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2005年02月03日

■前田日明「復活」から見えてくるもの

 あの前田日明がついに「復活」するようだ。もはや伝説と言ってしまってもいい総合格闘技団体「リングス」が活動休止して4年、時折雑誌などに登場することはあっても、ほとんど近況も語られないままに時が過ぎてきた。
 既成のプロレスから離脱して、「総合格闘技」という未知のジャンルを立ち上げてきたパイオニア。母体となったUWFは、91年、前田の「リングス」、船木・鈴木の「パンクラス」、高田の「UWFインター」に分裂したが、「総合格闘技」をつくるという意思を最も明確に持ってきたのが前田のリングス。

 たとえばキックボクサーがいる、柔道家がいる、アマチュアのレスラーがいる。それぞれの分野ではチャンピオンであり、世界選手権のトップクラス、五輪メダリスト、出場経験者。むろん、すぐれた身体感覚の持ち主。そうした異分野の強者たちを、同じリングに上げて共通のルールで戦わせる。
 いまでこそPRIDEや立ち技のみに限定したK-1が大晦日にテレビ中継されるほどの人気となり、「総合格闘技ルール」は当たり前のものとなった感があるが、その基礎が固まる段階はすべてが実験の連続。

 筆者はUWFが分裂し、リーダー格だった前田が孤立して、たった一人で「リングス」を立ち上げた時、「これは応援しなければ」という義侠心?に駆られ、中継が見られる開局直後のWOWOWに加入。
 あの当時は一大会で5試合程度。しかも、メインに登場する前田以外は、すべて「無名の外人」たち。もちろん無名と言ってもアマチュアとしての実績は相当にある猛者たちばかりだったわけだが、彼らは「総合格闘技」など理解できていない。

 柔道しかできない柔道家が、リングの上で腰の引けた不慣れなキックをする。寝技のできないキックボクサーが、その柔道家につかまって必死にロープエスケープする。WOWOW開局当初ということもあり、そんな奇妙な試合がほとんどノーカットで延々と流されていたのを思い出す。
 メインに登場する前田だけを見にやってくる、多くの観客たち。しかしその彼も、開幕2戦目で左膝を負傷。以後引退に至るまで痛々しいニーブレスを装着して戦い続けた。五輪3連覇、人類最強の男と言われたアレキサンダー・カレリンとの「引退試合」を終えた彼は、記者たちの前でこんなことを語っていた。

【みなさんはルールがどうだとかいうけれど、大前提としてWOWOWとの契約で毎月1回興行を打たないとならない。そうしなければ団体が維持できない。この条件のなかで、出場する選手たちの能力を最大限に発揮できるようなルールを考え、つくり、試合を組む……】

 筆者の中で記憶している言葉を再現しただけだから正確なものではないが、あのときのコメントのなかには、「総合格闘技」の真実が端的に語られていたように思う。前田の発言を筆者流に要約するのなら、だいたい次のような感じだ。

【総合格闘技は“ノールール”で、“なんでもあり”というけれど、それでもルールはある。そのルールの中で勝つ人間が最強というのは、一種の幻想にすぎない】

 どんな格闘技にも必ずルールはある。しかし、そのルールを可能な限り排除してしまえば、様々なジャンルの格闘家が強さを競い合い、「最強の格闘家」を決めることができる。これがアメリカやブラジルで盛んになったバーリトウードの発想。しかし前田の発想は似て非なるもの。ある意味でもっとリアリスティック。

【生きていくのには必ずルールがある以上、ノールールなどということを考えるのはナンセンス。考えなければいけないのは、その時その時の与えられた条件のなかで、戦う人間の能力を最大限に引き出すルールをつねに考えるということ。条件が変わってくれば,当然ルールも変わる。進化していく】

 前田が設定した「リングス・ルール」にはロープエスケープやダウンカウントも認められていた。バーリトウードの発想からすれば、「それではノールールではない、真の強者は決まらない」となる。しかし、前田がやろうとしていたのは「ノールールというルールの設定された競技」ではなかった。

