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2005年03月14日
シリーズ・秀吉と日本人(2)〜“英雄・秀吉”を再評価する必然性
●「英雄」は「器」の大きさで決まる
日本史で「英雄」を選ぶとしたら、豊臣秀吉と源義経。個人の好き嫌いは別として、客観的に歴史を見渡した場合、この2人の名前を挙げないわけにいかない。
ここでいう「英雄」とは、日本という文化圏全体を呑み込んでしまうような大きな「器」を持った存在という意味。数値に表せるものではないし、政策(彼らの場合戦歴も含む)をいくら分析しても、それは浮かび上がってこない。なぜなら「感じる」ものであるからだ。人が感じるものは曖昧で、捉えどころがないと思われがちだが、歴史を俯瞰した場合、それが一番確実に残るものだったりする。
器と呼ばれるものは、当然のことながら現代の学校教育では身につけることはできない。学校の成績が優秀な人間は、俗に秀才と呼ばれる。彼らが官僚になって、政治を動かすことで、国がおかしくなったと語る人がいる。一面正しい指摘だが、国が混乱するのは官僚のせいでは必ずしもない。器を持った中心的存在がいないから、組織が束ねられなくなっているだけの話。そしてそれは現代だけでなく(現代社会だけが特別悪いわけでも、おかしいわけでもなく)、過去の時代を振り返れば無数にあった。周期があると言い換えてもいい。
問題があるとするなら、こうした現実が見えていないままに、どうしたら混乱を収束できるかとあれこれ考える人が多いということ。そういう人に限って、政治に一番重要なのは政策だ。派閥の論理で首相を決めるのではなく、政策について議論し、国民の審判を仰ぐべきだと言う。しかし、そんなことが正論?として通っているうちは、器の重要性には意識が向かない。器のある人間がいたとしても社会の中に埋もれてしまう。つまり人々の意識が社会のありようを規定し、混乱させたり、その混乱をまとめたりする。一部の政治家が国を動かしているわけではなく、そうした政治家も、英雄すらも、じつは大衆がつくり出している面があるわけだ。
秀吉の話でありながら、なぜ長々と器などというものについて語るのかというと、器というものが重要視されていない社会では、英雄は矮小化され、過小評価されてしまう。ある意味でその一番の“被害”を被っているのが、彼であると言えるからだ。特に日本は、60年前に「世界戦争」を体験したことで、ヘンな話、「英雄」に対するある種のアレルギー、拒絶反応が生まれてしまった。特に朝鮮半島に出兵した秀吉は、日本史最大の「英雄」でありながら、同時にあまり声高に評価できないような後ろめたい存在にもなってしまっている。
●いま、新しい「歴史」が生まれる時
この点にある種のねじれ現象があることが理解できるだろうか? 日本の代表的な「英雄」を素直に「英雄」として認められず、後ろめたいどころか、どこかでダサイとすら感じてしまう風潮。これは大衆的なリーダーというものを拒絶する感覚と、心理的につながっている。なぜか? リーダー=英雄は戦争を引き起こす存在でもありうるからだ。戦争など引き起こしてしまえば、他国に迷惑がかかる。独裁は駄目だ、ファシズムは駄目だ、これからは民主主義で行こう。……そんなふうにして大衆に選ばれた人に、なおかつリーダーシップを求めようとする。
言ってしまえば、リーダーシップを否定される風土で、リーダーはリーダーらしく振る舞えと、無茶な要求をしてきているわけである。リーダーであるべきはずの政治家の多くもこのねじれ現象が自覚できないまま、先に触れたように、“政策についてもっと議論しよう”、“選挙の争点は政策であるべきだ”という。政策はブレーンが考えればいいものだ。政権を握った場合は、官僚たちが考える。政治家に必要なのは、こうした頭脳集団を束ねる人望、つまりは器であるはず。しかし器が大事という視点が欠けているため、なかなかこの単純な結論が導けない。
よく知られた話ではあるが、「三国志」の諸葛孔明は並外れた知略の持ち主として描かれているが、自分自身がリーダーになろうとは思わなかった。劉備玄徳のほうが自分より大きな器を持っていることを、彼は理解していたからだ。だから劉備の死んで、彼の治めた国(蜀)の事実上のリーダーとなったあとの彼は、器以上のものが要求される局面に立たされたため、つねに悲劇がつきまとった。しかし彼の場合、器がなければ国は収まらないという前提を理解したうえで、できるかぎりのことをした。だからギリギリのところで国をまとめる中心となりえたわけだ。
