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2005年11月02日
■「蝉しぐれ」に描かれる藤沢周平のハラ感覚
小説、ドラマ、映画と、ここ数ヶ月ほどの間に藤沢周平の「蝉しぐれ」の世界に、様々な角度からふれる機会に恵まれた。
藤沢周平の世界観がぎっしりと凝縮された、珠玉の作品として知られている。
作品にふれていく過程でいくつかおもしろい発見があった。
まず、映画サイトの「あらすじ」を引用させていただきつつ、その作品世界をざっとひもといていってみよう。
東北の小藩「海坂藩」の下級武士である義父のもとで成長する牧文四郎は15歳。父・助左衛門を尊敬し、いつか父のようになりたいと思っていた。
そんな文四郎の生活は、隣家に住む幼なじみのふくに淡い恋心を抱きながら、小和田逸平と島崎与之助というとても仲の良い友人とともに、剣術と学問に明け暮れる日々。そんな中、与之助が学問の道に進むために江戸へ行くと言いだした。寂しさを隠しきれない文四郎と逸平。
だが文四郎にもその後すぐに大きな異変が起きた。父が捕らわれたのだ。理由は以前から殿のお世継ぎの世子を誰にするかで藩内に起こっていた争い事に父がかかわり合っていたことにあるらしい。その日から文四郎の生活は一変する。罪人の子としての辛い日々がはじまった。
このあたりが冒頭の部分。
映画解説のキャッチに、“「日本」を愛するすべての人々へ”とあるが、ここでいう日本とは、具体的に言えば江戸時代の頃の“古き良き日本”のこと。
藤沢はそれをいたずらに礼賛するわけではなく、かつてあった世界を当たり前に思い描いて、当たり前に書いている。
では、いったい何が当たり前なのか? 言い換えるなら、いまという時代の日本にはその当たり前がない。映画のキャッチコピーからはそんなメッセージも透けて見える。
かつてあったのに、いまはないもの(見失われてしまったもの)。それを生き方として体現しているのが、主人公の牧文四郎ということになる。
もっと言ってしまえば、文四郎の背後には、他の藤沢作品の様々な主人公がだぶっている。そうも言えるだろう。
ということは、藤沢周平は作品を通して現代の我々に何を伝えたかったのか?
くだんの解説のなかに、その「答え」がこう記されている。
その答えは、藤沢氏の作品には、私たち日本人が知らず知らず忘れてしまったものを思い出させてくれる力があるからではないでしょうか。そこにあるのは地位や名誉など関係のない、平凡だけれども、慎ましく生きる人の姿と彼らが持つ美しい心。風土とともに生きる姿。読者は、作家としてぶれない一貫した作品姿勢に魅せられ、心癒されるのです。
言わんとすることはよくわかる。しかしまあ、何とも使い古された、紋切り型の言い回しだろうか……。なにやらあまりに単純化されすぎていて、退屈と言うか、かえって藤沢作品の本質が損なわれてしまっているかのように思えてしまう。
確かに「牧文四郎」は、理想のサムライ像、「平凡だけれども、慎ましく生きる」その意味での代表的日本人として描かれているだろう。
しかし、ではそうだとして、そのメッセージを聞いた我々はどうしたらいいのか? おのれの生き方を反省する? 日々の行いを改める?
