすれば的外れもいいところの)批判も生まれてしまう。
そして、すでにお気づきの人もいるかもしれないが、要するに前田の意識の根底には「武道」が眠っているのだということだ。
日本人の生み出した「武道」は、確かに格闘技と重なる面もある。しかし、イコールでは結べない。それがなぜかということは、前田の生き方を少し観察しただけでも明瞭に見えてくる。
ここで三たび、過去の稿から、江戸時代の剣豪・柳生但馬守の「兵法家伝書」(岩波文庫・渡辺一郎校注)の一節を引用してみる。
……様々の習(ならい)をつくして、習稽古の修行、功つもりぬれば、手足身に所作はありて心になくなり、習をはなれて習をたがわず、何事もするわざ自由也。此時は、わが心いずくにありともしれず、天魔外道もわが心をうかゞひ得ざる也。此位にいたらん為の習也。ならひ得たれば、又習はなく成る也。
(意訳)さまざまな習練を積んで、技術が身につけば、自動的に身体が動き、こころでコントロールする必要はなくなる。型を離れても型と違わない状態となり、どのような場面でも技が自由に繰り出せる。
そうなると、天魔外道のたぐいでも、自分のこころがどこにあるか読めなくなる。そのくらいの境地に至らんとするために、習練を積むのである。型を得ることで、同時に型はなくなるのである。
武道の世界でも、もちろん試合はする。そこでの勝利も求める。しかし、「兵法」の「家伝(極意)」とされているのは、「自由な動き」そのものにある。
前田の発想に置き換えれば、自らの能力を最大限に引き出した結果得られる境地(感覚)であり、そのためにこそ試合(試し合い)も存在するとなる。
ということは、どういうことか? そう、すべての選手の能力を引き出せないルールを「最強を決めるためのルール」だと固定化してしまうことは、極論すれば試合を組む意味すらないということになってしまう。
ヴァーリトゥードが悪いと言っているわけでも、それが選手の能力を引き出せないと言っているわけでもない。
前田の「理想と現実をクロスさせる」という言葉を思い出してほしい。
ネットワーク内のレベルが総体的にアップしていけば、ひとつの流れとしてKOKがさらに改良され、結果、ヴァーリトゥードが採用されることになったかもしれない。そしてそこではオランダの強豪も、オーストラリアの強豪も、イギリスの強豪も、ロシアやブラジルと同じようにしのぎを削っているかもしれない。
結果を見れば、これに似た状況は、ヒョードルやノゲイラを脅かすミルコの台頭によって、PRIDEのリングで徐々に具現化されつつある。立ち技だけだった選手が見事な対応力を見せることで、大幅なレベルアップを実現させたからだ。同じK-1出身のマーク・ハントも、このあとに続くかもしれない。
しかしこうした結果がもたらされたことは事実であっても、前田の想起する「多様さ」の過程はたどってはいない。である以上、前田は当然、この現実を受け入れてはいない。彼の反骨精神を云々するのなら、その原因はここにあると筆者は思う。性格的な問題だとか、リングスが活動休止になったからだとかそうした理解の仕方では、表面的と言われても仕方があるまい。
■日本の格闘技を支えてきた“プロレス=武道感覚”
「週刊ゴング」2005年3/2号の記事によると、前田は「普通は年を取って丸くなるというけど、俺の場合は恨みが倍加するんだ」と、上井氏に語ったのだという。
この意味を、読者はどうとらえるだろうか?
さかのぼってみれば、自らの築き上げてきたUWFが負けることで、事実上、「天下の公論」をグレイシーに奪われてしまった。そのグレイシーの延長上にPRIDEがあり、現在の「マット界」の主流がある。
どんな正論を語ろうが、実践しようが、最終的には自分自身も「敗者」のポジションに置かれてしまった現実がある。
しかしその原因は、一般の格闘技マスコミが言うような、彼のリングスがただ単に「時代遅れの試合形式」だったからでも、「前田個人のカリスマで持ってきた」からでもない。彼の反骨精神だけをクローズアップして、存在感の大きさに注目しても、その根底にある「可能性」までは見えてこない。
前田でなくとも、「そんな批判は的外れや!」……と言いたくなるのではないか?
筆者がつくづく思うのは、日本という国はやはりオバケみたいにいろいろなものを生み出す国なんだな、その多様性はまだ失われてないんだなということ。
K−1がブームになり、PRIDEも世間に認知され、プロレスは相対的に地盤沈下。そんな情勢の中で、プロレス的なものにも可能性はあるはずだという思いから「ハッスル」のようなエンターテイメント・プロレスも生まれた。
「リングス」が一部の格闘技マスコミ・ファンに「プロレス的」と批判されてきたことの本質は、言ってしまえば簡単なことなのだ。
格闘技は「弱肉強食」であり、基本的に勝者しか浮かばれない。しかし、プロレスはそうではない。敗者をも生かそうとする。
日本人は西洋経由のヴァーリトゥードを格闘技界に導入しながら、プロレス的な感覚で敗者にも勝者と変わらない視線を注いできた。懸命に戦った敗者のほうが、時として試合運びで判定勝ちしただけの勝者より評価される。日本人にとっては「当たり前」でも、これは「世界標準」ではない。
前田の「リングス」がこれから「マット界」にどんな影響を与え、化学変化を起こすことになるのかはわからない。
しかし、前田の「復活」した背後には、サムライを生み出した日本の風土、「スポーツ」を「武道」に作り替えてしまう日本人の感性が潜在している。
それは、お互いの存在をたたえ合う「スポーツマンシップ」とも異なる、最終的には「試合すらもうしなくてもいい」と思える感覚にまで向かってしまう世界。
話が大きすぎると感じるかもしれないが、わかるだろうか?
そう。それが「平和」ということ。戦いの先に永遠の戦いしか見えないのか、それとも平安が見えているのか?
前田日明の話ばかりしてきたが、読者はこの稿(「どっちの世界を?」)が、前田と船木誠勝の意識の対比から始まったことを覚えているだろうか?
船木はいま、リングを離れ、アクション俳優の道を歩んでいる。マット界からは半ば離れた。しかし、有能な後継者にも恵まれている。彼の追求した「原理主義」の道は、桜庭以来の“救世主”とも期待される近藤有己に引き継がれ、淡々と追求されているからだ。
極真空手の全日本王者だった数見肇、K-1の舞台で活躍する“トリッキーファイター”須藤元気……、彼らもまた「永遠の戦い」の先のものを見ようとしている。勝つこと以上のことを求めようとする欲張りな若者たち。まだブラジル人にもロシア人にも完全勝利できていないのに。
どっちの世界を? そう。どっちの世界からでも、いまを突き抜けた世界は現れる。その世界を想起できるか否かの問題なのである。
2005年02月28日
どっちの世界を?〜前田日明、船木誠勝、ふたつの「戦い」(5)
さて、ここでふたたび現代へと戻り、前田と船木にまつわる話を再開させよう。
前田は、これまでの内容を見てわかるとおり、明らかに嘉納治五郎(=柔道)の「型」を繰り返している。現に彼自身、インタビューなどで嘉納を意識する発言をしており、そうした意味で、「現実主義」路線をひた走っていると言っていい。
もちろん、歴史というものは、ただの繰り返しではありえない。
つまり彼は、柔道のような「世界スポーツ」を、リングスという競技を通じて築き上げようとしている反面、「現実主義」とはあくまで根底に「原理」あってこそ価値があるのだと、文字どおり、現実的に考えることのできる感性を持っている。
なぜなら柔道には、スポーツ化することで、武道本来の「実戦性」を見失ってしまったのではないかという批判がある。例えば近年の「グレイシー柔術」 の台頭などは、「武道がスポーツに呑み込まれてしまった」現実に対する、まさにアンチテーゼというわけである。
(ルールに縛られなければ縛られないほど、「果たし合いに近い」という幻想があると思うんです、という質問に対して)それを言うんだったら、なんでアマレスラーが違うルールで勝てるの? 柔術家が勝てるの? ってなるやんけ。KOK(いわゆる現行のリングス・ルールの通称)は柔術のルールと全然違うやん。でも、その場所や競技で最高のヤツっていうのは、なにをやっても対応できるんだよ。本当の強者っていうのは。でしょ?
