« ■地べたに座り込む若者と、「燃え尽き症候群」 | メイン | ■「対米同時多発テロ」と日本のサムライ。 »

2001年08月17日

■「織田信長」では、構造改革はできない。

 いま政治や経済の世界を中心に、さかんに「構造改革」の必要性が説かれている。
 その捉え方については、すでに他の著作の中でも幾度か触れているが、ここでは「なぜいつまで経っても、構造改革がままならないのか」、その点について再度考えてみたいと思う。

 結論を言えば、今の小泉内閣が奮闘努力しても、そう易々と構造は変えられない。
 なぜか? まず人が変わらなければ、システムもスタイルも何も変わりはしないからだ。しかし、多くの人は変わるといっても何をどう変えたらいいのか、その「答え」なり「ビジョン」なりをハッキリと持ってはいない。当然、そんな人たちがメディアなどでシステムの不備を指摘しても(それによって、そのシステムが改善されたとしても)、また別のところから問題が噴き出してしまうものなのである。

 変わるとはどういうことなのか、それによって当の自分自身がどう変化するのか?
 まず問わなければならないのは、この点に尽きている。外務省やら警察やら、そうした組織の「汚点」を突ついたとしても、それが理解できないかぎり、結局のところ、その関係者がさらし者にされて、謝るだけで終わってしまうだけだろう。
 そのへんのあてどない「構造」に、そろそろ気づくべきではないのか?

 とはいえ、現実問題として、やがて「構造」が「改革」されるときはやってくる。
 なぜかということに関してもすでに筆者は見解を述べているが、簡単に繰り返すならば、それが自然の流れ、成り行きであるからと言うほかない。
 不自然なものは、遠からず、必ず自然な方向へと戻ろうとする。その点は、大局的に見れば、人も自然も社会も、みな同じ「構造」の中にある。

 だから無理に頑張ったり、あれこれ心配する必要は必ずしもない。いずれはどのような形にせよ、世の中は変化していく。そして滅びてしまう国、分裂してしまう国もあるわけだが、日本は一貫して「必要な努力」を積み重ねてきた経緯があり、不自然な原因が淘汰されていけば、むしろ抑え込まれていた力が溢れ出るようになる。

 えっ、日本てそんな努力をしてきた国なの? と思った人は、もっと平明な目と耳で、もう一度世の中のことをお勉強し直したほうがいいだろう。したたかで賢い人たちは、さまざまな社会問題が噴出し、閉塞感が問われているなかでも、キチンと見る目を養っている。問題は、その不自然な「原因」の中に自分自身が含まれてしまっているのか? 改革される「構造」といっしょに、淘汰されてしまうような生き方をしているのか? 第一に深刻に問うてみなければならないのは、その点なのである。
 怖がらなければならない立場の人は、もっともっと怖がったほうがいい。

 ところで、こうしたカラクリのわからない人たちは、はたから見るにつけ、ある種の「暴力革命」のようなものを夢見ているところがある。
 つまり、改革を断行するには、多少乱暴でも実行力のある政治家が現われ、さまざまな障害を乗り越えていかねば、とても変わるものではない。たとえるなら、戦国時代の織田信長のような人物こそ、最も必要なのだと言うことらしい。

 筆者に言わせれば、ただ世の中の気が熟していないだけなのだが、みな何を焦っているのか、日本がダメになる、日本がダメになると呪文のように唱え、それを食い止めるためには劇薬を投与しなければならないと、そこかしこで説いているわけである。

 そもそも筆者は、信長という人物をそういう点でまったく買ってはいない。
 彼のような人格に欠陥のある、思いつきで行動するタイプの人間は、人材登用やシステムの整備に多少の合理性が見られたとしても、「だから何?」というほどのものでしかない。昨今は信長好きの人が多いので何かと反論もあるかと思うが(いずれ一冊の本にまとめるつもりなので、それを参照してもらいたい)、筆者は「結局信長が好きだという人は、田中真紀子のような政治家を支持しているのと同じではないのか? 本当に彼女が政治を変えられると思うのか?」と問いたいのである。
 
 みな、田中真紀子というヒステリック体質で、人の心がわからない女性(としか言いようがないと思うのだが、いかがだろうか?)に対し、ただ言いたいことをズケズケ言えるというだけの理由で、無意味な期待をしすぎているのではないか?
 当り前と言えば当り前のことだが、人の上に立つ人間にとって最も必要なのは、部下たちの心をつかみ、把握し、しかも心服させるだけの器量にある。そんな基本的な能力のない人間がいくら「改革の大鉈」を振るっても、必ず反発に遭う。

 信長にしても、彼が配下の明智光秀に謀反を起こされたのは、光秀が「保守的」で「頭が固く」、信長の「改革」を理解できなかったからというわけでは必ずしもない。そう考えるよりも、もっと単純に、「こんな人にはとてもついていけない。自分でチャンスをつかんだほうが、よっぽど将来がある」と、思ったからではないのか? ただそれが思いがけぬ秀吉の対応力により、失敗してしまった。だからといって信長が家臣に見限られたという事実は、決して変わることはないのである。

 それよりも、もっと当り前のことができる自分になろう。中途半端な人格の人間を劇薬扱いで評価するのではなく、もっとみなで納得して動いていけるだけの人間的な器量を、自分の与えられた役割の中で身につけ、発揮していく。

 それができない、したくない、面倒だという人が、日頃の溜飲を下げるくらいの理由で、アジテーションの得意な人に喝采を送る。そんな無責任な体質から抜け出すことができれば(それが「構造改革」である)、そこにはもっとオーソドックスでスタンダードな、それゆえに手応えのあって刺激的な世界が待っている。残念ながら、信長はそこにはいない。彼のような人物に「頼ろう」という発想もなくなってしまう。

 ちなみに筆者があの時代で最も魅かれるのは、豊臣秀吉と武田信玄である(エキセントリックという意味では、信長などより、謙信のほうがはるかに面白い)。
 読者にはそのワケが見えてるだろうか? それがわかったとき、はじめて改革や変化の意味も見えてくる。我々の進むべき道も、自然と浮かび上がってくる。
 改革とは、「普通になる」ということなのである。

投稿者 長沼敬憲 : 2001年08月17日 12:43

コメント

コメントしてください




保存しますか?