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2001年05月12日

■日本人の「アメリカ信仰」について。

 先日、「ニュース・ステーション」にゲスト出演していた大橋巨泉氏が、日本のプロ野球の現状に対して、次のような発言をしていた。

「日本の野球中継(巨人戦)がいま低視聴率に喘いでいるが、もともとアメリカよりレベルが低いのだから、当然の話。メジャーではロクな実績を挙げていないカブレラ(西武)やペタジーニ(ヤクルト)があれだけホームランを打てるのが、なにより現実を物語っている。巨人だけに戦力の偏ったいまのシステムを変えないかぎり、日本のプロ野球に明日はない。しかし、それも難しいだろう。私はほとんど諦めている」

 ……だいたい、このような内容だったと記憶している。
 大橋氏は芸能界をリタイアして以来、アメリカやオーストラリアなどを拠点にして事業を展開していると言われているが、やはり「本場はアメリカ」という意識が強いようだ。まあ、有能な国際人と言われる人のなかには、そうした感覚を持った(それゆえいまの日本にダメぶり?を感じてしまう)人は少なくないわけだが……。

 しかし筆者は、「それは彼らの“頭が良すぎる”からだ。その長所が逆にアダとなって、日本という国の本質を見えなくしている」と、思っている。詳しくは、間もなく発表予定の新作「人が「脳」を超える時代」(*「脳を超えてハラで生きる」のこと)の3章あたりでも論じているが、ここでは野球の話を例に挙げながら、カンタンに触れてみることにしよう。

 たとえば大橋氏は、「日本の野球のレベルは低い」と言うが、本当にそうなのか? 
 メジャーに挑戦した日本人を例にとれば、野茂にはじまり長谷川、佐々木……と、ピッチャーに関しては、先発、中継ぎ、抑えとすべてのタイプが実績を上げている。おそらく実力的に見て、各球団のエース級のピッチャーならば(中継ぎや抑えのエースも含め)、みなそこそこの成績は挙げられるとみておかしくないだろう。

 逆に言うなら、カブレラやペタジーニがホームランを連発するのは(カブレラに至っては、今のペースでいけばあの王貞治の年間最高記録=55本を超えてしまうと言われている)、野茂をはじめ有能なピッチャーがメジャーに流出してしまっているからであって、それをもって「日本のレベルは低い」と語るのはスジが通っていない。むしろ日本球界が一定以上のレベルを有していたからこそ、メジャーであれだけ活躍ができる選手が出てきた。レベルの低下は、単純な戦力ダウンと捉えるべきではないのか?

 これはバッターについても、同じことが言えるだろう。
 メジャーでも活躍をつづけているイチローの存在は別格としても、彼につづく選手としては、おそらく20〜30人のバッターの名が挙げられるはずだ。たとえば、巨人の松井、高橋、ヤクルトの古田、近鉄の中村、横浜の鈴木尚典、ダイエーの松中、城島……。阪神の4番だった新庄の成績が現在2割5分台ということを踏まえれば、彼らのなかにそれ以上の成績を上げる選手がいたとしてもおかしくはない。
 ……これがどうして「レベルが低い」という話になるのか、筆者にはよくわからない。要は、メジャーのほうが組織の規模が大きく、その分人材が多いということでしかないと思うのだが……。

 むしろ問題なのは、大橋氏も指摘しているように、現行のシステムの問題なのである。いまのプロ野球界には、本当の意味での「興行師」がいない。だから、プロ野球の未来に対して、リアルなビジョンが示せない。「ワールドカップ制覇」という究極のビジョンを持ったサッカーと比べれば、純粋にゲーム自体、プレー自体を楽しむしかない状況である。
 それにもかかわらず、有能な人材が海外へ流出したら、戦力が巨人にばかり偏ったら……、面白くなくなるのは子どもの目にも明らかな話。レベル云々という観点で日米野球を比べることは、あまり本質的とは思わない。むしろそうした感覚自体、国際的というより、日本人の「舶来志向」の現れと思われるわけだが……。

 たとえばイチローに関しても、日本人がもともと持っている「柔よく剛を制す」の感覚をあれだけ明瞭に体現しているにも関わらず、日本の評論家もマスコミも、あくまでメジャーというモノサシのなかで彼の評価を位置づけようとする。

 イチローが200安打を記録して華々しくブレイクしていたころ、あれだけ「凄い」「革命だ」と騒ぎ立てていたにも関わらず、彼の才能がメジャーの枠のなかでは括りきれない、また別の身体感覚に根ざしたものであるということに、どれだけの人が気づいているのだろうか?(これについても、当HP「スポーツは「武道」である!」などの中ですでに発表済み *「サムライ」のこと)。

 彼は日本にいたころ「夢の4割達成なるか?」と常に騒がれていたが、その夢がメジャーで達成されてしまったとしたら、アメリカの歴代バッターをさしおいて、「普通に4割の打てるバッター」になってしまったら……。
 そうなったらアメリカ人は、「なぜ?」と考えざるをえなくなる。日本の武道の中で追求されてきた「柔よく剛を制す」の感覚が、その時、何らかの形でクローズアップされることにもなるだろう。アメリカンスタンダード(つまり、世界標準)に慣らされてきたとうの日本人は、その流れにどれだけ対応できるだろうか?

 優秀な国際人たちが見落としている「死角」に、新しいスタンダードは隠されている。
 その実態を知ることで、人間の新しい、劇的ともいえる「可能性」が見えてくるということに、我々はもっと深く気づくべきだろう。
 人の意識の「革命」は、いま水面下で、着々と進行しているのである。

投稿者 長沼敬憲 : 2001年05月12日 09:24

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