(前出、「紙のプロレスRADICAL・NO25」より。文中のカッコは筆者)
こうして見ていくと、前田の方向性はハッキリ読み取ることができるだろう。
要は、柔道のように固定化した競技スポーツを作るのではなく、あくまで選手たちの潜在能力を発揮させられるかどうかを、第一の前提とする。そしてその上で、彼らの技術の進歩に応じて、ルールのほうも変えていく。
つまり、ルールがはじめにあるのではなく、その時点での選手たちの実力が、逆にルールを決めていく。いわばそうした進化を、システムのなかに意図的に組み入れてしまおうと発想するわけである。
おわかりだろうか? こうした発想に立つかぎり、柔道という競技の抱えてきたデメリットは払拭され、競技は無限に進歩していく。時代が一回りした分だけ、すでに嘉納を飛び超えた世界観を手にしていると言えるのである。
では、船木の「原理主義」の先には、植芝盛平が控えているのだろうか?
筆者は、持って生まれた気質としては、ふたりはおなじ系列の人間であると感じている。つまり、物事の本質を突き詰めたがる船木の場合、前田のように「理想を現実とクロスさせる」という発想は、どこか希薄になる傾向にある。
もちろん、どこかで「現実に目覚める」ことで、路線変更することはできる。
しかしそれは、「原理主義者」の視野からは非常に盲点となっており、彼らはあくまでも「突き詰める」方向へと、自然と進みたがる。そうなると、あとはもう植芝のように死線をさまよい(?)、「道を究める」しかなくなるわけだが……。
船木自身、こうした自分の「危うさ」を内心で察知しているのか、あるインタビューのなかで、フッと次のようなことばを口にしている。
ただまあ、あんまり深く考えないほうがいいと思いますよ。あんまり深く考えると、ホント出口がなくなっちゃうし。かといって、「どうせ考え込むだけムダだ」って、ひねくれちゃう人もいますからね。……そういう時は海にでも行って、広く広く。「俺は海に負ける」って(笑)。どんだけ逆立ちしても、海が荒れたら、もうおしまいです。そう思いましたよ。
(「SRS・DX2000年1/27号」より)
どうだろうか? ヒクソン戦後の記者会見における、「格闘技に答えはありませんでしたね。永遠に戦いつづけるのみだと思います」ということばといい、筆者には、いかにも「原理主義者」らしい物言いに思われてならないのだが……。
いずれにせよ、引退した船木は、自らの興した団体=パンクラスを牽引していく役割を担っていくことになるが、さていったい、そこからどこへ向うというのか? 少なくとも、前田のような「ワンマン・プロデューサー」になるとは思えない。やはり現実には、「若手の育成=コーチ業」に力を注いでいくものと思われるが、いずれにせよ、どこまで進んでいくつもりだろうか? そしてそれは、どこまで可能なのか? あるいは、どこかでちがう何かに気がつくのだろうか?
そういう意味で、船木は前田以上に、目の離せない存在と言える。
ちなみに嘉納治五郎と植芝盛平は、嘉納のほうが20ほど年長ながら、たがいの存在を認め合い、尊敬し合う間柄だった。とくに合気道を見学した嘉納は、「これはほんとうの柔道だ!」ということばを残し、弟子を2人入門させたと言われるが……。
果して、前田と船木、リングスとパンクラスの関係は、永遠にこのままなのだろうか? 20年、30年経っても、ずっとこのまま「絶縁状態」がつづくというのだろうか?こんどは、そうした歴史が「繰り返される」のだろうか?
最後に、前田と船木のある共通点(?)をタネに、「現実主義」と「原理主義」の進むべき道すじについて、簡単に見渡してみたいと思う。
その「共通点」とは、すなわち、刀(日本刀)である。
なにより前田は、知る人ぞ知る、玄人はだしの刀剣愛好家であり、いまでは、自分の団体を運営するかたわら、驚くことにプロの刀鍛冶のもとへ弟子入りし、数年後にはみずからも国家試験を受け、その資格を得ようという計画を持っている。
一方、映画好きで知られる船木も、ヒクソン戦では高倉健ばりの着流しに、日本刀(もちろん、真剣)をたずさえ、颯爽と登場。また、口説きに口説かれ出演したという、石井聰互監督の映画「五条霊戦記」では、野武士の役を熱演している。
筆者は、彼らほど(とくに前田ほど)刀剣に愛着を持っているわけではない。
しかし、「現実主義」と「原理主義」について思いを馳せるとき、どうしても、刀剣にまつわる次のことばが浮かんでくる。
それは、植芝盛平の師として先にも登場した、宗教家・出口王仁三郎の残した、「身魂(みたま)磨き」に関することばである。
ここまでのことばに照らし合わせるならば、自らのなかに「現実」と「原理」を統合させていくためのこころのあり方、とでも思えばいい。彼は、その「身魂磨き」には、なにより「汚れ」が伴うとして、次のように語っている。
かの研師が剣を研ぐのを見よ、砥石にかけて錬磨するとドロドロの汚物が出てくる。剣その物もまた汚物に汚れて全く光を失うている。だが磨き上がって研師がサッと水をかけると、三尺の秋水明晃々として鉄をも断つべき名剣となるのである。そのごとく、皆も身魂磨きが終わって、サッと神様から水をかけて頂くと、自分では思いもかけぬ働きが出来るようになってくる。水をかけて頂かねば何も出来はせぬ。せいぜい磨いていただくほど結構である。
(出口王仁三郎「玉鏡」より)
憎しみ、争い、誤解、猜疑、怨恨、……人生に「汚れ」はつきものである。
しかし、それを恐れていたら、「身魂」は決して磨かれない。むしろ、「汚れ」が表に現われるからこそ、自分が磨かれている。それは、人生のスパイスである。王仁三郎は、汚れも悪もみな受け入れ、小さいことに囚われるな、と言っているのだ。
つまり、前田も船木も、決して何かが間違っているわけではない。道から外れているわけでもない。その表面がいくらドロドロに汚れていようが、いくら「汚物」にあふれていようが、ただそれぞれが、おのれの信ずる道を信ずるままに突き進んでいる。そうやって、他ならぬ「自分自身」を磨いているのだ。
……できうることなら、「汚れ」ばかりに目を奪われず、それが人生のすべてだなどと思い込まず、その奥の刀身にこそこころを向けたい。
彼らの「確執」を見つめるたびに、筆者は、そんな思いが浮かんでくる。「現実主義」と、「原理主義」。……ドロドロとした砥石の上でこそ磨かれうるふたつのロマンが、われわれ自身のなかに眠っているのである。
どっちの世界を?〜前田日明、船木誠勝、ふたつの「戦い」(4)
……といっても、さしてむずかしい話をするわけではない。
その種とは、おそらく明治から昭和の初期にかけて蒔かれた、「近代化」という名の種である。「武道」が体系化され、同時に欧米から伝播した「スポーツ」と激しく融合しはじめたのが、この時期にあたるからである。武道的な「原理」とスポーツ的な「現実」とのぶつかり合いと捉えてもいい。
「武道」が体系化されたのは、江戸時代ではなかったのか? なかには、そう思われる人もいるかもしれない。しかし、多分に解釈の問題とも言えるが、筆者は江戸時代は「武道」が熟成された時代であって、体系化ということでは、あくまで明治を待たねばならないと捉えている。そもそも、江戸時代においては、「武道」ということばはあまり用いられておらず、武士の技芸という意味では、「武芸」「武術」「武技」といった語のほうが一般的だったのである。
明治以降、この「武道」という用語が再び注目されはじめたのは、日清・日露戦争の勝利によるナショナリズムの昴揚に触発され「武士道」という語が復活されたことの対比からであった。
