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2005年01月21日

■「女性天皇問題」から見る「変化の兆し」

 最近、何かと皇室の話題がメディアに登場することが多い。
 皇太子さまの「(皇室に)雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあった」という発言、それに対する弟・秋篠宮さまの「反論」、そして紀宮さまと東京都庁職員・黒田慶樹さんの婚約会見など、よくよく考えると天皇陛下の「子供たち」の発言がクローズアップされている。

 しかし、そうした発言以上に問題視されているのは、天皇家の後継者問題。雅子さまが長女(愛子さま)を出産されたあたりから、「女性天皇を容認するかどうか」が議論されはじめているが、これは「男女平等」の点から説かれるような問題ではない。なぜなら、平等云々を語る以前に、現在の皇族には、皇太子さま、秋篠宮さま以外に、後継者となりえるような男子がいないからだ。
 現状では、愛子内親王が父のあとを継いで「女性天皇」になるということは、国民感情からいってもきわめて自然な流れになってきている。

 では、権利の問題以外に、女性天皇の存在に何か問題があるのだろうか?
 「皇室典範」に皇位は「皇統に属する男系の男子たる皇族」となっているから法律を改訂しなければならないと(それが問題だと)語る人もいるが、法律自体は、手続きは面倒でも変えることはできる。不変の法則というわけでもない。
 ここで問題視されているのは、血統なのである。
 ピンと来ていない人も多いかもしれないが、たとえばいまの愛子さまが皇位を継いで、晴れて「女性天皇」になったとする。当然、適齢期になれば「ご結婚問題」が浮上するが、お相手となるのは自然にいけばほぼ、民間人(黒田さんのような)となる。仮に民間人が婿入りし、男子の後継者を得られたとしても、「血統の中心は男系」という伝統的な発想からすると、本人の資質に関係なく権威(=皇室のアイデンティティ)が薄れてしまう。戦後、臣籍降下した旧皇族のなかから男子を選ぶという方法もあるが、本人の意思の問題もあるから昔のようにはすんなりと行かないだろう。

 「天皇制は反対」という人にとってはむしろ「いい展開」なのかもしれないが、基本的には多くの国民が存続を希望・容認している。皇室関連の番組などは人気が高く、日本の国の「象徴」であるという点は、否定派の立場から見ても客観的事実と認めるしかないだろう。
 筆者自身、特別な「思想」は持っていない、「多くの国民」の一人である。ことさら存続を否定するような動機も意思があるわけではない。ただ、多少なりとも日本の歴史の流れを知っているので、天皇家という血統の重要性は「多くの国民」よりもリアルに理解できている。
 神話の時代はともかく、皇室は少なくとも1000年以上にわたってひとつの血筋を継承し続けてきた、ある意味「日本で最も古い家柄」である。それは、それぞれの時代の天皇の努力や功績という以前に、日本列島に住み続けてきた人々が無用な争いを引き起こさないために生み出したシステムといった側面がある。

 権力の頂点に実権を持たない「象徴」が存在することで、日本の歴史は西洋や中国大陸とは異なる、「和」をベースにした歴史を作り出してきた。
 太平洋戦争へと至る近代の日本の戦争が天皇の名のもとに引き起こされたという点から、昭和天皇の「戦争責任」を問う声もあるが、筆者に言わせれば「戦争責任」などというものを問うこと自体、日本的な感覚の現れなのである。
 日本の風土に生まれ育ち、「和」の感覚のなかで生きてきたからこそ、帝国主義の世界潮流に巻き込まれ、未曾有の戦争を引き起こしたという事実に対して「反省」が起こる。「お詫びの感情」が湧いてくる。左翼と呼ばれる人も、右翼と呼ばれる人も、その意味でともに「生粋の日本人」なのである。

 こうした自己の行為を反省し、他者に思いやりを持ち、判官びいきなどと言われるように勝者よりも敗者に思いを寄せてしまう、良くも悪くも「優しい日本人」。
 その日本人を作り出し、生み出してきた社会の中心に、ほとんどの時代において政治的には有名無実、ある時期にはすっかり忘れ去られていた天皇という存在が位置しているわけである。
 多くの国民が天皇制を容認し、無くなることを想像できないでいるのは、感覚的にそうした日本特有の「中心」(色即是空にも通じる“空っぽの中心”)であることを感じ取っているからだと筆者は思う。これは思想の問題というより、感覚の問題。だから、思想のレベルでこのシステムをいくら否定しても、大衆を動かす力にはなりえないわけである。