さて、話がそれたが、先の戦争が終結してことしで60年。人間で言えば還暦にあたる。60年は、干支(*)を組み合わせた東洋流の時間の単位。この60年を一区切りに歴史は循環し、推移していくものと捉えられてきた。東洋人でありながら西洋の直線的な歴史観に慣れてしまっている現代の我々にとって、この時間が60年を一単位で循環する発想は意外に忘れ去られている。しかし、一般的な感覚と照らし合わせても、だいたいこれくらいの歳月で「過去」が「歴史」となるということは実感できる。言い換えるなら、戦後を区切りとした場合、新たな歴史が作られようとしている段階に、いまさしかかっている。
*12年単位の十二支(子、丑、寅……)と10年単位の十干(甲、乙、丙、丁……)の組み合わせ。12と10の最大公約数が60となる。壬申の乱(672年)、戊辰戦争(1868年)などといった呼び方は、この干支をもとに名づけられた。
●過去のものになりつつある「民主主義」
新しい歴史の生まれる段階では、新しい発想が生まれ、それが世の主流となったりする。過去の60年で言えば、民主主義という発想が新しかった。しかし、温故知新という言葉ではないが、東洋人の感覚で言えば、新しいと思えるものでも必ず前例はある。歴史は循環するものであるから、一つの型が形を変えて何度も繰り返されている面があるということだ。何も難しいことを言っているわけではない。会社などでもワンマン社長が亡くなったり、失脚したあとは、得てして集団合議制などが採用される。ワンマンの負の部分が問題視され、話し合いが大事という意識になるからだ。あるいは、束ねる人がいないという現実問題も発生する。
民主主義も一つの大事な発想だが、一歩間違えば衆愚政治になることは、古代ギリシャ・ローマの頃から教訓にされてきた話。いまの政治家や評論家が語るような永遠の目標でも理念でもなんでもない。逆にいま社会がうまくいかなくなってきたのは、民主主義の負の部分が表面化してきたからだ。いい部分はいい部分として残し(というより、いいものであるならそれは自然に残ってゆくし、廃れはしない)、欠落したものを補う必要がある。それが器という感覚。といっても、何かの政策を実施して変えられる類のものではない。人々の意識が変わっていくことで、自然と変わるべくして変わってゆく。その空気を読み取ることが必要なのである。
大局的に見れば、この日本社会にも、これからしばらく戦国時代的にいろいろな「英雄」が現れてくるように、筆者は思う。「豊臣秀吉」の段階までに到達できるかわからないし、できるとしてもすぐというわけではないだろう。また、「秀吉」が出現したからといって、別にガチガチの独裁者が恐怖政治を行うといったようなマンガチックな危機感を必要以上に抱かなくてもいい。どんな人がどう現れるかなど筆者は知らないし、そこに何の保証もないが、「戦争反対」を訴える人たちが訴えるまでもなく、日本の大衆は軍事的成功も、経済的成功も一度味わい、いま、その先の“何か”を求めはじめている。歴史を循環しながら、成長もしている。いまさら昭和にも、戦国時代にも、戻りたいとは誰も思ってはいない。
大衆の意識などある意味漠然としたものではあるが、しかし繰り返すなら、どの時代においても、大衆が意識し、望んだリーダー(英雄)が現れるのである。混乱から調和を生み出したいというなら、まとめる力が必要であることをまず意識する必要がある。まとめる力とは、繰り返すが諸葛孔明的な知略でもないし、いまの政治家がさかんに語る政策でもない。そんなものを一切持っていない「愚人」でも、「器」さえ持っていれば「英雄」になれる。そんなことは日本史以前に、古代の中国史からも当たり前のように「学べる」話ではないか。
●スポーツの中だけに閉じ込められた「英雄」
先ほど筆者は、いまの社会の混乱に原因があるなら、それは日本人の意識の「ねじれ現象」にあると書いた。言い換えるならば、すごい人は素直にすごいと思う。その感情を抑圧せず、ありのままに認めてしまえば、違った景色が見えてくるということ。“還暦”の60年がすぎ、先の戦争を「過去」ではなく「歴史」として感じられる世代の眼から見れば、「昭和天皇が溥儀(満州国皇帝)のような人でなくて良かった」と素直に思えてしまう。器が違いすぎるからだ。