機械や兵力においては露国に劣るも、日露戦争で勝利を勝ち得たのは、精神力において勝っていたからであるという「白兵戦闘主義」が台頭し、武術による攻撃精神の養成が強く叫ばれた。こうした情勢に呼応して「武術」から「武道」への変更を強く主張したのが、時の警視総監西久保弘道であった。
(中村民雄「剣道事典〜技術と文化の歴史〜」より)
この一文からもわかるとおり、「武道」とは、いわば、官製のことばであった、と言える。「開国」や「文明開化」によって流入してきた「欧米思想」への対抗策として、半ばヒステリックながら、日本古来の「武道精神」が求められた。自らの自我を守るための「精神的防衛手段」と考えてもいい。
しかし、こうした自我意識の形成は、世情で言われるような「負の遺産」(日本を敗戦へと導いた)ばかりを残したわけでは、もちろんない。人が意識化をはじめるということは、曖昧だったものを明確にすることでもあるからだ。
つまり、他者との「違い」を自覚することで、新たな思想や文化が生まれうる。
古今東西、どの時代どの国を問わず、こうした「意識のぶつかり合い」が、何らかの形で、新たな「現実」と「原理」とを生み出す。逆に、これらが生み出されない場合、その国は衰亡し、周辺のより強力な勢力に呑み込まれてしまうのである。
……「現実」と「原理」を生み出す? ……「近代化」が?
そう、この場合の「現実」とは、「欧米思想」を積極的に受容し、肯定し、自分たちの「文化」のなかに取り込んでしまおうという精神を指す。この精神は、幕末の開国主義、明治以後の文明開化、富国強兵などの諸政策とも重なり合う。
一方、「原理」とは、むしろ自分たちの「文化」そのものを突き詰め、鋭敏にし、それをもって体系化を図ろうとする精神と言ったらいいだろうか? こちらはいわゆる復古主義や国粋主義、あるいは昭和初期の軍国化などとも重なり合う。
そして、これらを「武道」にあてはめた場合、前者は「柔道」、後者は「合気道」に当たることになるはずだ。
ともに江戸時代の「柔術」(柔、小具足、捕手、拳法などと呼ばれた)という源流から枝分かれし、一大飛躍を遂げた武道である。「武芸十八般」などと呼ばれた「混沌」が、ふたつの「秩序」へと変化したとも言えるだろう。
ハッキリ言って、「現実」と「原理」の本質を理解する上で、これほどの典型、これほどの対立概念は、なかなかお目にかかれない。そこに、われわれのひとつ前の時代の精神が、明確に現われている。
まず、柔道の創始者である嘉納治五郎は、卓越した「現実主義者」である。
なにしろ彼は、179流あったと言われる柔術の諸派の長所を取り、短所を捨て、いわゆる「講道館柔道」の名のもとに、近代的な「練習体系」へとまとめあげた人物だからである。
これによって、それまで「実戦」(あるいは、「実戦」により近い形)のなかでしか試すことのできなかった技術や精神力が、ひとつの「競技=スポーツ」を通して計れるようになった。と同時に、広く一般に門戸が開放されたことで、心身の「教育」の面においても、大きな役割を果たすようになったわけである。
講道館柔道においては、勝負と練体とは同時に修められる方法を取ったのである。その訳は、勝負の修行をする場合にも怪我を避けることが必要であり、同時に兼ねて身体を強健にすることは願わしい。また練体として修行する場合にも、体操の如き意味のない運動は厭き易く、精神が籠り難いが、平行して、攻撃防御の練習が出来れば、面白くもあり、有益でもある。そういう訳で出来るだけ両者を兼ねるように仕組んだのである。
(富木謙治「武道論」より、嘉納の発言を抜粋)
こうした発想を思いつく感性は、まさに「現実主義」のそれに他ならないだろう。
もとは、ただ「強くなりたい」という動機から柔術を学びはじめた明治の一青年が、その修行の過程で、家元主義、秘密主義に陥りがちだった「武芸」の弊害を見抜き、これをもっと公平で明快なものに作り変えようと意図したわけである。世の中だけでなく、固く閉ざされた武道の世界をも、「近代化」させたと言っていい。
一方、合気道の開祖である植芝盛平は、嘉納とは対照的な「原理主義者」である。
彼も、青年期に柔術の諸派を学びはじめたひとりであるが、「原理主義者」らしく(?)、柔の術理をさらに突き詰める方向へと進んだ。しかも、東大、ドイツ留学、高等師範学校校長、文部省参事官など、明治のエリート畑を進んだ嘉納と異なり、軍隊生活、北海道の開拓事業、大本教祖・出口王仁三郎(おにさぶろう)との「蒙古入り」など、ほとんど地を這うような過酷な体験を繰り返している。
とくに圧巻といえるのは、王仁三郎のボディ・ガードとして乗り込んだ、蒙古(モンゴル)での体験だろう。
「東亜の天地を精神的に統一する」という彼の壮挙に共鳴した植芝は、他の数名の同志とともに、日本を脱出。「万教同根」を旗印に、馬賊の大将と手を結び、最後は張作林の軍によって銃殺寸前に追い込まれるなど、幾度となく死線をさまようのである。
一歩も動くわけにはいかなかった。だから弾丸が飛んでくると、ひょいひょい首やからだをねじって避けるだけじゃった。眼をこらして見ているうち、あ、今度は右から狙ってくるな、あ、今度は左から撃ってくるな、とはっきり直感・直覚できるようになってきた。弾丸より一瞬早く、白いツブテがぱッと飛んでくる。それをぱッと身をかわすと、あとから弾丸がすり抜けてゆく。毎日そんなことばかりするうちに、自然に武道の極意がひらめいてきた。相手の殺意は、こちらの平常心が澄みきれば澄みきるほど直感・直覚できるものだということじゃ。
(植芝吉祥丸・編著「合気道開祖 植芝盛平伝」より)
日本へ強制送還された植芝は、師・王仁三郎のもとで開いていた「植芝塾」で鍛練を重ねるうち、のちに合気道となる「原理」を、ハッキリとつかんだ。
すなわち、「戦い」というものを突き詰めていけば、最後は「勝敗」を求める感覚は消えていき、「愛をもってすべてをつつみ、気をもってすべてを流れるにまかすとき、はじめて自他一体の気・心・体の動きの世界が展開し、より悟りを得た者がおのずから、いわゆる勝ちをおさめている」(同上)という状態を得る。
まあ、わかりにくいかもしれないが、この状態こそ、「愛気=合気」の精神であり、合気道が「演武」によって成り立ち、「試合」という形式を必要としないのも、こうした認識ゆえのこと。戦いにおけるさまざまな局面を「型」に体系化させ、その「型」をもとに習練を積んでいくことで、身体運動の「原理」そのものをつかみ取ろうとするのが、合気の本質であると言えるだろう。
いずれにせよ、近代に生まれたふたつの武道は、両極端に枝分かれしたまま、その後もそれぞれの道を歩みつづけた。
嘉納は、「現実主義」としての王道をどこまでも進んだ。その真骨頂とも言うべきが、まだ黎明期にあった「オリンピック運動」への参加であり、日本人初のIOC委員となった彼は、晩年には、東京への五輪招致に奔走。柔道が小さな島国の一武芸から、「世界のJUDO」へと飛躍する、大きな足がかりをつくっていく。
一方の植芝も、あくまで「原理主義」としての王道をたどりながらひたすら習練に励み、晩年になるほどその強さが増したと言われるが、弟子たちのなかから優秀な「現実主義者」が多数輩出し、彼らの尽力によって「合気道」は財団として組織化され、「非競技系武道」としては希有な、世界的な広がりを見せるに至っている。
こうして見ると、「柔道」と「合気道」は、根はおなじでありながら、あくまで異なる方向性(「現実主義」と「原理主義」)を持っていたことがわかるだろう。そして、それぞれの方向性を、ひとつの形に具現化させることに成功した。「近代化」のもたらした希有な成果として、もっと評価していいのではないだろうか?