そんなふうに少し問いつめると、すべてが漠然としはじめ、「答え」が見えなくなってしまう。
まず、映画の「批評」からしようか。
結論を先に言えば、原作の持っている世界観、藤沢周平のメッセージがうまく伝えきれていないもどかしさを筆者は感じた。
確かに映像はこれでもかと美しい。思わず涙をさそうような場面もいくつかある。個々の役者の演技も悪くはない。しかし、原作の映像化につきものとも言えることだが、残念ながら、原作を超えることができたとは言いがたい。
なぜか? ここまで書いてくれば気づかれるかもしれないが、映画はすべて「答え」を明かしてしまっている。藤沢が物語を通じて醸し出し、行間に描き出したものを、言葉として「平凡だけれども、慎ましく生きる……」といったようにまとめてしまっている。
いやそれは、サイトの(あるいはパンフレットの)解説の中だけの話ではないか。
そんな反論もあるかもしれない。しかし、そうではないだろう。
おそらく作り手は、映画化を決めた時点でこうした「答え」を持ってしまっていたと思う。
その「答え」を伝えるために映画を作った。
しかし、そうだとしたら、おもしろい作品にはならない。結論が先にあるような物語を見て、人はハラハラドキドキもしないし、胸も打たれない。
筆者が映画に対して違和感を抱いた原因は、おそらくそこにあるのだと思う。
初めにここが感動の場面ですよ、これがすばらしいですよ、これが「日本」ですよ。
そんなふうに押しつけられても、素直に乗ることはできない。
プロモーションは必要だが、肝心な部分ではもっと寡黙になる必要もある。
また作り手は、何らかの「結論」を持ちながらも、つねにそれを留保し、創作が予定調和に陥らない努力が必要だと思う。
その意味では、原作の映像化という手法は、原作にネームバリューがある場合はその恩恵に浴することもできるが、同時に制約も多いということだ。
原作者である藤沢は、映像化などを前提にせず、あくまでも小説として描いている。
それを映像に作り直すということは、何もないところから創作することより一見ラクに思えるかもしれないが、そんなことはない。
あえて映像化に挑戦するというのなら、何か根本的な部分を「裏切る」必要がある。
そうしなければ、原作を凌駕することは難しいということだ。
まあ、このへんは「言うは易く行なうは難し」の世界。
でも、もし筆者が藤沢世界を映像化するとしたら、そんな「無謀な」ことは考えない。作品からテイストだけいただいて、物語はゼロからつくることをまず考える。
話題作を生み出すという目的で映像を手がけるとしたら、このやり方はそぐわないだろうが……。
さて、批判めいた話はこれくらいにして、筆者がおもしろいと感じたことについて話すことにしよう。
筆者は「蝉しぐれ」を通じて、確かに「日本人の理想像」といったものを受け取ることができた。
その点はまちがいない。しかし同時に言えるのは、だからこそ、映画の描き方に違和感をおぼえたということ。
この違和感をひもとくヒントとなるのは、文春ムック「『蝉しぐれ』と藤沢周平の世界」所収の市川染五郎のインタビューにある。
市川は、主人公・牧文四郎の青年〜中年期を演じている作品の“主役”。インタビュアー(岸本葉子氏)と次のようなやりとりをしている。
岸本:文四郎は多感な少年時代をとても不遇ななかで過ごし、父親が反逆の罪を着せられて、その汚名を背負って生きていかなければならなかった。ずっと身を慎んで、学問と剣術に勤しんできたのだと思います。そうした感情を閉じ込めている青年というのは、演じる側としては表現が難しかったのではありませんか?
市川:難しかったですね。最初、監督に「何もしないでくれ」と言われたんです。
岸本:何もするな……演技をするな、ということですか?
