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2005年05月29日
■「サムシンググレート」と「最先端科学」の話
立花隆氏のコラムにふれた前回、過去に「軍事的成功」と「経済的成功」を体験した日本人は、もうこれらの成功にはあまり関心がない、これからは「本物志向の時代」に突入している、と書いた。
言葉的には使い古されているので、筆者の使っているニュアンスは該当のページで確かめてほしいが、本物志向と言えば、やはり真っ先に浮かぶのが“経営コンサルタントの神様”、船井幸雄氏だ。
氏は本物の定義を、
1、付き合うものを害さない
2、付き合うものを良くする=蘇生化させ、調和させる
3、高品質で安全、そして安心できる
4、経済的である
としている(「本物時代の到来」ビジネス社)。
そして、上記のような意味での「本物」が、日本でも次々と登場しはじめていると、実例を挙げながら様々な著書で紹介している。
前回のコラムを書きながら、自分自身、あれこれ言葉を思い浮かべたのだが、「軍国主義」と「経済大国」の次の時代ということで言えば「本物志向」だな、であるなら、やはり船井氏のいう「本物」の定義でさしつかえないな、妥当だなと結論。
まあ、「本物」の話についてはいずれの機会に書くとして、じつは船井氏の話題を出したのは、今回取り上げるテーマとも少なからずシンクロしてくるからだ。
今回のテーマは、先日図書館で借りた「脳+心+遺伝子VSサムシンググレート」という本の、いわば読書感想。
これは、養老孟司(解剖学)、村上和雄(遺伝子研究)、茂木健一郎(脳科学)といった、一級レベルの科学者によるシンポジウムの内容が、比較的平易な内容でまとめられたもの。
本のタイトルにある“サムシンググレート”という言葉は、上記の村上氏の命名したものだが、経済コンサルタントである船井氏も「この世界とは何か?」を定義する時によく用いている。
言ってみれば、船井氏→サムシンググレート→村上氏という流れで、この本にたどりついたわけである。
まずは村上氏の発言から、サムシンググレートについて語ってもらおう。
大腸菌につきましては一九九七年、すべての遺伝子暗号が解読できました。ということは、どんな部品を作るということもわかっているわけですし、どんなエネルギーが必要かということもわかっているということです。
にもかかわらず、「大腸菌様がいったいなんで生きておられるのか、基本的なことがわからない。だから作れないわけです」と、氏は言う。
四つの化学の文字(*)で生物すべての設計図が書かれている。ヒトの場合はだいたい三〇億ペアといわれています。……三〇億ペアの情報というのは、ふつうの文字でいうと大百科事典が一〇〇〇冊分くらいの量になります。その情報が……一グラムの二〇〇億分の一という大きさのところに書いてあります。(この大きさは)一粒のお米を世界の人口全部に割り与えたくらい小さなところなのです。つまりお米一つのの六〇億分の一のところに書いてあるということであります。
*=A(アデニン)・T(チミン)・C(シトシン)・G(グアニン)の4つの塩基配列のこと。なお、文中のカッコは筆者。以下も。
なるほど、この例え方はわかりやすい。すごい話だ。さらに続けると、
しかも……一分一秒休みなく働いているのです。……わたしどもが働かせているのではなくて、これまた自然に働いているわけです。
最近は……遺伝子も間違うんだということがわかってまいりました。遺伝子が間違いますと、多くの場合は直し屋がすぐに出てまいりまして、それを直していきます。……あの狭い狭い空間に遺伝子の暗号を書き込んで、それを間違いなく、間違いがあっても直しながら働いている力とか働きというものを、どう考えたらいいのか。もし偶然にできたとしたら、これはどうなっているのか。
この問いかけに対して、村上氏は「進化論で有名な」木村資生氏(故人)の「カビ一匹生まれる確率は一億円の宝くじが一〇〇万回連続で当たるようなこと」という言葉を引用して、「これはありえない」、カビ一匹でそうなのだから、何十兆という細胞からできている人間はどうなのか? とさらに問いかける。
おそらくこれは遺伝子が支配していると思われます。そうすると、その遺伝子を支配しているものは何か、ということになりますが、これがよくわからないのであります。
引用が長くなってしまったが、村上氏はこうした前提に立ち、「わたしはそういうものはよくわからないのですが、“サムシンググレート”と呼んでおります」「今の現代科学・現代医学では理解できないサムシング」「しかしそれはたいへんグレートでたいへん偉大なもの。そういうものがあっても不思議ではないと思うようになりました」と語っている。
要は、神とも呼びうる偉大な何か(サムシンググレート)に対して、世界的にも実績のある最先端の遺伝子学者が言及しはじめているわけである。
さて、この村上氏に対して、解剖学の第一人者であのベストセラー「バカの壁」の著者でもある養老孟司氏は、どう答えているか。両者のやりとりが興味深い。
村上 ……確かに人間の脳がそういうものを作ったというふうに見られるとも思いますけど、そういうすばらしい脳をつくったのが、ただ単に偶然の積み重ねだけで説明できるのかどうか。……
養老 わたしはそんな大それた質問はしないという立場なのですが。……今の質問をもっと端的にわたしが捉えた形で言うと、そういうものがある(サムシンググレートが存在する)と思うかという質問ではないですか。実在するか否かは、やはり根本的にわれわれの脳が持っている重要な性質で、何が実在であるか、何が真実であるかを、あるいは何が興味の対象であるかをわれわれの脳が決めています。……
ややわかりにくい言い方かもしれないが、養老氏はこれをふまえて、自分が一番興味があるのは「昆虫」で、仕事で長い間携わってきたのは「人間の死体をいじること」であると続ける。
この二つともごくふつうの方にははっきり言って、存在していません。つまり……、死体を考えて自分の行動が変わる、虫がいるから自分の行動が変わる、という人はいない。(しかし自分はそれをを)じっと見て、何をしているんだろうなと考えて、それで感情移入して見ています。だからそれは、すでに世の中の見方が違うわけです。それで神様がいる人も当然いるだろうと思いますし、そういう意味で言えば、わたしはそういうものがいるとか、いないとかについて考えない立場です。
またしても引用が長くなってしまったが、おわかりだろうか?