どっちの世界を?〜前田日明、船木誠勝、ふたつの「戦い」(3)
「事件」の起こったのは、1999年11月14日、東京ベイNKホール。
因縁浅からぬ「UWF系」諸団体の所属選手が参加することで話題を呼んだ、「UFC-ジャパン」大会の全試合が終了し、しばらく経ってのことだったらしい。
わかりやすく言えば、前田や船木の弟子たちの試合が、この第三者のリングで、いくつか組まれていた。前田はそれを、バックステージで観戦。そして、船木を含めたパンクラスの選手たちも、おなじ会場のべつの一郭(控室など)に陣取っていた。
一方、「主犯」である安生には、数年前、あるパーティー会場で前田から小突かれ、公衆の面前で恥をかかされた経緯があり(前田に言わせれば、彼の日頃の言動に腹を立てていたということになるが)、その報復の機会をうかがっていたようだ。
そして、結論から言うと、前田は少々油断をしていた。
バックステージに不穏な空気が流れていたことは、会場にいた多数の関係者が証言しているが、彼自身、それなりの警戒心はあったにせよ、まさか背後から襲いかかってくるなど、そんな「卑怯な」ことは、まったく予想もしていなかったらしい。
格闘技雑誌「SRS・DX」の編集長である谷川貞治氏は、この「事件」を詳細に取り上げた誌面のなかで、次のように書き記している。
あの前田が倒れた。完全に気絶している。……私は走って前田の元へ近づいていった。見ると、頭から血が床に流れ出している。……一瞬、周囲も言葉を失った。誰かが「救急車! 救急車!」と叫んだ。私は前田の体を上に向けなくちゃと思っていると、ちょうど前田と私の間にモーリス(・スミス=格闘家)が割って入ってきた。周囲では、「退って、退って」という声も聞こえてきたし、「囲め、囲め」という声も聞こえてきた。
(「SRS・DX 1999年12月9号」より 文中のカッコは筆者)
この「囲め、囲め」という声は、当初、パンクラスの選手が発したものだとされたが、社長の尾崎充実氏は、「黒幕説」も含め、キッパリと否定。「選手がピリピリしていて殺気だっていたのは事実」だが、「ウチではありえない」と語っている(ただ、これまでの前田の言動に対して、名誉棄損などの告訴に踏み切った。また安生は、事件から5日後、警察の事情聴取を受け、のちに20万円の罰金を支払っている)。
まあ、事件について触れるのは、このくらいでいいだろう。
いずれにしても、「UWF」という3文字のなかには、「夢」や「希望」だけでなく、ドロドロとした人間の「業」が渦巻いていた。そして前田というカリスマが、どういう理由にせよ、昔の仲間から非常に「憎まれていた」ということも……。
しかし前田は、こんな目に遭わねばならないほど、ひどい人物なのだろうか? 「襲撃」や「告訴」は、当然の報いなのだろうか?
じつは、かくいう筆者も、リングスで孤軍奮闘をつづける前田に注目を寄せる一方で、その言動に関しては、長い間、トラブルの種以外の何物でもないと思ってきた。つまり、問題をこじらせているのはいつも前田であり、船木たちは、結局いらざる「迷惑」ばかり被っている。彼が不当な言動を慎みさえすれば、こじれた関係も解きほぐれ、団体どうしの「交流」もうまくいくはずではないのか、と。
たしかに「常識」に照らし合わせれば、それが妥当な結論なのかもしれない。
しかし筆者は、あるときフッと目からウロコが落ちるように、……必ずしもそうとは言えないのかもしれない、という思いを抱くようになった。はた目には大したことには思われない気もするが、同時に、だからこそ誰もが感じうる「体験」(?)と思われるので、その顛末について簡単に触れさせていただこう。
それはまだ、前田が「襲撃」を受ける、ずっと前のことだったと思う。
筆者がいつものようにボンヤリ散歩していると、20〜30メートル先の道路で、実業家風の若い男が、車に乗り込もうとしているのが見えた。
スラッとした身のこなしに、わりと精悍そうな顔だち。どうやら、仕事の打合せか何かで、目の前の建物(会社?)から、出てきたところらしい。
と、ここまでは取り立ててふつうの光景だが、車に乗り込んだ彼は、それと同時に、手に持っていたドリンクのパックをポイと路上に捨てた。お気楽な話かもしれないが、こうした「現場」をはじめて(?)目撃した筆者は、一瞬、カーッと血がのぼった。
……ああ、アイツ、カッコは一人前だが、こころのなかは最低だな! ああいうやつは、きっと仕事でも似たようなことをしてるんだろう!
