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2001年11月12日
■田中真紀子氏がいまだに支持されつづける理由。
筆者には不思議でならないが、政界混乱の元凶のひとり、外務大臣の田中真紀子氏がいまだにかなり高い支持率を誇っている。
たとえば就任半年後にあたる最近、フジテレビ「報道2001」が首都圏の成人男女500人を対象に行った調査では、60.6パーセントが「支持」(調査日は11/8、9)。外務省の人事やら国際会議の出席やらをめぐりあれだけ問題が噴出してるというのに、まだ過半数の人が彼女の言動に期待を寄せているわけである。
これは正確に言えば、彼女への期待というより、外務省をはじめとする日本の役人に対する不信感が根強いことの現れと言えるだろう。
しかし筆者に言わせれば、田中氏にいくら期待したところで、抜本的な外務省改革などできはしない。それは言うまでもないが、まともな感覚を持った外務省の役人ですら、彼女の言動を支持していないと思われるからである。あれだけエキセントリックな性格では、あまり深く関わりたくないと思うのが人情ではないだろうか?
つまり、彼女を支える役人がいつまで経っても現れないのは、彼女自身の資質に問題があるからであって、それ以上の理由などありはしはない。仮にそうではないというなら、すべての役人たちが利権にまみれた極悪人ということになってしまう。……こんな単純な勧善懲悪の構図を、田中氏の支持者は思い描いているのだろうか?
確かに報道されたような「利権まみれの役人」も、少なからずいるだろう。
いや、長く組織に関わっていれば、みなどこかで探られたくないハラは持っている。しかし同時に、その現状を必ずしもよしと思っているわけではない。変えていかなければという意欲も、心のどこかにひそませている。……おそらくこうした感覚が、ごく平均的な(外務省にかぎらず)役人たちの感覚ではないのか? 自分自身に照らし合わせればわかるだろうが、人の意識とはとかく単純には語れないものなのである。
……果たして田中氏が、こうした機微を感じ取れる人間であるかどうか。そのような対人関係のトレーニングを、キチンと積んできたのかどうか?
先の参院戦における群馬での応援演説などを見るにつけ、筆者の目には、氏が信用できる人間には、どう考えても映らない。
応援された候補が落選したのはべつに彼女の責任ではないという声もあるが、そんな「原因究明」などより、人が命を賭けて挑んでいる「戦い」にほとんどやっつけ仕事のように関わってしまう、あの態度が問題だろう。しかも、応援演説をいそいそと切り上げると、郷里で開かれた有名指揮者のコンサートに向かったという。結局彼女は、人の心が見えてはいない。いま役人たちにイジメを受けているなどという人がいるが、ただ単にそうした所業のしっぺ返しを食ってるだけではないだろうか?
悪を悪と呼び、それを糾弾することは簡単なことである。しかし、いくらそれが正論でも、人が動かないという現実。その原因を何かのせいにしているかぎり、人心を惑わすアジテーションばかりが繰り返される。本人は少しも成長しない。
物事はそのように単純に善悪に分けられるものでも、悪を無くせば善のみの世界になるわけでもない。それらの善悪を手玉に取れるくらいの器がなければ、状況が変わることなどありえない。……そのことを、みなもっと自覚するべきではないのか?
田中真紀子を支持する人の多くは、結局どこかで、この世の中のことを人事のように思っているのだと、筆者は思う。誰かが変えてくれる。何とかしてくれる。……問題の原因を棚上げにし、あとは「無責任」を気取っている。しかし、そういう人間は世の変動期に、混乱するだけの「烏合の衆」になってしまう。
それを「恐い」と思えるかどうか? イヤだと感じれるかどうか?
結局最後は、自分自身に降りかかってくる。なんとかなると思っていても、することをしていなければ、なんともならないのが人生なのである。
投稿者 長沼敬憲 : 2001年11月12日 07:59