養老氏は、いわゆる唯脳論の立場から、「サムシンググレート(神様?)に関心を持つ」ということ自体も、その人の脳によって規定されている、そして自分はそのようには規定されていないから、そこに興味は持たないといったことを語っているのだと思う。
要するに、どちらが正しいという「答え」を言っているのではなく、村上氏とは、視点そのものが違っているということだ。もちろん、違っているというだけで、村上氏が間違っているとは言っていない。ただ、問わないと言っている。
誤解のないように付け加えるならば、どちらが正しいという「答え」もない代わりに、「答えがない」ということが「答え」ということでもない、ということだ。
なにやら禅問答みたいだが、筆者の感想を言えば、まず、非常にバランス感覚の取れた本だなと感じた(書籍化を前提に行ったシンポジウムが内容のベースになっているようなので、人選そのもののバランスが良かったということになる)
これは、両論併記しているからバランスがいいと言っているわけではない。
意見を幅広く紹介したところで、それだけでバランスがとれるものではないからだ。その点を勘違いしている人が多いのではないだろうか?
たとえば筆者自身は、村上氏が指摘するような「サムシンググレート」をこの世界の生成発展の源として想定してもさしつかえはないと感じている。
しかし、「サムシンググレート」がほぼ宗教のいう「神」と同義ということになると、ひとつの危険な側面があることも留意する必要が当然出てくる。たとえば、同じ話の流れの中で、茂木氏が養老氏に向かって次のように問うた。
日本の科学というのは、真理でさえ人間間の相対的なコミュニケーションの結果で生まれてくるものだと考える節がある。近代科学の爆発的な発展は功罪半ばするにしても、やはり「サムシンググレート」と言うにせよ、何と言うにせよ、絶対的な真理とか、絶対者を想定することなしに近代科学の発展はなかったと思うのですけど。
つまり、いまの日本の科学は(科学だけに限らないかもしれないが)、基準になるものが失われている。すべての価値が相対化され、探求の核が失われたことで、発展が止まったという、科学の行き詰まりを危惧する指摘だろう。
これもまた非常に微妙な指摘で、養老氏の発言とは、コインの裏表のような側面がある。
すなわち、こちらが強調されすぎてしまうと、今度は科学の世界に「サムシンググレート」という神が降り立ってしまう。養老氏はそれをもちゃんと相対化すべきだと言っているし、茂木氏はその相対化が科学の行き詰まりをもたらすのではと危惧する。
繰り返すが、非常にバランス感覚のすぐれた本だ。受け取り方によっては、それこそこの問題に「答え」なんてないという相対主義に陥る人もいるかもしれないが、相対主義とバランス感覚は決定的に異なることにも気づく必要がある。
この本の構成者(竹内薫氏)は、その点を理解しているのではないかと思う。
バランス感覚と呼ばれるものは、やじろべえでも思い浮かべればわかるが、中心に支点というものが必ずある。だから左右に揺れることも、逆に揺れずにバランスが取れていることも、わかる。
筆者の見たところでは、養老氏もこのバランスは持っていて、その感覚から言葉を発しているのだと思う。それが氏にとっての「立場」ということであって、“神の領域に踏み込まない保守的な学者”といった評価には、必ずしもつながらない。
もちろんその一方で、村上氏のような「立場」の学者の口からハッキリと「サムシンググレートを想定せざるを得ない」という発言が出たのは、科学のあり方が変わろうとしている一つのシンボルであるとも筆者は思う。ただし、取り扱い注意なのだが。
科学というものが知性の集積によって成り立つものであるならば、やはりそれは感情器官によって成り立つ宗教とは分けて捉えなければならない。
「融合」すべき「接点」はもちろんあるだろうが、それぞれがその管轄するエリアを理解しなければ、本来の働きを失ってしまう。
村上氏のような「神」をも視野に入れた科学者が表に現れてきたことで、科学もますますバランス感覚が問われるようになってきたということだろう。
一つの考えを安易に真理であると信じ込むのでもなく、かといって相対主義にも陥らない視点=バランス感覚が求められているということ。
機会があれば、この微妙な感覚を要する問題に有効な回答を提出した「現象学」という現代哲学についても触れる必要があるだろう。
現象学の基本が理解できれば、今回の科学者のトークの機微というものも、もっとはっきりとつかみとれるようになるはずだ。
投稿者 長沼敬憲 : 2005年05月29日 13:02