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2005年05月29日
■「サムシンググレート」と「最先端科学」の話
科学というものが知性の集積によって成り立つものであるならば、やはりそれは感情器官によって成り立つ宗教とは分けて捉えなければならない。「融合」や「接点」はもちろんあるだろうが、どちらもその管轄するエリアを理解しなければ、本来の働きを失ってしまう。村上氏のような「神」をも視野に入れた科学者が表に現れてきたことで、科学もますますバランス感覚が問われるようになってきたということだろう。
2005年05月25日
■立花隆氏のコラムから「憲法改正」問題を読み解く(下)
古いものも新しいものもないまぜになった日本という国は、「本物」が生まれやすい風土であることがわかるだろう。現にこうしたカオス的な状況の進んだこの十年ほどの中で、目に見えてわかりやすい形で「本物」が表舞台に現れはじめている。
人物で言うならば、そのシンボリックな一人に、やはりイチローが挙げられる。
アメリカでは、いくつもの記録を塗り替える彼の驚異的な活躍が報じられる一方で、中心選手のストロイド剤の常用が社会問題にもなっていると聞く。
彼は、野球という競技を通して、アメリカに新しい、彼らにとって未知の価値観を、身をもって伝える役割をいつの間にか果たしてしまっている。
■立花隆氏のコラムから「憲法改正」問題を読み解く(上)
「普通の国」になるということの「普通」とは、おそらく一般的な日本人のイメージする「普通」とは違う。「普通の国」である韓国には、徴兵制もある。しかし、日本人の多くはそれを(戦前はともかく)「普通」とは思っていないだろう。その点において、「現実的ではない」と揶揄される第9条の理念は、じつは日本人の平均的な国民感情とも一致してしまっている。日本は、その意味では世界的にも非常に奇異な(普通ではない)感覚を持った国なのである。
2005年05月22日
■高岡英夫「身体意識を鍛える」を読んでみた(下)
しかし、現実には99点と100点の間には、踏み越えられない決定的な壁が存在する。数字の持っている価値、概念が違うと言い換えてもいい。一つ一つの身体意識を磨いて、50点の状態を60点、70点……と上げていく。これはすばらしいことだ。しかし、そうやって点数を積み重ねていった上で、最後に100点の状態があるのかというと、そういうものではない。50点しか取れない人は、高い点数の人と比べて、自分のことを凡人と思っているのかもしれないが、50点だから凡人ということではない。
2005年05月08日
■高岡英夫「身体感覚を鍛える」を読んでみた(上)
ま、ゆるめるということは、物事をスムーズに進める上できわめて重要なことだ。高岡氏も再三指摘しているが、現代人は身も心も硬直しすぎている。肉体が硬直すれば様々な体調不良が引き起こされるし、もちろん病気の原因にもなる。また、意識が硬直していると視野が狭くなる。一つの思想や価値観に囚われてしまい、果てない対立の原因にもなってしまう。
2005年05月07日
■「視聴率=数字」に代わる基準はあるか?
ここまで見てきてわかるように、内容や存在感といった個々の感覚や印象に属するものが、数字に変わりうる基準として存在している。むしろ、数字が唯一の基準のように一人歩きしたのは、日本の歴史を振り返っても、戦後のこの50〜60年ほどの期間に過ぎないのかもしれない。なぜなら情報化社会と呼ばれる以前の社会では、事実が十分に(明確に)伝わらない分、個々の感性の鋭さや豊かさが求められたであろうからだ。