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2002年05月18日
■政党を無くせば、政治は変わる。
前回に引き続き、「政治」をテーマに筆者の考えを述べさせてもらおう。
以前、深夜のバラエティー番組を見ていたら、珍しく共産党の志位和夫委員長がゲスト出演しており、硬軟混ぜながら自分の政治哲学などを語っていた。
話を聞いていくと、彼らの政党が政権奪取したとしても、たとえばすぐに自衛隊を廃止するようなつもりはないという。日米安保条約にしても、同様。自分たちの理念をいきなり現実化することは、さすがに難しいと思っている。世の趨勢を見ながら、少しずつでも理想に近づけていきたいといったところが本音なのだろう。
筆者が思ったのは、要するにどこの政党が政権を取っても、急に世のシステムが変わるようなことはありえないのだということ。
まあ、ある意味当り前の話だ。問題は、けっきょく共産党ですら現実主義的な発想ができてるというのに、みながみな互いに「違い」ばかりを主張し、国民に一生懸命「党の個性」をピーアールしようとしているということ。自分たちのカラーを明確にし、それをキチンと伝えれば支持が得られる、広がると単純に思っているのかもしれないが、本当にそうなのだろうか? それで他より抜きん出ることができるのだろうか?
ハッキリ言えば、過去はともかく、現在には右も左もないのである。
当り前の感覚で物事を突き詰めていけば、だいたい最後には同じ結論に行き当たる。せいぜいその結論へ向かう過程に、個々の思惑の違い、発想の違いが浮き出るだけで、その程度の差異などわざわざ政党を作って言い争うほどのものではない。すぐに結論を出せるような問題が、必要以上に話し合われ、事態を停滞させているのである。
要するに、筆者に言わせれば、政治にほんらい政党など必要ない。
ただ、多くの人が民主主義を過度に信仰しすぎているため(言い換えるなら、独裁政治に対する潜在的な恐怖感から抜け出せないため)、なにか保険でも賭けるような感覚で「政党政治」を容認している。不要なものを不要と言えないまま、「どうしたら政治不信が払拭できるのでしょうか?」などと口にしているわけである。
さて、ではなぜ、政党など不要だと言い切れるのだろうか?
簡単に言えば、組織が大きすぎるからだ。だから、同じ党に所属していても、個々の意見が食い違ってしまう。自民党などは党の中にさらに派閥まであるわけだが、その派閥のメンバーがみな一枚岩かというと、そういうわけでもない。
そのくせ、議案を採決するときは、決まって党議拘束がかけられる。
個々に意見を持っているようでいて、結局、その意見はつねに何かに縛られている。自由に発言しようとすると、どこかで待ったがかかるわけである。
このような状態で、果たして自由な発想が政策に反映できるだろうか?
先にも書いたが、ここが日本という国である限り、どの党が政権を担っても、何かがそうそう変わるわけではないのである。共産党であろうが、社民党であろうが、そこには現在の自・公・保政権とかなりの共通項が浮かび上がってくる。それが現実であるにもかかわらず、政党というアイデンティティを捨てられないがゆえに、彼らは「違い」ばかりをひたすら主張し続けなければならないのである。
では、政党が不要だとして、それに代わる政治形態などありえるのだろうか?
仮にすべての政党が廃止されてしまえば、個々の政治家だけが残される。といって、人が社会に生きている以上、必ず集団は生み出される。
べつに集団はあっていいのである。それは自然なことである。
ただ個々に意思があり、発想がある以上、その集団は時と場合により拡縮を繰り返す。いつも会う仲のいい友達と、時々お酒を飲む知り合い、趣味のサークルの場で顔を会わせるだけの仲間……、人は生きている中でたえず集団の性質と規模を作り替えている。そのごく普通にやれていることを、システムに反映させればいいのである。
そうなれば、いつどんな人間と手を組むのか、すべて自分の責任に委ねられる。
共産党に所属していた人間でも、共感ができる法案なら、自民党に所属していた人間と手が組める。左も右もなくなり、ただその時々の適切な判断力、つねに何が真実なのか見極める感性だけが問われてくる。組織に所属することで、自分自身がいつの間にか思考停止していたことにも、否応なく気づかされることとなるだろう。
結局、ニワトリが先かタマゴが先かではないが、「人が先か?社会が先か?」と問われたならば、明らかに人が先なのである。
しかし、自分が物心ついたと同時にすでに社会が存在しているため、その出来上がってしまっているものに心が縛られてしまう。過去に作られたものが、未来の自分を縛り、その縛られた感覚で未来が作られるという悪循環が繰り返されるのである。
とはいえ、筆者があれこれ言ったところで、当面、政党がなくなることはないだろう。
ただ、いつも言っているように、そうした彼らが気づかぬところで、日々集合離散を繰り返しながら、自らの世界を広げている人間はいくらでもいる。彼らが自分たちの「していること」を本当の意味で自覚できたなら、やがてそこから「組織ならざる組織」が生み出され、既成の政党は存在価値を失うだろう。
読者は、この「組織ならざる組織」を、どこまでイメージできているだろうか?
それさえイメージできてしまえば、本当の「構造改革」の意味も見えてくる。目に見えるシステムを変える前に、まず自分の質を変えることが先決だということも、わかってくる。ここでも結局、「答え」は同じなのである。
投稿者 長沼敬憲 : 2002年05月18日 20:48