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2005年05月08日

■高岡英夫「身体感覚を鍛える」を読んでみた(上)

 この間、仕事をしながらテレビを見ていたら、NHKの「いっと6けん」というお昼前の番組で、高岡英夫氏が「ゆる体操」のエクササイズを行っていた。
 天才的な武術家として筆者も著書で紹介したことがあるが、始終タコのように身体をくねらす、あの液体のようなゆるみ加減を、一般の視聴者はどう感じたのだろうか? ちょっとヘンな人だなと思ったかもしれないが、こんな簡単な体操で数々のスポーツ選手が好成績を挙げていると聞けば、「身体の調子が良くなるのならやってみよう」くらいは思ったかもしれない。

 ま、ゆるめるということは、物事をスムーズに進める上できわめて重要なことだ。
 高岡氏も再三指摘しているが、現代人は身も心も硬直しすぎている。
 肉体が硬直すれば様々な体調不良が引き起こされるし、もちろん病気の原因にもなる。また、意識が硬直していると視野が狭くなる。一つの思想や価値観に囚われてしまい、果てない対立の原因にもなってしまう。
 筆者も氏に教わったというわけでもないのだが、テレビを見ていて、日常で知らず知らずのうちに「ゆる」を実践していた自分に気がつく。
 ちょっと気になったので、図書館で高岡氏の本を一冊借りて、久しぶりに読んでみた。2003年に出された「身体意識を鍛える」(青春出版社)という本だ。参考になったところがあるので、いくつか触れさせていただこう。

 氏はこの本で「7つの身体意識」を鍛えるべきだと説いている。
 身体意識と言って、読者はすぐにピンと来るだろうか? ぼく流に勝手に解説してしまうと、意識とは身体中に偏在しているもの。脳の中だけと錯覚している人も多いが、それだと身体を見失ってしまう。
 身体を見失ってしまう……これもまたピンと来ない表現かもしれないが、やはり身体と言えば物理的な肉体(筋肉や骨、臓器)のことをイメージし、これらの肉体的器官を脳が操ることで人は生きて活動することができる、それが当たり前の「常識」だと思い込んでいないだろうか?
 しかし、この常識を鵜呑みにしていると、肝心の意識の実体が捉えにくくなる。
 当たり前というのなら、身体とは「肉体と意識の複合体」であるわけだが、この「心身一如」の関係がわからなくなってしまうわけである。

 言ってみれば、心(意識)と体(肉体)がバラバラの、裏腹の状態。
 これでは思う通りに生きようと思っても、その思う通りと思っている自分自身をうまくコントロールできないはずだ。
 というわけで、肉体と表裏一体の関係にある意識の重要性が見えてくる。
 脳の中だけに閉じ込めてきた意識を、身体中に偏在しているものとして捉え直すことで、高岡氏の言う身体意識の存在が認識できるようになるはずだ。
 身体意識と言っても、もちろん、人によってその意識の現れ方は異なっている。
 氏はそれを大まかに7つの機能によって分類したわけだが、参考までに挙げると次のようになる。

 センター 下丹田 中丹田 リバース ベスト 裏転子 レーザー

 詳しい意味は氏の著書などに直接当たってほしいが、筆者のちょっと面白いと思ったのは、日々歩くことで「ゆる」が進んだという自分の実感が、氏の言う「ベスト」の記述のところでうまく符合していた点だ。
 この命名は、文字通り、衣類のベストから。ベスト特有の「袖ぐりのラインとそっくり」の形で身体意識が形成されている状態を指している。

 「ベストが形成されると、上半身が格段にラクになります。……肩の力が抜け、今まで肩こりに悩んできた人も治ってしまいます。精神面でも、肩のまわりが柔らかくなることで、まさに肩の荷が下りた気分になる効果があります」

 確かにそんな感じだ。肩こりはもともとなかったが、それでもこの感覚がつかめたとき、「ああ、知らないうちに肩に力を入れて生きてきたんだな」と感じたのをおぼえている。この感覚というのを、氏の著書からさらに引用すると……。

 「……ベストが備わると、肩関節よりももっと内側、つまりベストのラインの断面上がもうひとつ別の大きな関節になったかのように腕を動かすことができます。肋骨は柔らかく固まらず、肩甲骨も解き放たれたように自由自在に動くようになります」

 後半部分は自分的に「ちょっとどうかな?」という気もするが、確かに「ベストのラインの断面上がもうひとつ別の大きな関節になったかのような」というのは、かなりわかる。
 じつは筆者は、この「ベスト」の感覚を自覚するまでは、両親からの遺伝として、自分は先天的に中丹田優位の人間だと思ってきた部分がある。
 しかし、人間的にそれほどハートが熱い(情熱的)というわけでもないし、精神が愛に満ちあふれているわけでもない(ま、このへんは人並みです)。情に弱いところがあるからそう思ってきた面があるわけだが、「ベスト」の概念を取り入れたほうが「自分」の全体像がより明確に見えてくるように思える。

 「ベストが発達した人は、上半身がよく動くようになります。……その結果、当然肩に力みが感じられませんし、肩肘張った感じがなくなります」

 これもそう。筆者が仕事で人に褒められる時というのは、だいたい「肩肘張らないでやれる」と言われることが多い。自分でも、無意識にそんな状態を目指していたかもしれない。なるほど、これが「ベスト」の効用か……。
 じつはこの「ベスト」に関して、もう一つだけ面白い発見があった。
 歴史好きの筆者が日本史の中で最も注目している豊臣秀吉が、じつは「ベストの達人」であったというくだりだ。

 「豊臣秀吉は“人たらしの天才”と言われた人物です。“蕩す(たらす)”というのは“女たらし”というように、あまりいいイメージはないかもしれません。しかし、秀吉の“人たらし”というのは、人と親和するという意味でしょう。……“人たらし”といわれる人は、相手が肩肘張ろうとしても、それをなだめすかして蕩してしまうわけです。……そう考えると、“人たらし”と言われた豊臣秀吉は、強力無比ともいえる強大なベストを持っていたはずです」

 筆者が秀吉に関心を持ってきたのは、要するに、身体意識で共有できる点があったからだと言われれば、感覚的に合点がいく。
 おそらく信長にあまり魅力を感じないのは、彼がセンター系の身体感覚の持ち主だったからだろう(筆者は、高岡氏が言うほどにはセンターの効用というものを重視していない。というより、理解できていないと言うべきか)。
 まあ、それはともかく、歴史というバーチャルなものも身体意識を介してよりリアルに感じられるものだという点では異論がない。史料だけでは読み取れないものでも、感覚を働かせれば相応に論拠のある視点が提出できる……こんな筆者の捉え方も、身体論的に明確に裏づけられるものなのかもしれない。

 予備知識がないとちょっとわかりにくい内容だったかもしれないが、筆者の身体観は高岡氏と必ずしもイコールではない部分もある。今回取り上げた「7つの身体意識」の概念をもとに、この点についてもう少し指摘しておきたい気もする。
 それなり長くなりそうなので、後日、稿を改めて触れることにしよう。

(追記)
 偶然だがこの原稿を書いた直後、たまたまウエブをくぐっていたら、あの「マネーの虎」の高橋がなり氏のブログを発見した。

 自分の原稿の内容と不思議にシンクロしていて、ちょっと面白かった。おそらく彼も、かなりの「ベスト」の持ち主なんだと思う。どうだろうか?

投稿者 長沼敬憲 : 2005年05月08日 22:09

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