などということを、多分1秒くらいの間に「思った」わけである。しかし、その次に、「よし、あのパックを車のなかに投げ返してやるか」という思いとともに、「でも、相手のガラが悪かったらどうしよう」、という「不安」が生じた。そして、わずかにこころの躊躇した1、2秒の間に、車はサーッと去っていってしまったのである。
よくあることだと言われればそれまでだが、非常なショックを受けた。
なぜかというと、人が動くべき「間」というものが、瞬間に訪れ、瞬間に去っていくものだということが、このとき自分のなかで、ハッキリ感じ取れたからだ。しかも、ほんの一瞬躊躇しただけでも、「千載一遇の機会」は取り逃がしてしまう……。
路上で呆然と立ち尽くしたまま、筆者は、……これは、勇気があるとかないとか、そういう問題ではないのかもしれない。むしろ「勇気を出そう」などとした瞬間、平常心は失われ、「間」は去っていくのではないか? と、感じた。
……きっと前田日明なら、躊躇なく身体が動き、そのまま若者の頭をゴツンとぶん殴っているかもしれない。少なくとも、説教のひとつはするはずだ。
筆者のこころのなかに、このときなぜか、前田の姿が浮かんできた。そして、彼のことがはじめて理解できたような気がした。前後に特別な脈絡があったわけではないが、そうした不思議な「説得力」が胸のなかに押し寄せてきたのである。
……ああ、前田という男は、いつも同じところからことばを発している。「思い」と「行為」の回路が、いつも一本につながっているのだ。
読者のなかには、躊躇した筆者のほうが「常識人」であり、やはり若者の頭を殴る前田は「トラブルメーカー」だと感じる人もいるかもしれない。第一、そんな「間」などほんとうに正しいかわからないし、勘違いだってあるはずではないか。
……そう、勘違いもある。失敗もある。だから、前田は「誤解」される。「行動」するからこそ、「誤解」されてしまうのだ。
もちろん、勘違いや失敗は当然だ、とまでは思わない。しかし、それが「悪い」ことだと、必ずしも言い切れるだろうか?
どうであれ、筆者はこのとき、ナルホド「誤解」とはこういうことなのか、と肌身で感じた。10代のころから彼のことは見ていたのに、ほんとうは何も見ていなかったのだと、二重のショックを受けたのである。
筆者はなにも、船木が前田を「誤解」している、と単純に言っているわけではない。ただ、彼らについてあれこれ語る前に、そうした「対立」がひとつの「型」によって引き起こされていることに、まず、気づくべきだと言いたいのである。
つまり、「現実主義」という型と、「原理主義」という型。
たがいが自分の「型」のなかで相手のことを見、評価を下している。人と人との関係とは、往々にしてそういう形で進行している。しかし、いったんその「型」から離れる機会を得ると、相手のありのままの姿が見えてくることがある。
筆者は、自らのささやかな体験を通して、自分は前田のことを見てきながら、むしろ船木の側(=「原理主義」)に立っていたのだと気がついた。その意味では、おなじ「型」のなかにいる船木のほうがよっぽど見える位置にいたわけだが、そういう自覚もなかったため、ロクに見れてはいなかった。どちらに対しても、ひとつの狭い枠のなかで見えていたつもりになっていただけだったのである。
「現実」と「原理」は、切っても切り離せない関係にある。
しかも、それらの「型」は、彼らだけにとどまらない。そのまま視野を広げていくならば、様々な時代に、様々な形で繰り返されてきたはずである。
つまり、人は孤立した存在ではなく、たえず何らかの形で、過去の「型」の影響下にある。「現実」と「原理」という、ふたつの「型」を往来している。
……意識がひとつほぐれることで、筆者のこころには、そんな思いが次々と押し寄せてきた。……ならば、それをたぐっていけば、前田や船木のもとになった「型」も見えてくるのではないか? あるいは、彼らという「個」を見ていくことで、その背後にひろがる「普遍」そのものと出会うこともできるのでは……
たとえば、いま筆者の脳裏には、陸上のトラックをぐるっと逆走するかのような感覚とともに、ある時代のある情景が、ボンヤリと浮かび上がっている。
われわれが生きていた時代の、もうひとつ前の時代。そこで蒔かれた種が、いまこうして芽を出し、また新たな種を生み出そうとしている。……「前田」を生み出した種。……「船木」を生み出した種。それはいったい、どんな形をしていたのだろう? ここからはしばらく、その種について見ていくことにしよう。
どっちの世界を?〜前田日明、船木誠勝、ふたつの「戦い」(2)
まずはじめに、武道の発想をもとにひもといてみよう。
筆者は別の稿で、武道を通して求めるべきもの、それはなにより「わかる」という感覚である、と書いたことがある。
この感覚は、まさに「現実」と「原理」との往復のなかでこそ得られるもの。
人はふたつの状態を往復することで、「わかる」という体験を日々積んでいるのである。たとえば、江戸時代初期の代表的な剣術家として知られる柳生但馬守宗矩は、次のようなことばを残している。
……様々の習(ならい)をつくして、習稽古の修行、功つもりぬれば、手足身に所作はありて心になくなり、習をはなれて習をたがわず、何事もするわざ自由也。此時は、わが心いずくにありともしれず、天魔外道もわが心をうかゞひ得ざる也。此位にいたらん為の習也。ならひ得たれば、又習はなく成る也。
(渡辺一郎・校注「兵法家伝書」より)
つまり、さまざまな習練を積んで、技術が身につけば、自動的に身体が動き、こころでコントロールする必要はなくなる。型を離れても型と違わない状態となり、どのような場面でも技が自由に繰り出せる。
そうなると、天魔外道のたぐいでも、自分のこころがどこにあるか読めなくなる。そのくらいの境地に至らんとするために、習練を積むのである。型を得ることで、同時に型はなくなるのである、というほどの意味である。
これは武道に限らず、古今東西、なんらかの習練に励む者なら、少なからず「理想」としている状態ではないだろうか?
人は意思があるかぎり、日々、この「理想」に向かって進んでいる。
そして、この「理想」は、必ずしも「遠く」にあるのではない、すぐここに、ごく当たり前の日常のなかにあるからこそ、だれもが「出会う」とができる。
問題は、ただそのことを「わかる」ことができるかどうか、……武道における習練の意味は、まさにそこに集約されている。と、書いたわけである。
これを、「現実」と「原理」に当てはめると、どうなるか?
要は、ことばの問題。すなわち、ここで言う「理想」とは、先に用いた「ロマン」ということばと重なり合う。
あるいは、その当人の感覚に即するなら、「自由自在」「融通無碍」などとも表現できる。そうした状態を体現している人ということで言えば、「達人」「名人」……、ことばはどう言い換えてもいい。いずれも、武道家たちの追い求めてきた境地と、何らかの形で表わしているのである。
つまり、「現実」と「原理」は、こうした境地に向かうためのふたつの道、ふたつの方向性。どちらのほうが優れているというものではなく、どちらからでも「理想」と出会うことはできる。ただ、そのどちらに比重を置いているか、それによってそれぞれの生き方に「違い」が出てくるのである
前田と船木も、つまりはこうした境地を求めてきたのではないのか?