市川:ええ。でも、役者が何もしないってとても難しいことなんです。それで役作りに取り組むにあたって心にあったのは「丹田」という言葉だったんですよ。ヘソの下あたりのね、丹田というか、肚(ハラ)というか。そこにすべてを集約してみたんです。
市川のいう「丹田」「肚」については、筆者の身体論の中でさかんに出てくる言葉である(→詳しくはこちらを参照)。
だからというわけではないが、「蝉しぐれ」に描かれる世界像は、じつはこのハラの世界に集約できる……筆者はそう感じている。
いや、もっとリンクさせるなら、藤沢作品そのものが日本人のハラについて描いてきたわけであり、彼が時代小説というジャンルを選択し、主に江戸時代を作品舞台にしてきたのは、江戸時代の日本に最も色濃くハラ感覚が宿っていたことを感じとっていたからだと言うこともできるだろう。
藤沢周平自身、44歳で遅咲きの文壇デビューをするまでは、牧文四郎やその他作品の登場人物にオーバーラップされるような「不遇の時代」を経験している。
そのなかで彼が育ててきたのが、ハラ感覚。
作風が理知主義に傾いている感のある同時代の“国民作家”司馬遼太郎と比べても、この感覚の強さは際立っていた(→こちらも参照)。
その意味では、「日本」を語り手として、司馬よりも藤沢のほうが向いている。
しかし、だからこそ、「語ってはいけない」のである。
藤沢がハラ感覚を大事にしてきた作家であることを、もう少し別の角度から検証してみよう。
かつての(江戸時代の)日本人は、正確に言うと、「知」「情」「意」の3つの身体感覚を大事にしていた。
このうちの「意」にあたる部分がハラの感覚。
これだけではわからないだろうから、もう少し解説しよう。
「知」とは、知性、理性といった意味で、身体の部位では「頭」が該当している。
「情」は、感情、愛情。こちらは「胸」が該当。
そして「意」は、意思、意欲。ここが「丹田」「肚」にあたる。
このため、
「知」……「頭」……上丹田
「情」……「胸」……中丹田
「意」……「肚」……下丹田
こういった呼び方もされていた。そして、この3つの「丹田」(三丹田)のなかでも特に重要視されていたのが、身体の中心に位置し、すべての行為の起点となる「意欲」「意思」の源、下丹田=肚(ハラ)だったわけである。
このことはべつに筆者の独断でもなんでもなく、身体論の世界ではある程度スタンダードな発想。
ハラ感覚(下丹田)を重視していた藤沢作品の中にも、その位置づけは少なからず反映されている。
たとえば、「蝉しぐれ」の人物設定を見てみよう。
主人公・文四郎の無二の親友にあたるのが、文武には秀でていないが心優しいナイスガイ・小和田逸平と、剣術は苦手だが頭がよく江戸に留学して出世する島崎与之助の二人。
この3人の組み合わせは、上記の「三丹田」とも見事に符合している。しかも、「主人公」は最も重要な下丹田の文四郎なのである。
「知」=上丹田→島崎与之助
「情」=中丹田→小和田逸平
「意」=下丹田→牧文四郎
藤沢が「三丹田」の概念を知っていたかはわからないし、そもそもそれを意識して人物設定したとは思えない。というよりも、半ば無意識の形でこのように日本人の身体観の「型」にはまってしまっているところにかえってリアリティがないだろうか?
筆者は藤沢作品のすべてを読み尽くしたわけではないので、作品全体の分析はできない。しかし、探っていけば似たような例はいくつも見いだせるものと思う。
こうした点をふまえるなら、いま藤沢周平の作品が見直されている背景には、甦りつつある日本人の身体観が呼応していることが見えてくる。
失われたものを懐古しているのではなく、甦りつつあるから見直されている。
この違いは大きいし、後者としてとらえられることで、本当の意味での「答え」(「希望」と言い換えてもいいか)も見えてくる。
いまの日本の世相の根っこにあるものを読み解く、キーポイントになってくる。
これらのキーポイントを行間で、物語に託して伝えてきた藤沢周平の業績は、確かにもっと評価されてしかるべきだろう。
ただ、「失われた日本の良さがどうのこうの……」といったような紋切り型の表現だけでは、このあたりの構造まではキャッチできない。
行間と言葉の間のギャップこそが、いまの日本人に欠けてしまっている感性なのではないだろうか?
藤沢周平との出会いを通じて、そんな理解の深められた数ヶ月だった。
(追記)
映画の「批判」をしたなかの「もし筆者が藤沢世界を映像化するとしたら、そんな「無謀な」ことは考えない。作品からテイストだけいただいて、物語はゼロからつくることをまず考える」というくだり。
まだ見てはいないが、いろいろ調べていくなかで、山田洋次監督の「たどがれ清兵衛」はその手法に近いように感じた。
藤沢作品というより、山田テイストの時代劇だという声もあるけれど、ある意味こちらのほうが作品の出来としては“まっとう”なようにも思う。
真田広之の清兵衛って違和感あるし(原作を読んでいると、いい意味で裏切られた気分)、近々、実際に作品を見てみたい気がする。(11.8)
投稿者 長沼敬憲 : 2005年11月02日 22:48