 世界中にある様々な格闘技。その競技の中で人を魅了し、勝ち続け、身体感覚に磨きをかけてきたアスリートたち。彼らの能力をさらに引き出す、発揮させるために、「総合格闘技」という場を提供する。それがリングスの発想だった。キックのできない柔道家、寝技のできないキックボクサーが同じリングで戦い、しかも自己を高めていくことは、バーリトウードではできない。ただ、ひとつのルール(より制限の少ないルール)のなかで戦える能力のある者が勝者になるだけ。

 「選手を生かす」ということまで視野に入れた前田の感覚は、その意味できわめて東洋的、日本的であり、本人は否定するかもしれないが、プロレス的だ。プロレスもまた、「最強を決める」とうたいながら、きわめて曖昧なルール設定の中で、まず戦う者どうしの能力を生かし合うことが求められる。ショー的な要素の強いプロレスも、格闘技的な要素の強いプロレスも、この点は同じ。

 話が長くなってしまったが、リングスという「場」で日本的な総合格闘技(広い意味で「武道」と言い換えてもいい)、本来の意味での「プロレス」を追求してきた前田が、新日本プロレスを退社した上井文彦氏と組んで、彼の興すプロレス興行にアドバイザーのような立場で関わっていくという。新日本プロレス内で格闘技志向の強い試合をマッチメークし続けてきた上井氏は、どこかで前田のプロレス観(総合格闘技観)に通じる感覚を持っていたのだろう。

 3月とも4月とも言われるその旗揚げ戦には、新日本プロレスを中心にマット界の台風の目になってきた“外敵軍団”、天龍源一郎、高山善廣、鈴木みのる、佐々木健介らフリーの大物プロレスラーが参戦するという。国内外の格闘家に幅広い人脈を持つ前田は、彼らの対戦相手と言ってもいい有望な選手を発掘し、リングに送り出す役目を担っているようだ。

 先頃、新日本プロレスの次代のエース候補、柴田勝頼も契約交渉で決裂し、団体を離脱。「上井プロレス」への参戦は決定的と言われるが、旗揚げのメンバーの名前を聞いて、「これが新日本プロレスじゃないですか」と語ったという。上井氏の構想するプロレスに、新日本のあるべき姿が見えてくるということだろう。

 この上井版の「新日本プロレス」に、協力態勢が敷かれているというK-1所属の藤田和之、秋山成勲、宮田和幸、宇野薫らの総合格闘家が加わる。前田ルートでリングス・ロシアのヴォルク・ハンらも参戦することになるかもしれない。まだ全貌は明らかでないが,こう考えるとなかなか夢の膨らむ陣容だ。PRIDE、K-1とはまったく別コンセプトの「総合格闘技=プロレス」が立ち上がる可能性もある。

 上井氏の独立だけでは正直漠然としていたが、前田が加わったことで柴田のいう「新日本プロレス」の骨格が見えてきた。現在の新日本のなかにではなく、前田の現れる「場」にそれが見えたというのは皮肉だし、興味深い。本来新日本プロレスが(あるいはアントニオ猪木が)担うべきだった役割を、めぐりめぐって一番の“反主流派”だった前田が引き受ける形になったような展開だ。

 おそらく「上井プロレス」への協力とは別に、前田は前田で「第2次リングス」の設立も準備しているだろう。断片的な彼の発言をもとにするなら、一団体の旗揚げというよりは、選手たちのフィジカルケア(スポーツケア)やトレーニングなども視野に入れた、イベントにとどまらない「場」を作ろうとしている。「話すと勝手に真似するやつが出てくる」と前田が繰り返すが、沈黙を守ってきた彼が表舞台に登場することで、どうやら日本の総合格闘技はさらに一段進化しそうな気配だ。

 前田の発想が「世間」に広がっていけば、格闘技でありながら必ずしも「弱肉強食」ではない、つまり、競争社会の形態を取りながら勝者も敗者も学び、先へ進んでいける広い意味でのシステムが、多くの人の感性に届くはずだ。社会は、いい意味での日本的な方向へ変わってゆく。「融合」の時代を格闘技の中で体現してきた前田は、いま、格闘技の枠の中からゆっくりとはみでようとしている。

投稿者 長沼敬憲 : 2005年02月03日 22:52

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