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2005年09月14日
■9.11・衆議院総選挙の「その後」を予想する・2
先日、朝の「みのもんた」の番組を見ていたら、早くも衆院選後の「ポスト小泉」のことが話題になっていた。
ネットでちらちらと覗いてみたが、現時点で自民党の次期総裁候補(つまりは次期首相候補)になっているのは、福田康夫、麻生太郎、谷垣禎一、安倍晋三氏あたりのようだ。
9月13日の「産經新聞」によると、
首相は最近、テレビ番組でそれぞれの人物評を語っている。
「(安倍氏は)国民の声をとらえて、応援に来てくれと多くの人が引きも切らない」
「(麻生氏は)郵政、地方分権、さまざまな経験を積んで支えてくれた。十分、指導者としてやっていける人だ」
「(福田氏は)私の官房長官として支えてくれて、バランス感覚も豊か」
「(谷垣氏は)まじめで穏やか。しっかりと全体的に務めている」
これからは“意中の人”は判別できない。
なのだそうだ。
小泉氏の総裁任期が切れるのは、来年の9月。じつはまだ1年ほどの時間がある。
意外と長い気がするが、次期首相の「器」の見極め期間になると考えればちょうどいいのかもしれない。今回は、外交問題に焦点をあてた前回の話をふまえて、今後の政局の推移を筆者なりにシミュレーションしてみよう。
まず、前回も話したように、小泉自民党の圧勝は従来の「親米路線」が継続・強化されたことを意味している。当然、次期総裁となる人物も、この路線を継承することが考えるの自然。おそらくそのうえで、ハード路線かソフト路線かという選択になるのだろう。
「みのもんた」の番組でも、毎日新聞編集委員の岸井成格氏が、靖国参拝問題も含めたアジア(中国・韓国)外交を懸念したうえで、
「強硬派(ハード路線)の安倍さんでは摩擦が生じるので、(ソフト路線の)福田さんあたりを推す可能性もある」
といった意味のことを言っていた。
十分考えられることではあるが、ここまで筆者が指摘してきたように、小泉首相の親米路線と靖国参拝は外交問題としてリンクしている側面がある(詳しくは、国際情勢解説者・田中宇氏のコラムが参考になる)。
つまり、日本が中国ではなくアメリカとの関係を重視している「意思表明」として、小泉氏は中国(あるいは韓国)が硬化せざるをえない靖国参拝を強行している面があるのではないかということ。
となると、対中強硬派で知られる安倍氏が小泉政権を継承したほうが、外交レベルの混乱はないことにもなる。
一番いけないのは、アメリカにも配慮、アジアにも配慮という中途半端な、その意味での「国際協調路線」だということは、前回も書いた。
そういう“二股”は、どちらの国とも「深い関係」になれない。
独立国としての気概云々の問題と、現実的な外交問題は必ずしも結びつかない。安倍氏以外の誰が総裁になるにしても、中国や韓国になんらかの譲歩がないかぎり(アメリカも納得するような「大義名分」が生まれないかぎり)アジアの国際関係が改善されることは難しいのではないだろうか?
言い換えるなら、次期総理は「個人の信念として」靖国には参拝しないかもしれない。
しかし、それに代わる「何か」によって中国に対して「NO」の意思表示を突きつける可能性があるということだ。
中国は、経済躍進の側面ばかりが伝えられるが、冷静に見れば、12億人の規模で戦後の日本のたどった道を後追いしている側面がある。
ということは、どういうことか? すでに兆候が現れているが、公害問題、エネルギー問題、そしてバブル崩壊などの危機を内包しているということ。
成長しているものは、ひとつの摂理としてやがて停滞もするし、後退もする。
しかし、それがあれだけの規模で展開されると、国そのものが内部崩壊、分裂する危険性もある。
現に中国は、過去の歴史において、大帝国の出現の後に必ずと言っていいほど長期の分裂時代を経験している。
歴史時間で見れば「すぐ」という話にはならないだろうが、賃金が安いといったレベルで中国進出している企業は、先々相当なリスクを負うことも想定しておくべきではないだろうか?