これを右寄りだとか、天皇制礼賛だとか仰々しく言われてしまうと困ってしまう世代が、もう確実に存在していることを、いわゆる“旧世代”の人には理解してほしいと思ったりもする。民主主義全盛の時代では、「英雄」はすべてスポーツの世界の中だけに閉じ込められてきた。同じ器の大きさを持った存在でも、スポーツが得意な(運動神経の優れた)者のほうが本領を発揮しやすいような、そんな“閉ざされた土壌”が一方で存在していた。この閉ざされた土壌の背景には、閉ざされた日本人の感覚がある。しかし、サッカーの日本代表の活躍に熱狂する若い世代の心理は、もはやこの壁を打ち破れるすぐ手前まできている。
一つの予言として言えることは、これからの新しい“60年”の時間の中で、おそらく存在価値(人気)が急浮上してくる歴史人物の筆頭が、豊臣秀吉であるということ。「脳を超えてハラで生きる」の中でも書いたが、織田信長や幕末の坂本龍馬などの人気は、振り返ると「あれ?」というくらいに失速するかもしれない。といって、彼らに魅力がないということを言っているわけではない。幕末では西郷隆盛のような当たり前の中心人物が、当たり前にクローズアップされるようになる。そのように、少しずつ時間をかけて大衆の心理が変化していくということだ。
秀吉に対する再評価が浮かび上がっていく過程で、別に“秀吉ブーム”が起こるとかそういう現象は、あるかもしれないし、ないかもしれない(というより、そこに興味があるわけではない)。ただ、秀吉的なものが浮かび上がってくることで、日本と朝鮮との「過去の問題」も初めて正面から問い直せるようになるのではないだろうか。これは英雄・秀吉が日本人に残した「宿題」のようなものであり、その点でも彼の存在は象徴的だ。良いものも悪いものもすべてスッポリ呑み込んでしまっているからこそ「英雄」は「英雄」だからだ。象徴的存在には、当然、負の問題もある。善人や聖人と英雄を同一視してしまわないことだ。
●日朝問題のキーパーソンとしての「秀吉」
日本の“代表的英雄”が秀吉である以上、今の日本人は、良くも悪くも「秀吉」という枠の中から抜け出せていない。400年前に生み出された型のなかで、何度も歴史を循環させながら、その枠の近くまで肉薄したり、逆に小さくまとまって枠自体を見失ったり、そんな意識の変遷を繰り返しているのである。そもそも、簡単に抜け出せるような小さな枠ではない。まず彼の器の大きさを体感し、その底抜けの、恐ろしいまでの人間力を、日本人の作り出した作品として感じてみる。そして、彼がなぜ「大陸出兵」に挫折したのか? その点も問うてみる。
ここではすべての答えまで出してはしまわない。ただ言えることは、いま日本人に何が問われているのか? この点が大きく関係してくるということ。もしかしたら、「大陸」をキーワードに、国際交流、グローバルスタンダード……そんなお手軽なフレーズが浮かんでくるかもしれない。しかし、そのじつ蓋を空けてみると、自分たちの作ったルールと、世界で広く通用しているルールの違いすらも、我々の多くはまだ実感できていない。ドイツ人がフランス人を認識するような感覚で、我々は韓国人や中国人を認識できない。簡単に言えば、じつは親戚同士なのだということだが、おそらく日本人一般の感覚では、まだまだ「近くて遠い」のレベルだろう。これでは400年前の秀吉を批判もできないし、笑えもしない。
いずれにせよ、「秀吉」の向こうに、彼も一時は渡ろうとした朝鮮半島の影が見えてきた。一般には「近くて遠い」と言われて久しいかもしれないが、じつは筆者の感覚では、関東と関西の違いくらいの差異しか感じていない。韓国に旅行したこともないし、日本に住んで在日の人と語ったような経験もほとんどない。しかし、自分の意識の中の壁さえ取り払っていけば、必ずしもそんな必要はない。なぜなら歴史の旅は、誰もが意識の中で行っている。現実の旅とそれは質において変わらない。現実という有限の世界をすべてと思って「現場主義」を唱える人が、いくら「取材」を繰り返そうが、意識の世界の広さに目を向けられなければ、実質的には何も変わらない。まさに意識次第で、距離はいくらでも縮められるのである。
次の稿では、いまなぜ「秀吉」なのかという問いの一つの核心、日本と朝鮮の歴史について、循環する歴史を切り取りながら解きほぐしていこう。様々な経緯からもつれ、こじれた問題だが、糸口はある。一番身近なところから突破することで、秀吉の夢みた「大陸=世界」の姿も見えてくるかもしれない。
投稿者 長沼敬憲 : 2005年03月14日 03:07