2001年05月12日
■密室が「悪」とはかぎらない。
いま日本では、新しい自民党の総裁=首相の選出が終わり、戦前の予想を大きく覆す形で、小泉純一郎氏がその地位についたばかり。
森氏の選出が「密室」だったことの反動からか、「国民の声をよく聞く」彼に対して、国民の多くが期待を寄せているようだ(初回の支持率が80%以上だったと聞く)。
もちろん、そうした感覚自体が「おかしい」と言いたいわけではない。
ただ、いつも思うのだが、どうしてみな物事を「善悪」で考えたがるのか? たとえば密室政治は悪、談合も悪、民主的だと善、ガラス張りも善……。こうした「基準」がほとんど何の疑いもないまま、評価の前提になっている。
しかし、最低の民主主義が存在しうるのと同様、最高の密室政治も存在しうる。
もちろん、その逆も然りである。
民主的だからよりよい政治が実現できると素朴に思っている人は、単純に森氏を悪、小泉氏を善とするだけで、それ以上の自由な発想はなかなか得られない。ただ勧善懲悪のストーリーだけが、ぐるぐると進行していくだけなのである。
たとえばみな、森氏が密室で決められたことを批判している。
しかし、彼が相応の仕事をする人物だったら、その密室での判断は「正しかった」ことになる。逆に、民主的に選挙で選ばれた青島前都知事が(もはや古い話だが)、政治家として果たして有能だったかどうか? 森氏の選出を判断ミスとするなら、あの時彼に投票した都民も、明らかに判断ミスである。
……どうだろうか? そもそも、森氏を批判していた人の多くは、あの時青島氏に投票したクチではなかったのか? そして、自分の「ミス」に対してはさして自覚もないまま忘れてしまい、「森はダメだ」「小泉なら期待が持てる」「田中真紀子を首相に」とか言っているわけである。
そもそも、そうした批判をするより、もっと批判すべきことはあるはずだろう。
たとえば、今回野中氏はなぜ出馬しなかったのか? ここ数年の政局を主導してきた黒幕?として、彼自身が「責任」を果たすべきではなかったのか? ……そうした「当たり前の」批判がほとんど出てこなかったこと自体、筆者には不思議である。
要するに、「スジを通す」とはどういうことか、わかっていない人が多いからではないか? という気がしてくる。だから、最初に目を向けるべき場所を見誤ってしまう。だいたい野中氏自身、自分の代わりに橋本氏を立てて、それで見事に破れたのだから、スジを通すどころか、計算すら間違っていたことになるわけだが……。
筆者に言わせれば、密室であろうが、永田町の論理であろうが、ただ肝心の場面で矢面に立つことさえできれば、それが政治家の姿に他ならない。
しかし、「反乱未遂」に終わった加藤紘一氏に対してあれだけ批判したマスコミも、国民も、今度は歯切れのいい?小泉氏に目を向けるばかりで、どうにもこうにも、ただステレオタイプな反応を繰り返している。けっきょく目先の現象に踊らされているだけで、いったい何が肝心なのか、何も見えていないのではないのか……。
まさに政治家は、国民の意識の反映なのだとつくづく思う。
自分自身が森氏であり野中氏であると自覚できないかぎり、政治家の質はいつまで経っても変わらない。小泉氏が首相になろうがなるまいが、自分の感度を磨いていけなければ、そうした現実の「意味」を見抜く目は養われないのである。
みんな、もっと勉強しよう。そして、まずは「自分自身」に目を向けてみる。
あらゆる「答え」は、そこに隠されている。
投稿者 長沼敬憲 : 2001年05月12日 08:28