前田は「現実主義」、そして船木は「原理主義」。
持って生まれたそれぞれの気質のままに、それぞれが「ロマン」を追及しつづけてきた。そしていまもなお、その追及の過程にある。
現役を引退しようがしまいが、格闘家という肩書きがあろうがなかろうが、それをつづけることが彼らの存在証明なのである。その意味では、ベクトルが違うというじたい、さほど意味は持っていない。
ここで、彼らを取り巻く時間を、少し過去へと遡らせてみよう。
もともとふたりは、10代の前半に両親が離婚するなど、よく似た環境のなかで思春期を過ごしている。
前田は、高校入学後、劇画「空手バカ一代」の影響を受け、町道場で空手を習いはじめる。将来はアメリカで道場を開くことを夢見ていたというが、何のイタズラか、18のとき新日本プロレスにスカウトされ、以後レスラーとしての道を歩みはじめる。
一方、映画が好きで松田優作やブルース・リーに憧れていた船木は、10代のはじめから体を鍛えはじめ、やがてレスラーを目指すようになる。そして若干15歳で、前田とおなじ新日本プロレスの入門テストを受け、2度目に合格する。
ともに、アントニオ猪木の後継者として、将来を嘱望された逸材。しかし、ふたりのその後の道のりを追っていくと、その波瀾に富んだ「格闘人生」のなかに、ある微妙な「ちがい」が浮かび上がってくることがわかる。
前田は、人気絶頂だった新日本プロレスの内部でいわゆる「クーデター騒動」が勃発したとき、その騒動のなかから生まれた新団体「ユニバーサル・プロレス」のエースに祭り上げられ、入団7年目で、図らずも新日本から脱退している。
もともとは、猪木自身が参加するはずだったという、いわくつきの団体。
しかしさまざまな事情によりこの「密約」は反故にされ、孤立した前田は、その後もユニバーサルのリングに留まり、戦いつづける。自分と同様、新日本から離れた選手やタッフを見捨てることができなかったというのが、理由のようだ。
ユニバーサルは、のちに「第1次UWF」とも呼ばれ、「格闘技プロレス」の原点を築いたと評価されているが、資金繰りが悪化し、1年半あまりで崩壊。前田をはじめとする「UWF軍団」は、これを機に新日本に復帰し、古巣のレスラーたちと「対抗戦」を繰り広げる。しかし、その約2年後、ある試合における「無法ファイト」がきっかけで、こんどは新日本プロレスを解雇されてしまう。
新日本を解雇された前田は、ユニバーサル時代からの盟友だった高田伸彦(=現・延彦)、山崎一夫らとともに、「第2次UWF」(新生UWF)を設立。独自の「格闘技路線」をさらに押し進め、社会的にも大きな話題を集めた。
しかし、このUWFも、前述したとおり、約2年で突如崩壊。所属選手たちがそれぞれに新団体を旗揚げするなか、前田はたったひとりで「リングス」を旗揚げするに至るわけである。
要するに前田は、つねに組織のリーダーとして矢面に立たされ、場合によっては貧乏クジを引かされながら、おのれの道を切り開いてきた。人生の節目に「損」を引き受けることで、逆にファンの支持を集めてきたと言ってもいい。
一方、前田より8年遅れで入団した船木の場合、すこし状況がちがう。
若手時代からホープとして期待されていた船木は、ヨーロッパ遠征から帰国後、新生UWFからの誘いを受け、藤原喜明、鈴木実とともに電撃移籍。トップの前田、高田の牙城をおびやかす「次世代のエース」として注目を集めた。そして、崩壊後は、師である藤原の興した新団体(「藤原組」)に参加。さらにそこから独立して、2年後、理想の団体「パンクラス」を旗揚げした。
こうして見ると、船木の場合、団体経営などの実務面を、ある程度人に任せられる環境にあったことがわかる。自らの興した「パンクラス」においても、彼は直接経営にタッチしてきたわけではない。
つまり、団体所属のエースとして、なによりも「いかに強くなるか」という「原理」を追求できる立場にあった。もちろん、団体の存続(=「現実」)が、第一の前提であったことは言うまでもないが……。
こうして見ればわかるとおり、ふたりはどういう因果か、「現実」と「原理」とを、まさに地でいく生き方をつづけている。時におなじリングで戦いながらも、それぞれが異なる世界観をベースとし、それを体現していたわけである。
たとえば読者は、「自由」が得たいと思ったとき、どんな行動を取るだろうか?
「現実主義」の前田ならば、なによりも自らの「場」を広げていくことで、自由を得ようとするはずだ。しかも彼の場合、詳しくは後述するが、そこいらの表面的な「現実主義」(?)とは異なり、あくまで「現実」のなかで「原理」を表現しようという発想を持っている。それゆえ、先に触れたように、自らの世界を外へ外へと広げていこうとする、非常にオープンな活動を展開している。
彼が、オランダ、ロシア、アメリカ、ブラジルノノと「リングス・ネットワーク」の輪を拡大していったのも、そうした気質あってのことであり、「リングスは団体やない、戦う場や」といった彼の発言の意味も、そこにある。とくにプロモーターになって以降の彼は、現役時代以上に、その才を発揮してると言っていい。
一方、「原理主義」の船木の場合、まず自らの「存在」を掘り下げることで、自由を得ようとするだろう。つまり、「現実」への関わりは最低限度に抑え、あくまでも「原理」を追い求めようとする気質を持つ。「戦いとは何か?」ということを、どこまでも突き詰めていく方向に進んでいくのである。
若き日に「骨法」と呼ばれる日本の伝統武術を学んだのも、ブラジルに柔術修行を敢行したのもすべてそのあらわれであり、彼にはつねに、格闘技の最先端を追求する、求道者のイメージがついてまわった。「肉体改造」に関する本を出版し評価を得たのも、こうした気質の一端。彼がプロモーターでなく、コーチとして評価されるに至ったのは、まさにここに起因しているわけである。
また、やや専門的な話になってしまうが、両団体の試合で施行されているルールの面からも、同様の指摘をすることができるだろう。
たとえば、現行の「リングス・ルール」では、「グランド状態での顔面パンチ」が禁止されているが、これはアメリカで流行している「フリーファイト」(いわゆる「何でもあり」と言われ、限りなくノールールに近い試合)の多くが、最終的に、こうした展開にのみ頼る方向にパターン化されてしまっているからだ。
前田の場合、これらの弊害を打破するため、あえてこのパターンを禁止することで、他の技術(関節技など)を学ばざるを得ない状況に選手たちを導こうとする。そうすることで、戦いそのものを進化させようと意図するわけである。彼自身のことばを借りるなら、「ルールはデザインするものや」という発想になるだろう。
では、「パンクラス・ルール」は、これとどうちがうのか?
「原理主義」のパンクラスの場合、「興行の成立」を前提に据えながら、むしろノールールの理念を突き詰めようとする方向に進んできた。たとえばロープエスケープの廃止や、グローブの着用などはリングスよりも早く、また、過渡的に採用した他流試合用の特別ルールでは、通常禁止されるヒジ打ちや頭突きなども取り入れている。船木の「早すぎる引退」も、こうした過激さと無縁ではなかったはずだろう。とにかくパンクラスという団体は、どうしても突き詰めたがる方向に進むのである。
何度も言うように、俺が言ってるのは、理想と現実を交差する点をいかに高くするかっていうことだから。ウチのルールってさ、どのくらいの変遷があった? いつも理想と現実をクロスさせるところから始めるわけでしょ? いまだったら(ノールール形式の試合が)膠着するっていうことをファンが理解できるところまで、まだまだ行ってないし、そういう部分で選手を闘わせるよりも、こっちのルールのほうが面白いからやらせているだけの話ですよ。それがプロモーターだよ。
(「紙のプロレスRADICAL・NO25」前田日明インタビューより 文中のカッコは筆者)
これが格闘技です。今日のは格闘技です。スポーツじゃないですよ。やっぱり、レフェリーストップもドクターストップも、そういったものが何もない世界なんで。だから最後に首を締められた時に、……ああ俺はもう死ぬんだなって思いましたね、正直。……で、気がついたらなんかわかんないけれども周りに人がいっぱい集まっていて、立ってるんですけども、もう、やっぱり生きててよかったなあっていう、思いましたね、改めて。
(「週刊プロレス・6/11号 臨時増刊」より、ヒクソン戦終了直後の船木のコメントを抜粋)
船木は、上記のコメントを含め、記者団に「引退」の心境を語り終えたのち、最後に、「ようやく、長い戦いが終わりました。格闘技に答えはありませんでしたね。永遠に戦いつづけるのみだと思います」と言って、席を立った。
……どうだろうか? まさに、「水と油」ではないだろうか?
