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2005年10月29日
■佐高信「司馬遼太郎と藤沢周平」を読んでみた
近年、作家・藤沢周平の足跡が何かとクローズアップされている。
筆者も仕事で時代劇関係の本を作ることになり、これを機会にいくつか代表作を読んでみた。
そのなかでも最も印象に残ったのは、やはり「蝉しぐれ」だろうか?
現在、市川染五郎の主演で映画が公開中で、関連本もずいぶんと刊行されている。
また、数年前にはNHKでも内野聖陽の主演で同作がドラマ化された。こちらはつい先日、ビデオでの視聴が終わったが、原作の世界がうまく再現され、なかなか余韻の残る佳作。
映画と見比べてみるのも面白いかもしれない……。
この作品のなかで描かれているのは、文字通り、サムライの世界だ。
主人公は、江戸時代の東北の小藩の下級武士。藤沢氏の郷里である山形の鶴岡近郊(庄内平野)がオーバーラップされているという。
仕事かこつけて読んだ評論家・佐高信氏の著書には、次のような記述がある。
「江戸城は誰がつくったか」という問いかけがある。太田道灌と答えると正解で、大工と左官がつくったというと笑われるが、たぶん、藤沢は笑わないだろう。大工と左官の立場に身を置いて書かれたのが藤沢の小説だった。
(「司馬遼太郎と藤沢周平〜『歴史と人間』をどう読むか」光文社)
上記の書名でわかるように、佐高氏は藤沢周平と司馬遼太郎を対比させながら、「左官と大工」を描く藤沢のほうにシンパシーを寄せている。
“国民作家”である司馬に関しては、むしろその歴史観(司馬史観)にひそむ「虚構性」を批判したい思いがあるようだ。
端的に言えば、司馬(遼太郎)は商人であり、藤沢は農民である。そして、池波(正太郎)は職人である。職人と商人をコントラストさせることはできない。いささかならず調子のよい商人に対抗するためには、寡黙に働く農民のエネルギーをもってこなければならないのである。
(同上 文中のカッコは筆者)
なかなか面白い対比ではないだろうか?
佐高氏の指摘するように、実際司馬は「江戸城をつくった人」を描く際に、「太田道灌」にスポットを当てるケースが非常に多い。
つまり、作品に一種の英雄主義的な側面があり、社会の底辺を支える大多数の無名の人々(大工や左官)の存在は多分に軽視されている。
権力者(政治家、経営者)の腐敗を徹底的に批判するというスタンスを持つ佐高氏からすれば、司馬の「英雄主義」は、彼らの生き方に安易に迎合してしまう、「調子のよい商人」として映るのだろう。
ピンと来ない人のために、佐高氏が著書でも触れていた、司馬の歴史観を表す一文を紹介しておこう。
ビルから下をながめている。平素、すみなれた町でもまるでちがった地理風景にみえ、そのなかを小さな車が、小さな人が通ってゆく。そんな視点の物理的高さを私はこのんでいる。つまり、一人の人間をみるとき、私は階段をのぼって行って屋上へ出、その上からあらためてのぞきこんでその人を見る。おなじ水平面上でその人を見るより、別なおもしろさがある。
この俯瞰的な、「神」の視点から歴史を見下ろす行為では、いちばん底辺の庶民の生き様は見落とされてしまう面がある。
言い換えるなら、藤沢周平はこの司馬が見落としてしまった底辺の世界をうまく描き出し、庶民を中心にすえた独自の歴史像を構築することに成功した。
上のポジションに駆け上がっていく間には見えなかった世界が、藤沢作品には丹念に描かれていると言ってもいいかもしれない。
筆者は、十代の頃から司馬作品を多く読んできたこともあり、佐高氏のような嫌悪感まではむろん持っていない。
というより、司馬氏にはいろいろ教えられてきた面も多いので恩を感じてもいる。そして、だからとうわけではないが、彼が「城をつくった人=権力者」ばかりを描いてきたという指摘には、少々誤解があると思えてしまう。
なぜなら、司馬氏は確かに権力者を描いてきたが、通説で語られてきたような「権力者の英雄性」をそのまま礼賛してきたわけではない。
むしろそうした通説を嫌悪し、通説では光の当てられてこなかった彼らの一面をシニカルに描いている面が濃厚にある。
たとえば、歴史のなかで英雄として祭り上げられてきた源義経(「義経」)の描き方など、戦争には強いが、普段はだらしない若者という感じで、少しも英雄らしくはない。
通説では脇役でしかなかった坂本龍馬や新選組を取り上げた点なども含め(しかも新選組では、副長の土方歳三が主役に据えられた)、オーソドックス(通説)へのアンチテーゼという点が、司馬史観の根底にあると言うこともできる。
埋もれていた脇役を小説の主人公に据えることで歴史に多様性を与えた点が、多くの読者の琴線に触れた面であると思われるのである。
とはいえ、筆者は手放しで司馬史観を礼賛しているというわけでもない。
