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2006年01月04日
■約束を守ること、人をだますこと〜出口王仁三郎のエピソードから
自分ってどんな人間なのか? もしそう自問することがあったとしたら、その答えはぼくにとってかなり単純なものだ。
はた目にどう思われているかわからないが、すごくわかりやすい生き方をしていると自分では思っている。
たとえばぼくはこんな話が好きだ。
時は戦前。当時、新興宗教の教祖として時の人であった出口王仁三郎のもとに、共産党の活動家、三田村四郎という人物が訪れる。
戦前の共産党は非合法の政党、というより、政党という何も値しないごく少数の主義者、当局のお尋ね者……。
三田村は大陸に逃亡する計画を立てていたが、妻に逃げられ、生まれたばかりの乳飲み子を抱え、先行きに難渋していた。
もとより大本(王仁三郎の教団)と共産党の関わりはない。思想的なつながりも、義理も何も。
ただ、立場に窮した三田村が、知り合いから王仁三郎の名前を聞き、まったくつてもないままに丹波・亀岡に彼の教団を訪ねると、王仁三郎は深く理由を問いただすことなく乳飲み子を預かり、逃走資金さえ提供した。
もちろん、その乳飲み子が三田村の子と知れれば、身柄がどうなるかわからない。乳飲み子を熱心な信者のもとに預けた王仁三郎は、周囲の人間には平然と、“わしが失敗して産ました子や”と語っていたという。
もちろん、彼の妻であるすみ(2代目教主)はその噂を耳にして激怒した。しかし、王仁三郎は真意を伝えず、平身低頭ひたすら謝るばかり。以後三田村が帰国して娘と対面するまでの20年近く、その娘本人も、自分の妻も、周囲の人間もすべてだまし通した。
と、ここからはぼくの想像……。
王仁三郎って宗教に目覚めるまでの若い頃は、侠客まがいの日々を送り、女好きで、やることなすことすべて派手な目立ちたがり屋……こんな印象があるが(そして、その印象は宗教家と呼ばれるようになって以降も終始つきまとうが)、実際には、そんな遊びの世界は“卒業”してしまった人だったと思う。
ほら、若いころにさんざん遊んできた人が、年をとってスッと突き抜けてしまって、ものすごく軽やかに生きているみたいな……。
ハッキリ言って、地下活動している、明日をも知れぬ共産党員の乳飲み子をかくまういわれはどこにもないのに、そこでこざかしい理屈は考えない。
自分のところに頼ってきたのだからと、ただそれだけの理由で彼を助ける。そして、自分のプライドだの何だのよりも、約束を守ることを優先した。
約束ってそう言うものだと、王仁三郎は教えてくれる。
約束は軽視され、契約だけが重視される……紙に書かなければ、判を押さなければ、信用というものが生まれない……。
もちろん王仁三郎がずっと黙っていたのは、周囲の人間が(自分の妻が)信頼できなかったからでなく、もし万が一、外部に乳飲み子のことが漏れたらどうなるのか?ということ。
もし万が一漏れたら、なにより自分が大事にしてきたものが壊れてしまう。それがあるから自分でいられるというものが、失われてしまう。
目に見えないものということで、王仁三郎は「霊」の存在を説いた。
しかし、霊が存在するかどうかよりも、もっと目には見えない、自分の一番かたわらにいる人さえもだまさなければ守れないものがあることも、彼は知っていた。
その目に見えないものを壊さないためには、失わないためには、計算はしない。理屈は考えない。いや、考えるというなら、あとで考える。
レッテルを貼られることになっても構わないし、人も平然とだます。
王仁三郎は自分が宗教家に分類されてしまうことを嫌い、娘が学校に提出する父親の職業欄には「世界改造業者」と書いたことでも知られる。
カテゴライズされないところに棲んでいる人間は、とてもおもしろい。
ぼく自身、世にある宗教にはまったくと言っていいほど興味がない。無神論でも有神論でもない、ゼロのところで生きている人間だから。
また、右とか左とかの分類で人の価値観を分け隔てることも、いまの時代には通用しない、“古い”ことだと思っている。
そんなものをすべて取っ払った先に、人のすがたは見えてくる。
取っ払うのに必要なのが、感覚。
曖昧と言われる感覚だが、それは脳が曖昧だと思っているだけ。身体はもっとハッキリ「正しい」ことを感じたりもする。
ぼくもまた人をだますことを、これから先平然と行なっていきたいと思う。
年賀に代えて。
投稿者 長沼敬憲 : 2006年01月04日 15:21