つまり、前田は「世界」と格闘しているが、船木は「自分」と格闘している。どちらが正しいとか、好きとかいう以前に、それは明らかに違う。違う者どうしが、かつてはおなじ団体で、おなじ釜の飯を食っていたわけである。
この「溝」が理解できないかぎり、両者の間で交わされてきた中傷や、訴訟や、暴力沙汰も、ただのスキャンダルにしか映らない。けっきょく眉をしかめるだけで、ただお互い喧嘩は止めましょうとしか言えなくなってしまう。
筆者は、前田と船木の「格闘技人生」に思いを重ねるたびに、何か言いようのない不思議さ、人生のあやというものを感じてしまう。
つまりそのあやが、どんよりとした黒い霧のように凝り固まり、「あの事件」を引き起こしたのではなかったのか?
崩壊した「新生UWF」は、「藤原組」(のち「パンクラス」)と「リングス」だけでなく、「UWFインターナショナル」と呼ばれる団体も生み出している。
要するに、もともとひとつの団体が、藤原組(藤原、船木、鈴木ら)、リングス(前田のみ)、UWFインター(高田、山崎、安生、田村、桜庭ら)の3派に分裂した。
そのUWFインターの所属レスラーであった安生洋二が、いくつかの伏線(因縁)を経たのち、ある格闘技会場で、前田を突如「襲撃」したのである。
俗にいう、「前田日明襲撃事件」、である。
背後から「闇討ち」された前田は、ドサッという鈍い音とともに、何の反撃もできぬまま、床に昏倒。しばらくして意識を取り戻すが、そのまま病院に直行し、のちに左目尻の下に数針を縫う怪我を負ったことが判明する。
この事件が報道されたとき、多くの人は、……これは単に前田と安生の「因縁」だけでないだろう、と想像した。そして、会場に居合わせたパンクラスの選手たちが事件に関与していたのではないかという「噂」が、実しやかに立ったのである。
この種の「不祥事」は、ほんらいあまり触れるべきではないのかもしれないが、ここまでたどってきた前田と船木の気質(すなわち、「現実」と「原理」の違い)をより明確するためにも、あえてことの経過に迫ってみることにしよう。
どっちの世界を?〜前田日明、船木誠勝、ふたつの「戦い」(1)
人にはウマが合うとか合わないとか、そうした関係が存在する。
ただ単に性格のちがいであるなら構わないが、それが国どうしの関係となれば、戦争に発展する場合もある。あるいは、宗教対立、民族紛争。
……人はなぜ、争い合うのか? それが本性なのか? さまざまな人が問うてきた問題だろう。どうしたら、他者を理解し、受け入れられるようになるのか?
ここでは、あるふたりの格闘家の「確執」に焦点を当てることで、ひとつの方向性を示そうと考えている。
前田日明と、船木誠勝のことである。
ともに一時代を築いたカリスマ。……しかし、性格的に水と油と言われ、ある時期を境に、ずっと絶縁状態がつづいている。いわば、リングの内でも外でも目の離せない、そんな存在だと思えばいい。
とりあえず、彼らの「引退試合」について見ていくことにしよう。
前田の相手をつとめたのは、アレキサンダー・カレリン。
グレコローマン・レスリング130キロ級において、ソウル、バルセロナ、アトランタ五輪3連覇。世界選手権8連覇。87年に国内大会で敗れて以来、13年間無敗。前人未到の4連覇を狙った先のシドニー五輪では、決勝でまさかの判定負けを喫してしまったが、これだけ記録が並べられれば、並みの選手でないことはわかる。いわば、後世にも確実に語り継がれる、ロシアの国民的英雄。ニックネームは、ズバリ、人類最強の男。
言うなれば、日本の「格闘王」が、いちばん最後に、誰もが認める「最強の相手」を選択した。しかも、2度の手術を経た左膝はボロボロ、年齢も31と脂の乗ったカレリンに対して、もう40に手が届こうという状態で。1999年2月21日、1万7000の観衆が見守る、横浜アリーナのことである。
個人的なことを言えばね、最後ぐらい何も考えずに、単純に自分の力が果たしてどこまで通用するか試してみたいんだよね。つまり、最後の最後に俺の肉体の強さを、「人類最強の男」であるカレリンをとおして計ってみたいんだよ。これまで、団体の運営だとか選手の育成ばかりに心を奪われた部分があっただろ。でも最後は自分のために闘いたいじゃないか。
(佐々木徹「無冠 前田日明」より)
しかし、カレリンは怪物だった。彼は、はじめて体験するという、キックや関節技ありの「総合格闘技」ルールのなかで、試合の大半を支配。前田は、ローキックで彼の顔をしかめさせ、足首固めでファースト・エスケープを決めたものの、5分2ラウンドを戦いきり、2-1の判定で敗北。そして、大物選手らしい派手なセレモニーもないままに、21年にわたる「現役」生活の幕を閉じたのである。
一方、船木の相手も、負けず劣らずの大物格闘家として知られていた。
ヒクソン・グレイシーである。こちらのキャッチフレーズは、カレリンの「人類最強」に対して、「400戦以上無敗」。ブラジル柔術界のトップとして、船木の先輩である(同時に、前田の後輩でもある)高田延彦を2度にわたって破ったことで、日本でも一躍その名を知られた。その彼の、1年7か月ぶりの対戦相手に、「パンクラス」という格闘技団体のエースだった船木が指名されたのである。
あくまで21世紀というのは、格闘技がスポーツに変わる年だと思うんです。そうでなくてはいけないんですよ。それがパンクラスを作ってから7年の間に学んだことなんですからね。俺はヒクソン戦でそのキッカケを作ればいいと思っています。それこそ「みんな目を覚ましてください」です。
(「格闘技通信2000年6/11増刊号」試合直前のインタビューより)
試合が行われたのは、2000年5月26日。東京ドーム、観衆は4万。
試合前の時点で「引退試合」とは銘打っていなかったが、もともと「やめる」という意思は持っていたようだ。若干15歳でプロ入りして以来、30にしてすでにキャリア15年。しかも、彼自身のいう「パンクラスを作ってからの7年」は、団体のエースとして、過密な試合スケジュールを強いられてきた。ふだんは道場経営にのみ専念できるヒクソンと比べ、心身の疲労は限界に達していたと言っていい。
試合形式は、1ラウンド15分、無制限ラウンド、判定決着なし。しかし、この過酷な勝負の分かれ目は、一瞬にして決まってしまった。
開始から9分すぎ、間合いを詰めたヒクソンが、首を押さえて瞬時に膝蹴りを放つと、船木はバランスを前へと崩し、ころりとマットに転がった。ヒクソンは、そのまま得意の馬乗りへと移行。あとは顔面パンチを連打。そして、隙のできたところを、背後から裸締め。船木はカッと目を見開いて、最後は失神した。
1ラウンド11分46秒、レフェリーストップ負け。
意識を取り戻した彼は、退場のまぎわ、ファンに向かってマイクをつかみ、「15年間、ありがとうございました!」と、絶叫した。敗戦に茫然としていたファンは、ここではじめて、船木の「引退」を知ったのである。