というわけで、前回も書いたように、同じ「アジアの一員だから」と必要以上に中国に肩入れすることは、政治的判断としても非常にあやういと筆者は思う。
そして、中国に対してですらそうなのだから、アメリカとの関係悪化を覚悟してまで、対韓関係を改善させようというエネルギーは、いまの日本の政治家には希薄かもしれない。
情勢が変われば別かもしれないが、いま韓国は反日だけでなく、反米も大きな世論になっているからだ(世論はある程度、国の主導のもとと考えられる)。
では、以上のアジア情勢をふまえたとしても、従来のようにアメリカとの関係を重視していれば、それで日本は安泰だろうか?
じつはそうとも言えないことも、多くの人が指摘しているし、気づいてもいる。
だから、この先の舵取りは誰がやっても難しい。相当なバランス感覚が要求される。首相になる人物の、リーダーとしての「器」が問われる大きな判断材料にもなってくるとも言えるわけだ。
まず第一に、よく指摘されていることだが、アメリカの国力は落ちてきている。
世界の警察、世界一の軍事大国としてふるまうだけの気概、エネルギーは、この先どんどんと低落していくように思われる。
要は、金がない。だから、たとえばいまの中国のようなイケイケの感覚をアメリカが持ち合わせているとは思えない。
逆に、「自分たちだけがなぜ頑張らなければいけないんだ」という感情も、アメリカの為政者の中には当然芽生えていることになる。
となると、日本にもさらなる軍備(あるいは海外派兵)を要請すべきだという話になってくる。
これはひとつの「圧力」として今後さらに現実味を帯びてくるはずだし、ご存じのように、これには憲法改正問題もからんでくる。
日本の為政者の本音としては、軍事化は金がかかるし、実戦はアメリカにやってもらったほうがいいと、当然考えると思う。
それが親米路線の最大のメリット(うま味)でもあるからだ。
だから逆にアメリカが作った「平和憲法」をタテに、次期首相も海外派兵などをめぐって、アメリカと陰に陽にかけひきを続けることになると思う。
小泉氏は、このかけひきのなかでイラク戦争に自衛隊を派遣する決断をしたが、実際の戦闘には参加させていない。
これは彼の力量と言えば力量だ。
「平和」という意味では派兵しないほうがいいに決まっているが、アメリカの要求をつっぱねて(派兵を拒み)関係が悪化したら、逆に自前で国防をせざるをえなくなる。
「平和」を求めながら、かえって「軍国主義化」が進んでしまう可能性もある。
アメリカとの関係も改善し(アジアとの関係も重視し)、軍国化もやらないなどという共産党や社民党の主張は、この点において机上の空論に近い。
ただ、小泉氏の親米路線には、こうした外交・軍事問題に対処しえたとしても、よりグローバルな国際金融の問題をめぐって、非常にあやうい側面もひそんでいる。
ここでは、かつて自民党の代議士として小泉氏のブレーンも務めたことがあるという、経済人類学者・栗本慎一郎氏の発言を紹介しよう。
彼は、新刊「パンツを脱いだサル」(現代書館)のなかで、
日本でグローバルスタンダードという言葉がさかんに使われるようになったのは1998年ごろからのことで、2000年にはお題目としてさらに強化され、そして小泉政権に至ってまことに露骨な錦の御旗となった。
と語る。グローバル・スタンダードと言うと、ずいぶん響きのいい言葉だが、そこには裏がある。
栗本氏の言葉にさらに耳を傾けよう。
繰り返すが、「グローバル・スタンダードにのっとれ」という主張は、「グローバル資本に乗っ取られろ」というのがその本意である。ただし、このグローバル・スタンダード化の陰にはユダヤ資金資本(*)があるぞということは、すでにかなりの人が気づいているようで、もはや「陰」という言葉を使う必要がないくらい、明白なこととして指摘されていたりする。
(*経済人類学の用語。俗にいう「ユダヤ金融資本」のこと)
