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2002年11月23日

■「有意義な人生」という名の脅迫観念。

 だいぶ前のことになるが、何かの雑誌のインタビューか何かだったと思う。今をときめく某有名女優が、「休日の過ごし方は?」という問いに対して、「せっかくのお休みなので、きちんと計画を立てて、美術館なんかに行くようにしています」と語っていた。似たようなコメントを、ほかの場面でもよく聞く。
 当たりさわりのないことのように思えるかもしれないが、筆者に言わせると、これは病状の告白(?)に近いものがある。単純に言えば、「なんだ、それなら家でダラダラ過ごすのは無意義なのか?」と、すぐに言い返したくなるのである。

 じつは筆者も、長らくこの「病気」に苦しめられてきた経験がある。
 たとえば小学校のとき、ご多分にもれず、夏休みや冬休みをものすごく楽しみにしていたので、何とか有意義に過ごそうと親に向かって「遊園地に行こう」「買い物に行こう」「旅行に行こう」と、わけもなくねだっていた。ただ宿題をするだけで無意味に時が過ぎていくのが耐えられなかったからで、親に連れていってもらえなくても、自分であれこれ遊びを工夫して、退屈しないように過ごしていたものだ。
 会社に勤めていた頃にも、同じようなことをよく考えていた。
 というより、前述の有名女優ではないが、みな夏期休暇には一生懸命予定を組んで、旅行に出かけたり、習い事をしたり、スケジュールの空白を埋めること必死になっていた。それで休み明けにお土産などを配って、自分が「暇人」でないことをアピールする。傍から見てもばかばかしい気はしたが、自分にも多少はそうした面があったので、今にして思えば、結局、小学校の頃からさして進歩していなかったわけである。
 すでにハラ感覚を得ていた当時の筆者にとって、これは大きな問題だと思った。
 何か意義あることをしていないと、自分が停滞してしまうような感覚と言えばいいだろうか? それが幼い頃からの自然な習慣で、大人になっても巣を食っていた。しかし、そんなふうに意義ばかり求めていると、心の休まるときはない。人に比べたら無意義に過ごすことにも慣れてはいた?が、まだ何かが足りない感じだったのである。
 その感覚がラクな方向に変わったのは、珍しく会社の上司たちに誘われて、カラオケに行ったときのことだった。誘われることは嫌いではないが、その時のメンバーは普段はほとんど接点のない人たちばかり。それがどうした成り行きか、なし崩し的に誘われて断わり切れないままに、ボックスになだれ込んでいたのである。
 あー、無意味な時間がすぎていくなー。なとど、心の中で思ったのを覚えている。
 その頃の筆者はこのように他人のペースに巻き込まれてしまうと、マイペースないつもの自分がうまく作動しなくなり、自然ぼんやりすることが多かった。場を盛り上げるような気持ちも、もちろん湧いてはこない。我ながら始末の悪い存在だな、それなら丁重に断わって、家に帰ればよかったのに……、などと考えていた。
 ただ同時に、自分の自由が他人によって左右されてしまうのは如何なものか? それって本当に自由なのか? などと思ったりもした。
 
 筆者はもともと大学を卒業したら就職などせず、田舎で農業をやろうと思っていた。
 ただ、大学3年の終わりにある心境の変化があり、田舎そのものにこだわる気持ちが消えてしまった。加えて周囲を見渡すと、みな夢など追わず、条件ばかりで就職活動とやらにいそしんでいるのが目についた(少なくとも筆者にはそう映った)。
 筆者が就職活動を大学4年の初夏の頃からにわかに、猛然と始めたのは、そうした彼らを見返してやろうという、誰に宣言したわけでもない勝手な決意に基づいていた。現実は厳しかったが、時はバブルということもあり、行き当たりばったりの面接や試験を繰り返したのち、めでたくテレビ雑誌の編集をする仕事に就いたわけである。
 というわけだから、どこかで力みがあったのかもしれない。
 山登りをやっていた大学時代に比べたら仕事ははるかに楽で、向いていることをやっているという自覚があったから、力んでいるようにも思われていなかったかもしれない。でも、自分の感覚ではもっと楽に、自由になれるという思いが常にあった。それは怠けるということではなく、もっと仕事をこなせるようになる能力と結びついていた。一生懸命なだけでは身につけられないコツがあると思っていたのである。
 無意義なカラオケは無意義なままに、延々と続いた。でも、自分だけ帰れるという雰囲気でもない。どっちつかずの状態で、自分の自由だけが奪われていた。
 もちろん、雰囲気など無視して帰ったところで、関係が気まずくなるというほどのものでもなかっただろう。それができない自分は、優柔不断なのだろうか? 嫌なことは嫌だと言えなければ、まともな関係は築けないのではないか?
 殊勝にそう思ったりもしたが、その時はそのタイミングを完全に逸していた。
 ふと見ると、その時のメンバーの中では唯一話の合う先輩が、無意義な空間の中で無意義に楽しんでいた。当人も別に好きで参加していたわけではなかっただろう。なのに、筆者に比べると、どこかゆとりがあるように思えた。その人をそんなふうに思ったのは、初めてのことだった。何か二言三言、言葉を交した気がする。筆者が何かに「気づく」ことができたのは、おそらくその直後のことだった。
 簡単に言えば、抵抗しないということ。委ねてしまうということ。
 そうすると頭の中で定義していた「意義がある・ない」という価値観は無意味なものとなり、どんな現実でも自分なりに楽しめるようになる。その現実を選択するかどうかの判断も大切だが、その判断力だけを磨いても、味気ない人間になってしまう。ばかばかしい、無駄と思えることでも全身で漬かってしまえば、ハラの感覚が磨かれていく。
「ね、結構、楽しいでしょ?」
 筆者の心境の変化を何事か察したのか、だいぶ経ってからその先輩はそう尋ねてきた。思えばその時からでも5年以上の歳月が過ぎている。筆者は当時の自分と比べてもおそろしく自堕落で、その分有能な自分を感じている。だらだら過ごすことも実に楽しい。働き詰めでもワーカーホリックだという感覚はない。それでもあれもしなければ、これもしなければと思うときは、当時の自分を思い出して、初心に帰っているのである。
 自由なる人生の第一歩は、まず実体のあるようでない「時間」の観念から、おのれを解放させることにあるのではないだろうか?

投稿者 長沼敬憲 : 2002年11月23日 21:06

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