はじめに



ぼくはあるときから言葉が喋れるようになりました。
こう言うと何の事かと思うかもしれませんが、本当のことです。
それと同時に、多くの人が言葉を持っていない、
ただ声を発しているだけだということにも気づきました。

日本人は言葉のことを「言霊」と呼び、古来からとても大事にしてきました。
言葉にも霊が宿っている、生命がある、ということです。
その生命の宿った言葉を使えるということが、ぼくにとっての「喋る」ということなのです。



そう考えれば、多くの人が喋れてないということも、
あながち暴論でないことがわかるはずです。
お喋りになることが、「喋る」ことではないのです。
沈黙が最も雄弁であるということもあります。ということは、言葉は声を超えたものです。

しかもそれは、決して神秘的なものではなく、ごく日常の中で身につけられるものです。
身につけるためのコツや、ノウハウもあります。
もちろんあるからといって、すべての人がスラスラ喋れるようになるかはわかりませんが、
オリンピックで金メダルを取るよりは100倍は簡単です。
その意味では誰にでもできます。


喋れない状態というのは、要するに、「自分が見えてない状態」なのです。
英会話を覚えても、ディベートがうまくなっても、その不安は解消されません。
簡単なことです。自分の思いがそのまま言葉になればいいのです。
この一致した感覚が、人にとってこの上ない快感なのです。
音楽も、文学も、絵画も、本質的にはこの感覚と関わっています。
いや芸術に限らず、それをつかむことで、人生に対する手応えも得られます。
社会的な地位や評価とかかわりなく、それ以前のところで「自分は大丈夫だ」と思える感覚。
あるいは余裕。

みなさんも、そうしたものが本当は欲しいのではないですか?


ぼくは必ずしも失語症(病気としての)だったわけではありませんが、
「自分が喋れない」という自覚を子供の頃からずっと持ってきました。

生まれつき喋れたわけではないのです。
あるとき言葉と出会えたのです。それは確かに出会いでした。
だから言葉の尊さがわかるのです。みなさんにも知ってもらいたいと思うのです。

いま言葉が道端にゴミのように捨てられています。
これは比喩ではなく、言葉が生き物のように見える者としては、本当に愕然とする現実です。
生きていることが、半ば放棄されたような状況なのです。

この半死半生の状態から抜け出すことで、
あなたは身体中に絡みついている不自由な鎖をひとつひとつ解いていく、
確かな術が得られます。


欲しいとさえ思えば、理屈自体は簡単なことです。
だからこの本も、極力わかりやすく書こうと思っています。
言葉の本質を知ることで、同時に生きることの本質も見えてくるような内容です。

そしてそれが決して大げさなものではなく、物凄く当り前のものであるということも。
それを共有できるきっかけになれたら、これほど嬉しいことはありません。
きっとぼくのように生きていくことができるでしょう。






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