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2001年06月02日
■日本とブラジルが「融合」するとき。
最近出ていた「Number」で、ブラジルの格闘家たちが特集されていた。
スポーツ強国として知られるブラジルだから、サッカーあたりが取り上げられるのは珍しくないが、表紙やグラビアに桜庭と戦ったシウバやビクトーらが起用されていたのを見て、少々おどろいた。数年前にはまったく考えられなかったことであり、「ああ、格闘技もかなりメジャーになってきたんだな」と実感したわけである。
まあ、立ち読みしただけなので内容についての論評は差し控えるが、パラパラと中をめくっていっただけでも、彼らのポテンシャルの高さが十分に伝わってきた。おそらく格闘技というジャンルで国別ランキングを作っても、ブラジルが最強国に位置づけられるだろう。それくらい彼らの身体能力は秀でているのである。
ちなみに、このランキングでベスト5を作るとしたら、2位がアメリカ、3位がロシア、4位と5位が、日本かオランダ、あるいはフランスといったところだろう。
アメリカはやはり国土の広さ、人種の多様さ、そしてそこからもたらされる事件やトラブルの多さ、発想の自由さ……などが、強い人間を生み出す条件を作り出している。この点は、ロシアも同様。ソビエト崩壊後、経済的にはなかなか厳しい状況が続いていると言われているが、結果的にはそれがプロ化を促進させてきた。
一方、オランダの場合、なぜか身の丈のバカでかい人間が多く、k-1で活躍するアーツやホーストをはじめ、特に立ち技に優れた選手が多い。またフランスも、ヨーロッパ柔道のメッカであり、k-1選手で例を引くならば、バンナやアビディのような有能なボクサーも輩出させている。そして日本は武道の発祥の国である。
……と、これらの国々を見渡すと、いくつか面白いことに気づかれないだろうか?
たとえばブラジルは、政情が非常に不安定なことで知られている。経済事情などは日本と対極。だから、ヒクソンやホイス、ヘンゾをはじめ、フリーファイトで成功したグレイシー一族なども、いまでは多くがアメリカで道場を経営している。また、自国で開催される大会ではあまり稼げないので、主戦場はもっぱら日本である。
要するにブラジル人は、優れたソフト(選手)は生み出すが、ハード(イベント、大会)を作り出す能力には長けていない。その点では日本やアメリカに一日の長があると言ってよく、特に観客の目の肥えている日本の場合、選手自身も自分たちの技術を披露できる場として、自国以上に敬意を抱いてくれているようだ。
要するにブラジル人の強さは、ハングリーにならざるをえない環境、つまり政治・経済の非常に不安定な国に生まれたことに、その多くが起因している。
一見するとマイナスの要素でしかあり得ない不安定さが、「ナメられたら終わりだ、そんなことでは生きていけない」という強烈な気概を生み出す原動力にもなっている。あるいは、ひと昔前の日本にもこれとよく似た状況があったんだろうな、という想像も十分に成り立つだろう。今のブラジルと昔の日本は、似通う面があるのである。
日本は、よく知られているように、明治維新を経て、大幅に欧米文化を取り入れてきた国である。また、第2次大戦に破れて以降はアメリカ文化を積極的に受容し、世界でも有数の経済大国に成長するに至っている。ハッキリ言えば、かつての時代のような(たとえば、戦前や江戸、明治の頃のような)ハングリーさはない。
しかし、国が豊かになり、ハングリーさを失い、堕落した?と言われる中でも、イチローや中田のようなニュータイプのスポーツ選手が生み出されていることも、これまた事実である。格闘技界で言えば、彼らによく似た桜庭和志のようなレスラーが現れてもいる。その意味では、決してダメになったばかりではないわけである。
筆者の目から見れば、こうした現実は、「苦労のない、非常に豊かな環境の中でも、優れた人間は育ちうるのか?」といった実験を、日本人自らが無意識のうちに取り組んでいる証のように映っている。ブラジル人は、今の日本人がそう簡単に追いつけないほどの素晴らしいポテンシャルを持っているが、たとえば我々のような「豊かな」環境が与えられた時、それは退化してしまうのだろうか? だとするなら、彼らの国に経済的な繁栄はありえない、それで本当にいいのか? という話にもなってくる。
あるいはアメリカのように、大富豪かホームレスかと言ったような非常に極端な社会システムが(それがアメリカンドリームと呼ばれているわけだが)、果たして未来にわたって永続可能な、人に自由をもたらすシステムと言えるかどうか。
われわれはいま、他者を通して自己を変革させていく必要に迫られている。
教育の基本は相手の長所を積極的に伸ばすことだと言われているが、その基本を踏まえた上で、さらにその当人の不得手なこと、あまりやりたくないことにも関わらせる必要がある。そのことで無自覚だった潜在能力が開花する可能性が生まれうるのである。音楽家が音楽だけを追求する時代は、もはや過去の話と言えるのではないか? 一芸に秀でながらも、もっと全体の見渡せる視野の広さ、柔軟さこそが問われている。
言ってみれば、ブラジル人は日本人から組織作りや物作りのノウハウを学んで「経済大国」を目指すべきだし、日本人は日本人で、彼らと関わり合うことで、かつてのサムライ・スピリットをもっと明確に自覚し、蘇らせるべきである。アメリカ人やオランダ人との関わりにおいても、やはり同様に学び合っていく条件が隠されている。こうした「融合」の先に、トータルな能力を持った人間が作られていくのである。
おそらく、オレが一番だ、誰が一番だと多くの人々が言い合っている間に、こうした他者との「融合」を最も高度に吸収していった者が、国や民族を超えた巨大なヒーローとして頭角を表わすことになるだろう。じつはそのヒーローこそが、まだ過去において出現したことのない、真の「インターナショナル」な存在なのである。
筆者は、2010年前後にそのひとつの結論が出てくるのではないかとイメージしているが、これも決して夢物語を言っているわけではない。それどころか、そのヒーローが日本から生まれることだって十分にありうる、その可能性は多くの人が思っている以上に「高い」のだということに、我々はもっと気づくべきではないだろうか?
投稿者 長沼敬憲 : 2001年06月02日 09:16