 さて、このように思想では決して動かない天皇制が、感覚の根拠と言ってもいい血統の問題によって、いま大きく揺らごうとしている。
 血統なんて関係がない、多くの国民の合意があれば、女系であろうと皇室は存続していくはずだ……と思う人も多いかもしれないが、筆者の言いたいことはそんなことではない。
 不思議なことに(としか言いようがないが)、皇太子ご夫妻にも、秋篠宮ご夫妻にも、男子は生まれていない。いまの天皇陛下の弟にあたる常陸宮さまには子供はなく、昭和天皇の弟、三笠宮さまの子にあたる3人の親王の家系も、みな女子だ(そのひとり、皇位継承の上位にあった高円宮さまは先年亡くなられた)。現在の皇室は、有史以来ほとんど例のない「皇室存亡の危機」のなかにある。政治的な危機は数々乗り越えてきた天皇家も、一番重要な血統によって存在が問われている。

 それにしてもなぜ、いまこうも皇位継承に皇室が悩まされることになったのか?
 昭和天皇以前の歴代の天皇は、よく知られているように「一夫多妻制」の文化のなかにあったから、正妻(皇后)に子が生まれなければ(女子ばかりならば)、側室に男子を産ませることで皇統を保ってきた。また、近親結婚が現代のようにタブー視されてなかったこともあり、過去に皇位に就いていた女性天皇(歴代で8人10代存在。うち2人が2度皇位に就いている)は、近い血筋から親王(夫)を迎えることで、血統の薄まるのを防いだ。
 しかしいまの時代は、こうした手段が、少なくとも西欧社会の文化としてはコンセンサスを得られていない。皇太子時代のイギリス留学などを経て世界のスタンダードを体感された昭和天皇は、皇位継承後、強い意志で古い因習の多かった宮中を改革したことで知られるが、その際、側室を置く慣例も廃されている。「時代に合った皇室のあり方」を考慮された結果と言うことになるが、皇后さまがなかなか男子をお産みにならなかったこともあり、男系の後継者を得るのに大変苦労をされている。
 その後代替わりし、現在の天皇陛下(当時は皇太子)は民間から嫁がれた美智子さまとの間に、二人の男子を得た。しかし現在の皇太子と結婚された雅子さまは、ご存知のように愛子さまお一人をようやくお産みになったのみ。これが大きなプレッシャーになったことは想像に難くないが、もう一人の子(男子)を望むことは、失礼ながら年齢的に難しいのが現実だろう。

 天皇家はいわば日本という国の祭祀を司る「神主」のような存在である。とするなら、こうまで男子が生まれないの事実は、あるいは「神意」と言っていいのかもしれない。
 神意といっても、べつにオカルトめいたものではない。自然の流れ、摂理のようなものと捉えたらいい。実際、「女性天皇」が誕生するとしても(普通に考えて20年とか30年先の話であるだろうが)、その時は、従来のような形で皇室が存在していない社会になっている可能性が高い。
 皇室そのものは存続していくとしても、もしかしたらその歴史的役割自体、大きく変わっているかもしれない。もちろん、日本も世界も現在では想像できないくらい様変わりしているはずだ。そのとき日本人は、「象徴」を必要としなくても「和」を保てるようになっているだろうか?
 じつはこの点が、一番問われなければならない問題なのである。

 我々の存在を支えているものの多くは、普段は自覚もできず、強く意識もされない。
 しかしたとえば富士山が噴火し、現在の秀麗な形を失ってしまったとしたら、日本人の意識も大きく変化する。山になど興味はないという人も、喪失感を抱かずにはいられないだろう。天皇制も、言ってみれば、富士山に近いような存在と考えたらいい。
 富士山をただのモノとしか思えない人は、個人としてはそれでよいとしても、人を動かし、社会を動かす仕組みまでは感じ取れない。そんなものがこの先大きく崩れ、変わっていく兆候が、日本の「中心」の異変に見え隠れするのである。

投稿者 長沼敬憲 : 2005年01月21日 00:02

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