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2001年06月02日
■韓国はなぜ「歴史教科書の修正」を求めるのか?
最近ニュースでさかんに報じられているのが、歴史教科書の検定をめぐる日韓の「摩擦」だろう。日韓だけでなく、「新しい歴史教科書をつくる会」の検定教科書を支持するかしないかで、日本のマスコミの間でも意見が分かれているようだ。
どうやら「つくる会」を支持すると、「右翼」ということになるらしい。
ということは、不支持側は「左翼」ということなるわけだが、その「左翼」的な感覚を持った人たちが現在のマスコミの中枢を担っている?という現状をふまえると、要するに、彼らが右と左の判断の元締のようになっているのかもしれない。
右でも左でもない、その真ん中の道を歩みつづける筆者としては、「つくる会」の教科書を支持する・しない以前に、こうした状況に妙な違和感をおぼえてしまう。
たとえば、何週か前の「サンデープロジェクト」という田原総一朗が司会をしている政治討論番組で、ゲスト出演した共産党の志位書記長が、
「つくる会の教科書では、大平洋戦争を大東亜戦争と記述している。大東亜戦争という呼称は侵略戦争を推進した軍部が名付けたもの。それを採用するということは、彼らが侵略戦争を肯定し、賛美しているなによりの証拠だ」
と、なにやらステレオタイプとも思われる批判をしていた。
……では、太平洋戦争という呼称は、どうなのか? 番組の中でも言っていたことだが(志位氏自身が言っていたような気がするが)、これも戦後に戦勝国・アメリカによってつけられた呼称なのである。軍部がつけたものはダメで、アメリカのつけたものならいいのか? 田原氏の問いに、志位氏は一瞬言葉に詰まっていたように思う。
日本が侵略国家なら、アメリカも中国も、言うまでもなく侵略国家である。
しかもさらにスケールの大きな侵略者であったことは、歴史教科書を読むまでもなく明らかな話。中国などは中華4000年とか5000年とか言われているが、要するにそれだけ侵略の歴史があるということでもある。いわゆる不支持派の人たちは、こうした事実を大目に見て? ひたすら日本の軍国主義だけを問題視しようとする。このあたりは「つくる会」も指摘していたように思われるが、たしかに矛盾している。要するに、ある種の強いこだわりが、当たり前の現実を見えなくさせているように思えるのである。
その意味では、日本の侵略を非難できる資格?がありそうなのは、韓国くらいなものだろう。たしかに韓国は、侵略国家としての歴史は日本以上に希薄であり、彼らが過去の日本国の行為に対して恨みを抱く感情は、非常にピュアなものであると思う。
しかし筆者は、それをふまえた上でも、彼らの発言にあまり共感は持てない。
細かい問題はここではふれるゆとりはないが、なにやら自分たちの国の「悲劇」をすべて日本のせいに、「責任転嫁」しているきらいがあるからだ。
しかし、果たしてそうなのか? 日本が侵略国家であったとして、ではなぜ、彼らはその侵略から国を守ることができなかったのか? 当時日本と朝鮮は、欧米の列強から見れば非常によく似た立場に置かれていたはずだ。彼らが「明治維新」を起こせなかったのも、日本のせいなのか? 日本が近代化に「成功」できたのも、ただ運がよかったからということか? あるいは「悪どかったから」とでも言うつもりなのだろうか? 他者の責任を問う以前に、まずそのことを問うべきだと思うのだが……。
筆者は、彼らの発言が事実に照らし合わせて「正しかった」としても、日本がそれを認めて心から謝罪したとしても、決して問題は解決しないと感じている。
つまり、そういうことでは「ない」のだと気づくことができないかぎり、本当の意味での「自己肯定」には出会えない。ただ自分たちの面子?が守られるというだけで、何かを作り上げていこうという真の意欲は生まれえないのである。
韓国は、日本に対する怨恨や敵がい心をエネルギーにして戦後を歩んできた面があるように思われるが、戦争終結から50年が経ち、もうそんなモチベーションだけでは先へ進めないところに来ている。こうした意識のままではなかなかワールドカップでも勝てないだろうし(日本が勝てるという保証もないが、可能性ははるかにある)、南北統一など夢のまた夢であるはずだ。……そういう「状況」に気づくべきではないのか?
日本に対する「恨み」も、もっとちがう形で晴らすことができるのである。
……ということで、こうした巷の論争をよそに、筆者や筆者と心を同じくする人たちは、国境を超え、時代を超え、どんどんと先へ進んでいく。日本人であるということも大きな武器としながら、日本人以上の日本人になろうと考えている。
韓国人も、そうした障壁を乗り越えて、韓国人以上の韓国人を目指すべきである。
民間レベルでそのような握手ができたとき、おそらく本当の隣人として、150年前にはなし得なかった「日韓同盟」が、自然と締結されていくだろう。
これもまた、決して夢の話ではない。すでにタネは蒔かれはじめている。
筆者には、それが見えている。
投稿者 長沼敬憲 : 2001年06月02日 09:21