事実、佐高氏が推奨する藤沢周平の作品を実際に読んでいくと、「ああ、この世界は司馬さんには欠けていた世界だ」と感じさせるものが確かにある。
藤沢周平の「時代小説」には、実在の人物が取り上げられることもあるが、代表作の一つである「蝉しぐれ」にしても、「用心棒日月抄」にしても、登場する多くは架空の人物。
「こんな人がいたかもしれない」という無名の人の生き様を創作し、結果として歴史(たとえば江戸時代)の実像をうまく浮き上がらせている。
その意味では、司馬作品の欠落箇所を藤沢作品が補完している。筆者などは、そこにある種の新鮮さをおぼえたわけである。
しかし、ここまで書いてきてもうお気づきかもしれないが、藤沢作品が司馬作品の欠落を補完しているというだけではない。
藤沢作品の欠落を司馬作品が補完しているという言い方もできる。
つまり、江戸城をつくったのは「大工や左官」であると同時に、「太田道灌」でもあるということ。
当たり前の話だが、どちらが正しく、どちらが間違っているわけでもない。優秀な大工や左官がいくら集まっても、それだけでは城はつくられない。
佐高氏のなかにはまず、庶民の暮らしを圧迫し、私欲をむさぼっている「権力者」に対する痛烈な批判精神があり、彼らの「悪」を追求し、世の中を少しでも風通しのよいものにしていきたいという志があるように見受けられる。
言ってみれば、司馬作品への批判には、体質的な嫌悪感以上に、自分自身の目的を遂行するための戦略的な要素が含まれている。
そのへんを差し引かないと、今度は「大工や左官」の世界に意識が傾いてしまう。
その意味では、司馬作品も藤沢作品も同じように自分の感覚に取り込んでしまったほうが、よりトータルな「歴史」が見えてくる。
そして、このようなトータルな感覚を身につけるには、司馬の言うような「ビルの上から俯瞰する」意識がじつは欠かせないこともわかってくる。
ちなみに筆者は、司馬史観の「欠落部分」を、藤沢作品的な世界とはまた違った形でイメージしてきた。
たとえば、「脳を超えてハラで生きる」のなかで、司馬作品は“脇役”ばかりにスポットを当ててきたことで、結果として「日本史上でも最高レベルのハラの持ち主であった西郷隆盛については、相当に書きあぐねている」といった指摘をしている。
(ハラについてわからないひとは、こちらを参照)
西郷を描いた司馬作品としては、明治維新以後、西南戦争へと至る顛末をつづった「翔ぶが如く」という長編があるが、氏にしては珍しく歯切れの悪い作品で、まるでブラックホールのような(つまり、あまりにハラ的な)西郷の人間像に悪戦苦闘したまま終わってしまった感が強い。
作品そのものの読みごたえはともかく、読了したあとでも、「で、西郷って、どんな人なの?」という思いが浮かんでしまう。要するに、ハラ的な人間の大きさは、氏の知性をもってしても捉えきれなかったわけである。
むろん、西郷が描けないということは、その累は(?)慶喜にまで及ぶだろう。
慶喜については、「最後の将軍」という短編が遺されているが、短編という扱いを見てもわかるとおり、司馬氏は慶喜をあまり買ってはいない。つまり、慶喜になどろくなハラはないと思っていた。大政奉還をなし、江戸無血開城を指示した家康以来の英傑を、才子、才に溺れる(?)の典型のように見なしていたようだ。
しかし、慶喜という月が理解できないかぎり、太陽である西郷と出会うこともできない。両者は、そういう構造のなかにいる。しかも、慶喜という月は、結果として太陽に勝利し、太陽の没落を呼び込むという離れ業もやっているのである。
西郷と慶喜の「対立構造」については、「振り返れば「神」になる」のなかで“続き”を書いているが、筆者に言わせれば、主役であろうと脇役であろうと、権力者であろうと庶民であろうと、すべて「同じ人間」であるということだ。
「すべて同じ人間」という立場にたてば、すべての人に対して同じ平等な視点で向き合うことができる。
ただ、この平等な視点は、強者に対するルサンチマン(怨恨感情)を持っているかぎり、なかなかバランス良くは磨かれていかない。
しかし、このルサンチマンからひとたび脱却し、この視点を獲得してしまえば、自分が出会うものすべてから「学ぶ」ことができるようになる。
だからこそ筆者は、藤沢周平作品からも、そして佐高氏からも、こうして多くのことを学び取ることができたわけである。
さて、藤沢周平の世界をもう少し堪能するために、映画(蝉しぐれ)のほうも見にいってみようか。
主演の市川染五郎は、主役の牧文四郎を演ずるにあたって「ハラを意識してきた」と雑誌のインタビューで語っていたな……。
司馬作品がじつは「ハラ」をうまく描けてないという点に関しては、非常に重要な問題が内包されている。藤沢周平の真価も、もしかしたらそのなかでさらに浮かび上がってくるかもしれない。
こちらはまた、稿を改めて触れてみたいと思う。
投稿者 長沼敬憲 : 2005年10月29日 01:34