「引退試合」を見るかぎり、ふたりはこれ以上ない「最強」の格闘家を相手に、非常によく似た花道を飾っていることがわかるだろう。
しかし、なかには感じた人もいるかもしれないが、よく似たような花道でも、その中味は決しておなじものではない。そこには、水と油というふたりの性格が(あるいは価値観が)、色濃く反映されている。
いったい、どういうことか? 早急に答えを出してしまう前に、もう少し彼らの生き方を覗いてみよう。おそらくたどるほどに、両者の間の「違い」が浮き彫りになってくるはずである。
もともと、格闘技色の強いスタイルで80年代後半を風靡した、「UWF」というプロレス団体の所属レスラーだったふたりは、先にも触れたように、ある感情的な行き違いから袂を分かち、「リングス」と「パンクラス」という、それぞれの団体を興している。人気絶頂だったはずの「UWF」が、なぜ急に分裂してしまったのか? いまでも関係者の多くが口を閉ざしているため、核心の部分はいまひとつわからない。
ここではとりあえず、次のふたつのエピソードを紹介しておこう。
(91年1月)7日深夜のことだった。
前田が選手を自宅に集めた。本当に新しくUWFを作っていく意思があるかどうか。それをあらためて確認するためだった。前田は一人ずつ聞いていった。船木も鈴木(みのる=当時、実)もやる気満々で「やります」と答えた。ところが、みんなで一緒にやっていくことに曖昧な返事をした人間がいたと思っていただきたい。これに前田が怒った。勢いで「一人でも欠けたら解散だ!」と言ってしまったのである。前田にしてみたら、選手の頭を冷やして結束を固めようという程度だったのだろうが、それを聞いた選手たちの動揺は激しかった。船木、鈴木、富宅(祐輔)、田村潔司、垣原(賢人)はUWFの合宿所で号泣した。
(安田拡了「船木誠勝 海人」より 文中のカッコは筆者)
なんだか、本当にすべてが終わってしまったような寂寥感があった。辛かったのは、選手たちを家族みたいに思ってきたからね。練習するのも一緒、女の子をナンパするのも飲むのも騒ぐもの一緒だったんだ。24時間、常にツルんでいてすべてがわかりあえる家族だと思っていたのに結局、わかりあえなかったことが悲しかった。
……もしかしたら、俺の行動や言動が独裁的すぎたのかもしれない。もしかしたら家族のように思っていた選手のためにと思ってきたことが、彼らにすれば迷惑だったのではないかと思いだしてしまってね。結局、『ひとりぼっち』になったのも自業自得だと思うようになった。……でも、今でも船木らは俺がなぜ解散だと怒鳴ったのか、その背景を理解してくれていないのかも知れない。
(前出、「無冠 前田日明」より)
どうだろうか? ここに書かれた内容を踏まえるなら、団体の再結束を図るための席で、どうやら前田ひとりが、一方的に「キレた」ことがわかる。
その理由のほうは曖昧模糊としていて、やはりうまくは掴めない。
ただ単純に言えば、リーダー格であった前田の気持ちだけが妙に熱く、それゆえに一人相撲していた感がある。つまり、ここでは触れられていないが、どちらかというと船木たちは、それを「うざったく」感じていた。「家族みたいに思ってきた」などと言われても、思わず気持ちが引いてしまうような(?)、そんな心境を抱いていた。少なくとも、彼らの間には、相当の温度差が存在していたのではないだろうか? けっきょくこの分裂によって、前田は「ひとりぼっち」になってしまうのである。
つまり、おなじ格闘家でも、前田は豪放磊落で直情タイプ、かたや船木はストイックで寡黙タイプと、そもそも住んでいる世界が違う。そしてその「違い」が、彼らの生き方のはしばしにまで現われ、周囲に影響を及ぼしている。
たとえば、それぞれの興した団体のカラーを見れば、一目瞭然である。
すなわち前田の「リングス」は、世界にネットワークの輪を広げていくことで、将来的には柔道のような、五輪種目にもなりうる格闘競技の確立を目指している。現在、オランダ、ロシア、アメリカ、ブラジルなど、5大陸に7つの支部があり、すでに独自の興行が打てる支部も、いくつか現われはじめている。
一方、船木の「パンクラス」は、リングスのようなネットワークこそ持たないが、国内にふたつの道場を持ち、選手の育成に最大の力を注いできた。船木自身、名選手である以上に名コーチとして知られ、数多くの弟子を輩出させているのである。この点の実績においては、前田を大きく上回っているとも言えるだろう。
言ってみれば、リングスは「遠心力」、パンクラスは「求心力」。
それぞれの根もとから伸びる意識のベクトルは、明かに正反対に向かって進んでいる。そして、たがいの性格や世界観などにも、刻々と反映されている。
というより、これは、彼らだけに当てはまる話ではない。われわれ自身の意識のなかに、みずからの行動を規定する、ある強い感性が存在している。
つまり、その感性があるからこそ、自分の世界を広げたり、突き詰めたりすることができる。一時代を築いた彼らは、いわばその典型を、わかりやすい形で演じていたと言えるのではないか?
「現実主義」と「原理主義」。
とりあえず、このふたつの世界観を、そのように呼んでみることにしよう。
そう呼ぶことで、もっと意識的に、この世界を感じてみる。……前田や船木は、なぜ反目をつづけねばならないのか? そこに何か意味は見い出せるのか? 解決策はありうるのか?
……あるいは、当の自分自身はどうだろうか? いったい自分は何を求め、どこに向かおうとしているのか? その向かう先に何があるのか?
われわれは、「現実」と「原理」の間を行き交うことで、たえず「ロマン」を感じている。それ自体が「生きる」ということの、原動力となっている。
果たして、ふたりの生き方には、どんな「ロマン」が隠されているのか? しばしの間、それをたどるための旅に出てみることにしたい。
どっちの世界を?〜前田日明、船木誠勝、ふたつの「戦い」(はじめに)
これは出版デビュー作となった「サムライ」未収録の作品の一つで、2001年頃に書かれたものです。
当時は前田日明の「リングス」も活動中で、現在映画俳優への道を進む船木誠勝も、自らが興した「パンクラス」のプロデューサーの立場にいました。
テーマ自体に特に影響はないので、内容は当時のものから変えていません。
(2005年時点で描いた「後記」を新たに掲載しています。続編も検討中)
「どっちの世界を?」というタイトルですが、前田の世界も船木の世界も、クロスオーバーしながら、じつは誰のなかにもあるものです。
前田は第一次リングス時代、インタビューなどで「理想と現実をクロスさせる」という言葉を好んで使っていました。「融合」を掲げる筆者としては、その意味で、まあ「前田派」と言えば「前田派」なのですが、船木の生き方にも愛着はあります。似た感覚をずっと持ってきましたから。
格闘技に関心のない人でも、一つの“歴史物”として読める内容です。
文中の出口王仁三郎の言葉ではありませんが、歴史は「型」の繰り返しであることを、少しでも感じ取っていただけたらと思います。