以上の点をふまえて、栗本氏は「ある意味で、それは小泉政権の陰影でもあるのだが、その背後にユダヤ資本があるということを忘れてはいけない」と結んでいる。
この種の話は、政治家の間でもある程度「常識」として認識されているようだ。
たとえば、先の衆院選挙の期間中、造反組として新党日本に参加した小林興起氏も、記者会見などの場で、「小泉さんの郵政民営化の背後には、アメリカのバックアップがある」といった意味のことを暴露?していた。
同様のことは、政見放送で共産党の志位和夫書記長も語っている(「郵政民営化は、アメリカをもうけさせるためのもの」云々)。
ここでいうアメリカのバックアップとは、すなわちアメリカの金融を牛耳っているユダヤ系財閥のバックアップを指している、
たとえば、ライブドアの堀江貴文氏が、なぜ小泉改革に突如「全面賛成」し、亀井氏への“刺客”として立候補したのか……。
くだんの「フジテレビ乗っ取り」を振り返ればわかるが、彼もまた、ユダヤ系の金融資本(メディアでは外資という表現が使われているが)から相当額の融資(バックアップ)を受けていることとの関係がここに浮かび上がってくる。
彼は、「グローバル・スタンダードの申し子」のような側面があり、発言などを聞くかぎり、日本という国の内実が外国資本に乗っ取られようが「自分のやりたいことがやれればそれでいい」「みんなが幸せであれば関係ない」と考えている節がある。
また、小泉氏の郵政民営化にしても、彼の年来の持論であることは確かかもしれないが、アメリカ=ユダヤ資本の利害と一致したからこそ、小泉政権の親米路線とシンクロするようにして推進された面があると筆者は思う。
要は、堀江氏や小泉氏が推進したがっているグローバル化がこの先どんな状況を生むのか、想像できるだけの感性が最低限必要であるということだ。
先の栗本氏に言わせると、
小泉(とその背後)が権力の座に座り続けたなら、進めようとする「改革」の方向は予測できるだろう。郵政民営化が郵便のあれこれなどと関係なくて、200兆円になんなんとする郵便貯金の崩壊(市場への放出)を狙ったものであるように、最後は日銀の民営化(つまり米国の連邦準備制度化)までも行って、国際資金資本が牛耳りやすくする舞台を作ろうとするに決まっている。これは要するに、ユダヤ国際資金資本のために日本を使いやすくする「改革」にほかならない。
となる。この指摘を「いま流行の陰謀史観のたぐいか」というのは簡単だが、問題は氏が指摘しているように、小泉氏はこうした構造が「ありうる」ということをまったく自覚しないままに「改革」を推進していたであろう点だ。
最初から(小泉氏の)議論が単純すぎることが気になっていた。だから、いろいろ経済について教え、優秀な経済学者に「ご進講」もさせた。でも彼は、賛成や反対をするというよりもまったく反応できなかった。「(問題が何か)わかってないんじゃないの?」というのがある有名な学者の採点だった。
さて、次期首相となる人物は、こんな筆者でも指摘できている程度の国際情勢をきちんと認識できているかどうかが問われてくる。
いま「政治的判断」として郵政民営化に賛成でも、すべてがなし崩しのまま「改革」を進めてしまえば、栗本氏の危惧が進行する可能性もある。
筆者が偉そうに言うことではないが、政治家としての「器量」の有無は、こうした複雑怪奇な情勢を受け止めたうえでの、絶妙なバランス感覚にあると思う。
このバランス感覚をどこまで発揮できるか?
少なくとも状況の「あやうさ」が自覚できていれば、小泉流とはちがう器量が必要であることはわかるはずだが、果たして……。
以上、メディアの伝えることとはやや異なる焦点で、今後も政局を見守っていきたいと思う。
*栗本氏の新刊については、また機会を改めて「感想」を書きます。
投稿者 長沼敬憲 : 2005年09月14日 22:58